ヤコブの死に様、私たちの生き様

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創世記47章27〜31節

(2016.7.31)

参考資料

「イスラエル」は、天地の造り主ヤハウェがつけたヤコブの別名です(32:28)。後に、彼の子孫である民族やその国の名となりました。

30節の「先祖たちの墓」は、ヤコブの祖父アブラハムが購入した、カナンの地のマムレ(ヘブロン)に面したマクペラの畑地にあったほら穴です(23章)。そこには、アブラハムとその妻サラ、ヤコブの父イサクとその妻リベカ、そしてヤコブの妻レアが葬られています(35:19)。

31節のおじぎは、おそらくヨセフに対してではなく、ここまでヤコブを導いてくださった契約の神ヤハウェへの感謝の礼拝でしょう。

聖書からのメッセージ

イントロ

いよいよ、アブラハム一族の3代目、ヤコブが死を迎えようとしています。日本のターミナルケアの草分けである柏木哲夫医師は「人は生きてきたように死ぬ」とおっしゃいました。ヤコブの死に対する備えを通して、私たちの生き様を学びましょう。

1.ヤコブの生き様

先祖たちの墓に葬れ

ヤコブは、ヨセフを呼び寄せると、自分が死んだら、エジプトに葬るのではなく、先祖たちの墓に葬るよう願いました。

この指示は、ヨセフだけでなく、後に他の息子たちの前でもしていますから(49:29)、それだけヤコブにとって、どうしても実行してもらいたい大切なことだということが分かります。どうしてでしょうか。これを理解するには、これまで連続して学んできた創世記の歴史を振り返る必要があります。

創世記の歴史概観

唯一絶対の神ヤハウェがこの世界を創造なさいました。そして、人間もヤハウェによって創造されました。最初の人は男アダムと女エバですが、彼らはサタン(悪魔)の誘惑に引っかかって、ヤハウェの命令を破り、食べてはならないと言われていた禁断の木の実を食べてしまいます。この罪の結果、人もこの世界も呪われたものとなり、その呪いはアダムとエバの子孫である全人類に受け継がれるようになってしまいました。

罪に対する罰として、人類は直ちに滅ぼされても仕方がありませんでした。しかし、恵みと愛に満ちたお方であるヤハウェはそれを望まず、人類を罪の呪いから解放するという計画をお立てになりました。それは、「女の子孫」と呼ばれる救い主がやがて現れて、サタンを滅ぼすことによって完成します(3:15)。

その後、世界中に広がった人々の中から、ヤハウェはアブラハムという一人の人物をお選びになります。そして、アブラハムとその子孫によって人類を救いに導くことを表明なさいました。そのために、ヤハウェはアブラハムと契約を結ばれました(アブラハム契約)。

アブラハム契約には様々な条項がありますが、特に重要なのが3つの約束です。
  • アブラハムには子どもがいませんでしたが、妻サラとの間に息子イサクが誕生し、彼からたくさんの子孫が誕生するという「子孫の約束」。
  • 遊牧生活をしていたアブラハムには土地がありませんでしたが、やがてカナンの地が彼とその子孫のものになるという「土地の約束」。カナンの地は、今のパレスチナを中心とした地域。北はユーフラテス川から南はエジプト国境、東はヨルダン川から西は地中海までの広大な地域です。
  • アブラハムとその子孫を通して、全世界の人々が祝福されるという「祝福の約束」。特に、アブラハムとその子孫を祝福する者は祝福され、呪う者は呪われると定められています。この「祝福」には、罪が赦されて永遠の刑罰を免れ、ヤハウェとの親しい関係が回復するという霊的な救いも含まれます。
そして、この契約はアブラハムの8人の子の中でイサクだけが引き継ぎ、さらにイサクの2人の子のうちヤコブだけに引き継がれました。ただ、ヤコブの12人の息子の中で、1人だけが継承者として選ばれるということはありませんでした。ですから、アブラハム契約が語っている「アブラハムの子孫」とは、ヤコブから出る子孫(すなわちイスラエル民族、ユダヤ人)のことです。

カナンにあった先祖たちの墓

さて、ヤコブがどうしても葬って欲しいと願った先祖たちの墓は、カナンの地のマムレ、すなわちヘブロンの近くにありました。元々はアブラハムがその妻サラを葬るために購入したほら穴です。後にアブラハム自身も、またその子イサクと妻リベカも、またヤコブの妻レアもそこに葬られました。

ヤコブがそこに自分を葬るよう願ったのは、死んだ後も祖父や父や妻と一緒にいたいという日本的な感覚とは異なります。もしそうなら、彼は最愛の妻ラケルが葬られた墓に入りたいと願ったことでしょう(ラケルは、旅の途中で死んだので、別の場所に葬られています)。

彼が先祖たちの墓に葬られたいと願ったのは、それがアブラハムやイサクの信仰が表現された場所だからです。その信仰とは、「契約の神ヤハウェは、このカナンの地を、アブラハムとその子孫にお与えになった。今はほとんど所有していないが、いつか必ずすべて自分たちのものとなる」という、アブラハム契約に基づく確信です。

