ジェットコースターの中で

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創世記39章1〜23節

(2016.7.3)

参考資料

ポティファルは、エジプト王の侍従長(王をそば近くで警護する近衛隊のリーダー)で、同時に監獄の管理もしていました(40:3-4)。ヨセフが入れられるのは、ポティファルが管理していた監獄でした。

6節で、ポティファルは家のことをすべてヨセフに任せていますが、「自分の食べる食物」が例外となっています。ここには主に3つの解釈があります。
  • 9節との関連で、妻のことを指す婉曲表現であるという説。
  • エジプト人はイスラエル人と一緒に食事ができない決まりだったので(43:32)、ヨセフが用意する食事も食べられなかったという説。
  • ポティファルがグルメだったので、食事の内容について本人が直接指示をしたという説。

聖書からのメッセージ

イントロ

ヨセフはジェットコースターのようにアップダウンを経験しました。私たちの人生も、いいときもあれば、つらいときもあります。その時々、私たちはどのような態度で生きていけばよいのでしょうか。

1.ジェットコースターのような人生

上り坂

ヨセフは、人生の急激な下り坂を経験しました。父ヤコブにちやほやされ、何の不自由もなく、多くの奴隷にかしづかれる生活だったのに、兄たちの恨みを買い、彼自身が奴隷として売り飛ばされてしまいました。

しかし、そこでヨセフは逃げだそうとしたり、絶望して生きる気力を失ったりせず、奴隷として与えられた仕事を忠実に行ないました。最初は下働きだったでしょうが、誠実に働き、しかも良い結果を出したため、主人の信頼を得て、やがて家の管理全体を任されるようになりました。

主人であるポティファルは、ヨセフがただ者ではないと感じました。「彼の主人は、【主】が彼とともにおられ、【主】が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た」(3節)。ポティファルはエジプト人ですから偶像礼拝者です。それでも、ヨセフがイスラエルの神ヤハウェに祝福されているのを認めざるを得ませんでした。

そして、ヨセフを信頼し、大切に扱った結果、ポティファルも大いに富み栄えました。これは、アブラハム契約の中にある祝福の約束の成就です。「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」(12:3)

下り坂

しかし、やせマッチョでイケメンだったヨセフに主人の妻が目をつけ、性的な誘惑を仕掛けてきました。権威ある奥さまからの命令であり、周りに人はいません。ところが、ヨセフは頑としてこれを退けます。タマルの誘惑に見事に引っかかったユダとは大違いです。

ヨセフは主人の妻に言いました。「ご覧ください。私の主人は、家の中のことは何でも私に任せ、気を使わず、全財産を私の手にゆだねられました。ご主人は、この家の中では私より大きな権威をふるおうとはされず、あなた以外には、何も私に差し止めてはおられません。あなたがご主人の奥さまだからです。どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか」(8-9節)

前半では主人であるポティファルから受けた恩義について語っているのですから、通常なら「どうして私はご主人さまに罪を犯すことができましょうか」とまとめるはずです。ところが、ヨセフは「どうして私は神に罪を犯すことができましょうか」と語っています。

ヨセフの行動基準は、「天の神ヤハウェが喜ばれる生き方を選ぶ。ヤハウェが嫌われる行ないはしない」というものでした。なぜ据え膳を食らわなかったのか。それはヤハウェが結婚外の性的な関係を忌み嫌われると知っていたからです。

新約聖書も命じています。「それで、あなたは、若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい」(第2テモテ2:22)

ところが、このヨセフの高潔な生き方は、彼を再び下り坂に向かわせました。かわいさ余って憎さ百倍というわけで、主人の妻はヨセフにセクハラされたと、罪をねつ造して主人に訴えたのです。

ポティファルは怒り、ヨセフを罰することにしました。通常、奴隷が主人の妻に手を出したら死刑ですが、ヨセフは命を救われています。ヨセフがこれまで誠実に忠実に仕え、自分に大きな繁栄をもたらしてくれた感謝の故に、命を取ることまでは躊躇したのでしょう。あるいは、妻の証言を100%信じたわけではないのかもしれません。もちろん、全てを支配しておられるヤハウェの守りがあったことは確かです。

こうして、ヨセフは牢獄に入れられることになります。

再び上り坂

何にも悪いことをしていないのに、それどころか、正しい行ないをしたのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのでしょうか。ふてくされて生きるのが嫌になってもおかしくありません。

しかし、牢獄の中でもヨセフは誠実に一生懸命働きました。その結果、看守のリーダーに注目され、やがて信頼を受けて、彼の右腕として牢獄の管理の実務全般を任されることになりました。

当然その話は、牢獄管理の最終的な責任者であるポティファルの耳にも入っていたことでしょう。後に、王の献酌官長と調理官長(いずれも高官です)が罪を犯し、牢獄に入れられることになったとき、ポティファルは二人の世話をヨセフに任せました(40:1-4)。

