なぜここで殺されそうに?

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出エジプト記4章18〜31節

(2016.8.28)

参考資料

創造主ヤハウェは、イスラエルをエジプトから脱出させるため、モーセをリーダーに選び、エジプト王と交渉させようとしました。モーセは様々な理由を並べて断ろうとしますが、最終的に従う決心をしました。今回は、エジプトに向かう途中の出来事です。

3:14は創造主のお名前が紹介されている重要な箇所ですが、2012年6月24日に取り上げていますので、今回はスキップします。

25節のチッポラは、ミデヤン人イテロ(レウエル)の娘で、モーセの妻です。ミデヤン人は、アブラハムの側室ケトラが産んだミデヤンの子孫です。

モーセ夫妻にはゲルショムとエリエゼルという息子がいます。今回割礼を施された息子(単数形)がどちらかは書かれていませんが、おそらく次男エリエゼルの方でしょう。長男が生まれたとき、モーセが息子に割礼を施すのを見たチッポラが、次男が生まれたときには、割礼を施すことを嫌がったのかもしれませんね。

25節の「両足」は、陰部を表す婉曲表現です。

27節のアロンは、モーセの3歳年上の兄です。後に、最初の大祭司となります(28章)。

聖書からのメッセージ

イントロ

意を決してエジプトに向かおうとしたモーセに、早速試練がやってきます。なんと、創造主がモーセを殺そうとしたのです。どうしてこんなことになったのでしょう。

1.さばきの理由

殺されそうになったモーセ

モーセは、与えられた使命の大きさに尻込みし、何度も創造主ヤハウェに断りを入れています(3:11,13、4:1,10,13)。しかし、そのたびに励まされ、最終的にエジプト行きを了承しました。そして、しゅうとであるイテロもエジプト行きを認めてくれました。

ところが、エジプトに向かっている途中で、ヤハウェはモーセを殺そうとなさいました。おそらく病気にかかったのでしょう。あれこれといいわけを並べて、使命を果たすのを断ったときに殺されそうになったのなら、まだ分かりますが、すでに覚悟を決めてエジプトに向かっているのに、どうして殺されそうになったのでしょうか。

モーセの死は、妻チッポラが、息子の一人に割礼を施したことによって回避されました。ですから、「息子に割礼を施していなかった」ということが今回のさばきの理由だったと考えられます。

息子の割礼

そもそも割礼とは、アブラハムにヤハウェがお命じになった儀式で、生まれて8日目の男の子の、外性器を覆っている包皮を、火打ち石のナイフで切り取ります。これは、アブラハムとヤハウェとの契約(アブラハム契約)のしるしとして行なわれました。

創世記17:10-14にこのように書かれています。

17:10 次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。
17:11 あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。
17:12 あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。
17:13 あなたの家で生まれたしもべも、あなたが金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉の上にしるされなければならない。
17:14 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである」。


特に14節に注目してください。「民から断ち切られる」とは死刑を表しています。それだけ非常に重要な命令だということです。

ところが、契約の民であるはずのモーセは、何らかの理由で息子の一人に割礼を施していませんでした。モーセ夫妻には2人の息子がいます。今回割礼を受けた息子は単数形ですから、おそらく次男エリエゼルのことだろうと考えられます。

生まれて8日目の赤ちゃんは、自分の意思で割礼を受けることなどできませんから、息子に割礼を施す責任は父親にあります。ですから、モーセがさばきを受けることになったわけです。

これはあくまでも想像ですが……。モーセはエジプト王女の養子として育ちましたが、幼い頃はイスラエルの家で暮らしました。ですから、彼自身も割礼を受けていたはずですし、割礼の重要性についても両親から聞かされていたはずです。

ですから、40歳でミデヤンに逃れて、結婚してすぐに生まれた長男ゲルショムには、当然のこととして割礼を施したことでしょう。しかし、それを見たチッポラは、とても嫌な思いをしました。大事な子どもの体に傷をつけて血を流すわけですから。彼女はミデヤン人で、アブラハムの子孫ですが、もしかしたら割礼の重要性について、イスラエル人ほど真剣にとらえていなかったのかもしれません。そこで、次男エリエゼルが生まれたときには、絶対に嫌だとごねました。モーセもまた霊的に低空飛行のときだったので、妻の言い分を飲んでしまったのでしょう(妻の実家に居候している身ですしね)。

モーセが死にかけたとき、チッポラは割礼の重要性を思い知らされました。そこで、エリエゼルに割礼を施しました。こうしてモーセは、さばきを免れることになったのです。

ヤハウェの命令を守れ

モーセは、エジプト王の所に行って、次のようなヤハウェの言葉を継げるよう命ぜられました。「イスラエルはわたしの子、わたしの初子である。そこでわたしはあなたに言う。わたしの子を行かせて、わたしに仕えさせよ。もし、あなたが拒んで彼を行かせないなら、見よ、わたしはあなたの子、あなたの初子を殺す」(22-23節)