このときのヤコブは、エジプトにいます。すでに17年の時が流れました。その間のことは何も聖書に書かれていません。それは、ヨセフやエジプト王の庇護の元、幸せに暮らしていたということでしょう。

しかし、彼は忘れていませんでした。自分たちの土地は、本当はここではなくカナンの地だということを。今はヤハウェの導きによりエジプトで幸せに暮らしているけれど、アブラハム契約によれば、やがて彼の子孫はひどい苦難を経験するようになり、それから400年後に必ずカナンの地に戻っていくということを。

「そこで、アブラムに仰せがあった。『あなたはこの事をよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。しかし、彼らの仕えるその国民を、わたしがさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこから出て来るようになる』」(15:13-14)

ヤコブが自分の遺体を、エジプトではなくカナンの地に葬るよう息子たちに命じたのは、息子たちにも同じ信仰を継承してもらいたいと願ったからです。エジプトは、あくまでも一時的に滞在する寄留地であって、どこに住んでいようとも自分たちの霊のふるさとは、カナンの地だということを忘れないでくれ、アブラハム、イサク、ヤコブが信じてきたヤハウェとの契約を忘れないでくれ、ということです。

ヤコブは、信仰者として生涯を閉じようとしています。それは彼が、いろいろな紆余曲折や失敗はあったけれど、信仰者として生きたことの表れです。

2.ヤコブから学ぶべき生き様

約束を忘れない

聖書の中に、「アブラハム、イサク、ヤコブの神」という表現が繰り返し使われます。これは、アブラハムと契約を結び、イサク、ヤコブ、そしてヤコブの子孫イスラエルと契約を継承なさった神という意味です。イスラエルは信仰の民であり、その信仰の要はヤハウェとの契約です。

私たち日本人は情緒的なものを大切にします。それはとても重要なことですが、一方で救いは契約に基づくものだということもまた、私たちはしっかりと受け取る必要があります。契約で定められていたなら、たとえ情緒や感覚で受け入れられないものであっても必ず実現するということです。

ヤハウェのみこころに反する罪は、たとえどんなに些細なことのように思えても罪であり、さばきの対象です。一方、たとえ自分の心がどんなに責めても、あるいは人が罪だと責めても、ヤハウェが禁じていないならそれは罪ではありません。これは契約ですから、私たちがどう思うか、どう感じるかは判断基準にはなりません。

また、聖書はイエス・キリストの十字架と復活を信じるだけで、どんな人でも罪が赦され、神の子とされ、罪に対する神の怒りから救われると教えています。これも契約ですから、赦されている感じがしないとか、イエスさまに愛されている感じがしないとかいうことがあっても、関係ありません。

また、私たちイエスさまを信じて救われたクリスチャンを、天の父なる神さまは子として愛し、導き、必ず祝福してくださいます。今がどんなに苦しくても、お先真っ暗に見えても、必ず希望が残されています。それどころか、問題が祝福の種にさえなります。これまた契約ですから、私たちがそう感じられなくても関係ありません。

私たちクリスチャン、特に日本人クリスチャンにとっての信仰の戦いは、「聖書が契約として教えている祝福を信じる方を選ぶのか、それとも自分の感覚の方を選ぶのか」という戦いですね。ヤコブもその戦いを繰り返しました。時に負けてしまうこともありましたが、そのたびに悔い改めてヤハウェの契約を信じる方を選び直しました。

私たちも、ヤコブの生き方に倣い、契約を契約として受け取る訓練を積み重ねましょう。

寄留者感覚を忘れない

ヤコブは、自分がエジプトでどんなに快適な暮らしをしていても、寄留者だということを忘れませんでした。

ヘブル11:1-12で、記者はアベル、エノク、ノア、アブラハム、サラの信仰について紹介した後、こうまとめています。

11:13 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
11:14 彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。
11:15 もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。
11:16 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。


ヤコブについても、アブラハムについての記事の中でこのように書かれています。

11:9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。

私たちも、この地上では寄留者です。私たちの霊のふるさとは天の御国です。ですから、先週も学んだとおり、この地上の物や事柄に、あまりとらわれすぎたり振る舞わされたりしないようにしましょう。

ちなみに、私が福島県に引っ越してからも、この7月末で丸17年です。愛媛に18年、東京に17年住んでいましたが、今やすっかり福島人です。しかし、それ以上に天国人であることを忘れないでいたいと思いました。

信仰継承を忘れない

アブラハムはイサクに契約を信じる信仰を継承し、イサクはヤコブに同じ信仰を継承しました。そして、今やヤコブが12人の息子たちに信仰を継承しようとしています。

私たちもまた、自分一人が救われて、この地上での平安や、永遠に続く祝福の約束をいただいて、それでよしとするのではなく、他の人に、特に家族にも伝えていくことを忘れてはなりません。

聖霊なる神さまが、伝えるための知恵や勇気、そしてチャンスを与えてくださるよう、いつも祈りましょう。

まとめ

私たちも、信仰者として生き、死ぬことができるよう努めましょう。

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