あなたの記念日

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出エジプト記12章1節〜14節

(2016.9.11)

参考資料

2節の「この月」とはアビブの月(23:15)で、太陽暦だと3〜4月頃です。

8節の「種」はパン種で、発酵させたパン生地の一部をとっておいたものです。それを新しいパン生地に混ぜれば、パン種に残っている酵母の作用で、新しいパン生地全体が発酵します。パン種を入れないということは、パン生地を一晩寝かせて発酵させるだけの暇がなく、急いで脱出の準備をしなければならなかったということを記念しています(39節)。11節の、旅支度で過越の食事をするようにという命令も同様です。

8節の苦菜は、苦みのある野菜で、後のユダヤの文書によれば、レタス、チコリ、タンポポなどだったようです。これを食べるのは、エジプトでの苦難を記念しています。

11節の「過越」はヘブル語でペサフ。さばきをもたらす神が、家の入り口にある血を見て「通り越す」(13節。ヘブル語でパーサフ)と約束なさったところから来ています。

聖書からのメッセージ

イントロ

過越の出来事は、私たちクリスチャンとも深い関係があります。

1.過越の奇跡

過越の祭り

古代イスラエルには様々な祭りがありましたが、その中でも特に重視された3つの祭りの一つが、今回代々に渡ってイスラエルが行なうよう命ぜられた、「過越の祭り」です。

ちなみに、他の2つは、「七週の祭り」と「仮庵の祭り」です。

七週の祭りとは、神さまがイスラエルにモーセの律法をお与えになったことを記念すると共に、小麦の収穫感謝を行なうための祭りです。ギリシャ語ではペンテコステと言います。イエスさまが召天なさった直後の七週の祭り、すなわちペンテコステの日に、聖霊さまが地上に降り、教会が誕生しましたね。そして、信者のうちに聖霊さまが住み、キリストの律法を心に刻みつけてくださいました(ヘブル8:10)。ですから、七週の祭りは聖霊降臨と関連があります。

仮庵の祭りとは、イスラエルが荒野で40年間テント生活をしたことを記念する祭りです。この祭りは、イエスさまの再臨と関連があります。イエスさまの再臨後、ユダヤ人だけでなく、全世界の人々が仮庵の祭りを祝うようになると預言されているからです(ゼカリヤ14:16-19)。

では、過越の祭りは、新約時代のどんな出来事と関連しているのでしょうか。それを考える前に、過越の出来事について、何が起こったか簡単に見ていきましょう。

過越の出来事

創造主ヤハウェに遣わされたモーセとアロンは、イスラエルを奴隷としてこき使い、苦しめていたパロ(エジプト王)に対して、ヤハウェが命じたとおり、イスラエルを解放するように求めました。しかし、パロはそれを拒否し続けます。そこで、ヤハウェはモーセを通して、様々な災害をエジプトに引き起こしますが、それでもパロは出国を認めようとしませんでした。

そこで、10番目に最悪のさばきが起こります。それは、エジプト中の人や家畜の初子(最初に生まれた子ども。長男)が死んでしまうというものです。

しかし、このままではエジプトに住んでいるイスラエルの初子も死んでしまいます。そこで、ヤハウェは、さばきを免れる方法をイスラエルに教えてくださいました。それは、傷のない1歳の子羊か山羊を殺して、その血を家の入り口に塗るという方法です(3-7節)。そして、このとき殺した子羊や山羊の肉は、定められた方法で、家族全員で食べました(8-11節)。

こうして、教えられたとおりに行なったイスラエルの家では、初子が死ぬというさばきは行なわれませんでした。

エジプト中の初子が死に、自分の長男も失ってしまったパロは、さすがに心が折れて、イスラエルに出て行けと言いました。こうして、イスラエルは奴隷状態から解放されて、約束の地に向かって出発することになったのです。

子羊イエス

新約時代になり、バプテスマのヨハネが登場します。彼は、イエスさまのことを、人々にこんなふうに紹介しました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)

出エジプトで行なわれた初子が死んでしまうというさばきは、本来であればエジプトに住むすべての家にくだされるものでした。しかし、イスラエルの家だけは初子が死にませんでした。それは、子どもの身代わりとして子羊が死んだからです。そこで、家の入り口に血を塗ってそのことを示した家については、神さまは「この家に対するさばきはもう実行されたから、重ねて子どもを殺すことはすまい」と判断し、通り過ぎて行かれたのです。