このことが、やがてヨセフが牢獄を出され、それどころか王の信頼を得て総理大臣となり、カナンの地からヨセフ一家を呼び寄せるきっかけとなります。詳しくはまた、次回以降学んでいきましょう。

2.私たちが下り坂を経験したとき

絶望することを拒否しよう

ヨセフが下り坂を経験したとき、ヨセフは絶望したり、やけを起こしたりしませんでした。彼は、契約の神ヤハウェが、その契約に基づいて、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫である自分を必ず祝福してくださると信じました。そして、ヤハウェもその信仰に答え、ヨセフを祝福してくださいました。

あなたもまた祝福されています。私やあなたはユダヤ人ではありませんが、イエス・キリストの十字架と復活を信じたことによって、神さまの子どもとされました。天の父なる神さまは、もちろん子どもであるあなたを愛し、祝福してくださっています。

私たちの父である神さまは、御子イエスさまを犠牲になさるほどにあなたのことを愛してくださっています。その父なる神さまが、あなたに最善以外のことをなさるはずがありません。あなたを必ず本当の幸せに導かないはずがありません。

ですから、絶望が心の中にやってきたとき、あるいはもうどうでもいいやというような投げやりな気分がやってきたとき、どうせ自分の人生は大したものにはならないというあきらめがやってきたとき、それを信仰によって拒否しましょう。

目の前の義務を誠実に果たそう

そして、目の前にあるしなければならないことに集中し、それを誠実に一生懸命に果たしましょう。あなたにとっては、それは与えられた仕事かも知れません。家事かも知れません。勉強かも知れません。

別にヨセフは、ポティファルに忠実に使えれば、やがて総理大臣になれるということを見越していたわけではありません。これがどういうふうに将来につながるかは分からないけれど、今目の前の義務を忠実に果たすことが正しいことだと信じ、それを実践しました。その結果、巡り巡って輝かしい未来につながったのです。

ヨセフは誠実に目の前の仕事を行ないましたから、それを見ていたポティファルや看守長が彼を高く評価し、次のステップへと引き上げてくれました。誰も見ていないようですが、必ずあなたを見てくれている人がいます。そして、次のステップへと引き上げてくれます。

もちろん、誰かに評価されるために、人が見ているときだけ良い行ないをするのは偽善であって、イエスさまがことのほか嫌われた行為です。しかし、ヨセフは裏表がありませんでした。だからこそ、ポティファルや看守長は彼を高く評価したのです。

そして、たとえ人が評価してくれなかったとしても、全てを見通しておられる天の神ヤハウェはご存じです。そして、この地上や、そうでなくてもやがて現れる神の国(千年王国)において、必ずそのがんばりに報いを与えてくださいます。

「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」(マタイ6:3-4)

ヤハウェの教えを忠実に実践しよう

ヨセフから学ぶべき3つめの点は、彼が天の神ヤハウェに対して精一杯忠実に生きようとしたことです。

ヨセフは、自分が祝福されたのは、自分がアブラハム・イサク・ヤコブの子孫であり、アブラハム契約の故であると知っていました。だからこそ、ヤハウェとの関係を深く、強固なものにすることこそが祝福に満ちた人生の鍵だと知っていました。

救いは一方的な恵みですから、ヤハウェの側の愛情は、私たちの側がどうであれ変わりません。変わるのは受け手である私たちの態度です。せっかくヤハウェが祝福を差し出しても、私たちの心がヤハウェから離れ、そっぽを向いていたとしたら、その祝福は私たちの所に届きません。

ですから、ヨセフは、自分にできる精一杯を尽くして、ヤハウェの教えを忠実に果たそうとしました。主人の妻に逆らえば困ったことになることは、ヨセフにも想像できたと思います。しかし、それでも彼はヤハウェを裏切ることを拒否しました。

私たちは罪の性質を宿していますから、精一杯努力しても罪を犯してしまうことがあります。しかし、それらの罪は赦されています。罪に気づいたらすぐに告白して、赦されていることを確認しましょう。そして、精一杯イエスさまの教えに従いましょう。

ローマ時代に、クリスチャンについて未信者が書いた手紙が残っています。そこには、クリスチャンたちは、それぞれ住んでいる地域の法令を誰よりも忠実に守っているということが書かれています。それだけでなく、クリスチャンたちが、他の住民よりも道徳的により高潔で愛情深く行動していると、感嘆しています。

私たちもまた、天に国籍を持った日本人以上の日本人として、イエスさまの教えに一生懸命に従ってきましょう。そのために聖書を学び、聖霊さまの助けを求めて祈りを積み上げましょう。

まとめ

状況のアップダウンに振り回されず、イエスさまに忠実に、今目の前のしなければならないことを誠実に行ないましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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