エジプト王がヤハウェの命令に背くなら、子どもが死んでしまうというのです。ヤハウェの言葉を無視することは、それだけ重大な罪だということです。

その一方、ヤハウェの言葉を取り次ぐモーセはどうだったでしょう。彼はヤハウェの命令よりも妻の願いの方を優先し、息子に割礼を施していませんでした。彼もまた、ヤハウェの言葉を無視していたのです。

ヤハウェがイスラエルをエジプトから脱出させようとお決めになったのは、アブラハム契約の故です(前回の学び参照)。リーダーであるモーセが、契約のしるしである割礼を軽視しているのに、契約に基づく救いを求めるのは矛盾しています。ですから、ヤハウェとしては、どうしてもこの点を悔い改めてもらう必要がありました。

ですから、モーセは死にかけました。これは、罪の状態にあることを気づかせ、正しい生き方に引き戻すための、ヤハウェの愛の鞭、ショック療法です。そして、そのことに気づいたチッポラの行動によって、モーセの命は助かりました。こうしてモーセは、本来の正しい生き方に戻ることができ、いよいよイスラエルの解放者として働く準備が整いました。

2.ショック療法としての問題

様々な問題

私たちクリスチャンは、イエス・キリストの十字架と復活を信じ、罪の赦しを受け取った故に、民族的にはイスラエル人でなくても天の父なる神さまの子どもとされました。そして、神さまの子どもとして、大いに愛され、守られ、祝福されています。

しかし、子どもとしてヤハウェに愛されているはずなのに、私たちはこの地上で様々な問題に巻き込まれ、苦しみます。いったいどうしたことでしょうか。

私たちクリスチャンが体験する問題には、実は様々な理由や意味があります。
(1) 迫害
迫害とは、イエスさまに従うのをやめさせるために、この世の人々から来る苦しみのことです。この世は、基本的にイエスさまに逆らう方向に傾いています。ですから、イエスさまに従おうとする私たちを見ると、邪魔をしてきます。

イエスさまはおっしゃいました。「もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです」(ヨハネ15:18-19)

迫害に対しては、イエスさまが戦ってくださいます。
(2) 訓練
今回のオリンピックでは、史上最も多くのメダリストが日本に誕生しました。彼らは、その栄冠を得るために、どんなに苦しい練習に耐えてきたことでしょう。苦しみは、私たちの人格や霊性を練り鍛えます。子どもである私たちの成長を望んでおられるヤハウェは、私たちが苦しみを耐え抜くことで、私たちを鍛えようとなさいます。

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります」(ヤコブ1:2-4)

私たちの信仰の戦いの中心は、「そんなふうにはまったく思えない状況で、それでもヤハウェは愛に満ちた方であり、私に最善以外のことをなさらない」と信じ続けることができるかどうかです。問題の中で、それでもイエスさまに信頼することを続けることによって、私たちは人格的にも、霊的にも成長することができます。
(3) 祝福の種
私たちの目には問題に見えることでも、実はヤハウェの目から見ると、さらなる祝福のためにはどうしても経験しなければならないこと、すなわち祝福の種だということがあります。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28)

しばらくたって振り返ったとき、ヤハウェのご計画の妙に感動を覚え、賛美するときがやってきます。

愛の鞭

そして、4つめの苦しみの意味は、ショック療法、愛の鞭です。ヤハウェのことばを無視し、本来あるべき生き方から外れていたモーセに、罪の状態にあることを知らせ、本来の道に引き戻すために、死にかけるという問題がやってきたのと同じです。

何でもかんでも罪のせいにするのは間違いです。しかし、ある種の問題は、私たちへの罪の結果として与えられたものです。そこには、暴飲暴食をして健康を害したり、考えなしに人が傷つくような発言を繰り返したりした結果、仲間はずれになってしまうなど、いわゆる自業自得の問題も含まれます。

しかし、ショック療法としての問題は、あくまでもヤハウェによる「愛の」鞭だということを忘れないようにしましょう。

虐待をする多くの親は、しつけのためだ、愛の鞭だと言い訳をしますが、その多くは単に子どもが思い通りにならないことに怒り、鬱憤晴らしをしているだけです。

しかし、天の父なる神さまは情緒不安定だったり、自制心に欠けたりする不完全な親ではありません。本当にあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。その上で、時にショック療法をお選びになるのです。

ですから、自分の罪の結果問題に巻き込まれていることに気づいても、決して絶望してはなりません。必要以上に落ち込む必要もありません。「おまえが苦しんでいるのは、罪の罰のためだ。神はおまえを嫌っているのだ」というサタンの声に惑わされてはなりません。

大切なことは、私たちが罪に気づかされたとき、本来の生き方に、できるだけ早く戻ることです。

まとめ

問題にあったとき、ちょっとだけ振り返ってみましょう。もしかしたらこれは、神さまからの愛に満ちたショック療法かもしれないと。もし思い当たることがあるなら、可及的速やかに悔い改めて、本来の生き方に戻りましょう。

そして、もし思い当たることがなければ、迫害・訓練・祝福の種などの可能性を探ってみましょう。

どんな問題の背後にも、神さまのあなたに対するあふれる愛が隠されています。それだけは決して忘れないでください。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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