バプテスマのヨハネは、イエスさまはこの過越の子羊のような方だと語っています。しかも、単にイスラエルだけを救う子羊ではなく、「世の」、すなわち全世界の人々を救う子羊です。

さらに、「罪を取り除く」とも語っていることに注目しましょう。罪とは、全地をお造りになったヤハウェへに対する反抗です。ヤハウェを神として信頼せず、尊敬せず、従おうともしないことです。罪は神さまへの大変な失礼ですから、本来であれば正義である神さまによってさばきを受けなければならないはずでした。

しかし、人間は自分の力で罪を取り除き、さばきを免れることはできません。もし、人が自分の行ないの正しさによって神さまに認められ、さばきから救われるためには、完璧でなければなりません。しかも、生まれてから死ぬまで、ただの一度の失敗も不完全さも許されません。行ないによって救われるというのは、人間には不可能です。さて困った。

そこで、世の罪を取り除く神の子羊であるイエスさまは、イスラエルの初子の身代わりになった過越の子羊のように、私たちの罪の罰を身代わりとして受けて、十字架にかかって血を流し、死んでくださいました。イエスさまが十字架にかかったのは自分の罪を赦すためだと信じ、イエスさまは死んで葬られたけれど、復活して今も生きておられると信じるなら、それだけで、そしてそのままの姿で、私たちの罪は赦され、神さまの子どもにしていただけます。あなたもそのようにしてクリスチャンになられましたね?

イスラエルの民にとって、過越の出来事は、契約の神であるヤハウェが、先祖アブラハム、イサク、ヤコブに約束してくださったとおり、自分たちをエジプトの圧政から救い出してくださったということを記念する出来事です。そして、私たちクリスチャンにとっても、私たちがイエスさまによって救われたのだということを思い起こさせる出来事です。

2.私たちにとっての意味

過越の記念

年をとっても仲のいい夫婦に、夫婦円満の秘訣を尋ねたアンケートを読んだことがあります。「してくれたことに対して、言葉で感謝を表す」「相手の話をよく聞く」「共通の趣味を持つ」「家事を協力し合う」という秘訣の他に、こんなことが書かれていました。それは「記念日には必ずお祝いする」。結婚記念日とか、誕生日とかですね。それをお祝いすることによって、いつもつきあい始めた頃、結婚したばかりの頃のフレッシュな気持ちを持ち続けることができるというわけです。

今回、私たちが特に注目したいのは、14節の「記念」という言葉です。イスラエルの初子を守ってくださった神、ヤハウェは、入り口に血を塗ったり、特別な食事をしたりする儀式を、エジプトを脱出したこの日限りでなく、毎年繰り返すよう命じました。それは、この日のことを記念するためです。

記念というのは、その時の出来事を思い起こし、いつまでも忘れないという意味です。毎年過越の祭りを祝うのは、この日の感動や感謝を、いつまでもフレッシュな気持ちで覚えておくためです。さらに、次の世代の人たちも、まるで自分たちが出エジプトを体験したかのように、感動や感謝を持つことができるためです。

24-27節にはこう書かれています。「あなたがたの子どもたちが『この儀式はどういう意味ですか』と言ったとき、あなたがたはこう答えなさい。『それは【主】への過越のいけにえだ。主がエジプトを打ったとき、主はエジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越され、私たちの家々を救ってくださったのだ』」

私たちの記念

私たちにとって過越は、私たち自身の救いと関連しています。イスラエルの民が記念として過越の出来事を毎年思い起こし、次の世代に伝えていったように、私たちもまた私たちの救いを記念し、いつも思い起こし、他の人に伝えていく必要があります。
  • あなたはどのようにしてイエスさまと接点を持ちましたか?
  • 誰が最初に、本当のイエスさまの話をあなたにしてくれましたか?
  • どうして聖書を読もうと思いましたか?
  • いつどのようにして、教会に導かれましたか?
  • いつどのようにして、自分の罪を自覚しましたか?
  • いつどのようにして、イエスさまによる罪の赦しを信じましたか?
  • いつどのようにして、受洗(洗礼を受けること)を決心しましたか?
  • イエスさまを信じる前と後で、どのように行動や内面が変化しましたか?
信仰生活が長くなると、いつの間にか救われたときの新鮮な喜びを忘れてしまうことがあるかもしれません。ですから、私たちも「自分が救われた日を記念すること」を意識し、折に触れて他の人に語りましょう。

まとめ

自分の救いの日を意識して記念しましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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