海に向かって進め

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出エジプト記14章1節〜31節

(2016.9.18)

参考資料

2節の「ピ・ハヒロテ」も「バアル・ツェフォン」も、詳しい位置は分かっていません。

7節の「戦車」は、2頭から4頭の馬に台車を引かせたもので、通常、弓や槍で武装した兵士と操縦士の2名が搭乗します。

28節で「残されたものはひとりもいなかった」と書かれていますから、普通に解釈すればパロ(エジプト王)も死んだことになります。ただ、死んだのは「あとを追って、海に入った」一部の軍勢だけで、エジプトから出撃した全軍が海に入ったわけではなかったと解釈すれば、パロが生き残った可能性はあります。実際、早期説(出エジプトの時期を前15世紀半ばとする説)であれ後期説(前13世紀の説)であれ、エジプトの記録に、パロがこの戦いで死んだことを示唆するものは何も残されていません。

聖書からのメッセージ

イントロ

イエスさまを信じてクリスチャンになったら、問題が次々と解決して、バラ色ハッピーな暮らしがやってくるに違いない。そう思っていらっしゃったでしょうか。ところが、実際には荒野での苦しい生活が待っていたり、エジプト軍に追いかけられるような危険が襲ってきたりします。そんなとき、してはならないことは何でしょう。そして、代わりにしなければならないことは何でしょうか。

1.以前の生活を懐かしまない

エジプトにいれば良かった

エジプト中の初子が死んでしまい、自分の長男まで失ったしまったパロ(エジプト王)は、ショックのあまり、イスラエルの解放を認めてしまいました。しかし、時間がたって、少し落ち着きを取り戻したとき、それを後悔し始めます。

そんなとき、イスラエルの民がまっすぐシナイ半島に抜けて行かず、その手前で道を見失ってさまよっているようだとの報告が入ります。そこで、パロは戦車隊を招集して、自らそれを率いてイスラエルの後を追いました。

最初、イスラエルの民は、臆することなく移動しました。エジプト軍が追い迫っていることを知らなかったか、あるいは知っていたとしても、10の災害をエジプトに下されたイスラエルの神ヤハウェが、エジプト軍を途中でやっつけてくださると思っていたからでしょう。

ところが、エジプト軍がすぐそばまでやってきたのが見えました。しかも、目の前は海で、逃げることができません。民は大騒ぎを始めます。そして、「こんなことになるんだったら、エジプトで奴隷として生きていた方が良かった」とモーセに向かって言いました(11-12節)。

無駄な嘆き

信仰を抜きにしても、過去のことを振り返って、「どうしてこんな選択をしてしまったんだろうか」と嘆いても、現状を変えることはできません。私たちには過去を変えることができないからです。

また、民がモーセを責めたように、どんなに他の人を責めたとしても、それで現状が変わるわけではありません。

あるいは、もっとお金があったらとか、もっと才能があったらとか、協力者がいてくれたらとか、景気がもっと良ければとか、親がもっと自分を大切に育ててくれていたらとか、もっと配偶者に理解があったらとか、今ないものに目をとめて、それを嘆いていたとしても、やっぱり現状は変わりません。

この後イスラエルの民は、全員モーセに促されて海に向かって進んでいきますが、仮に民の一部が、嘆くばかりで何もせず、そこにとどまり続けたとしましょう。彼らはエジプト軍に捕らえられ、奴隷生活に逆戻りです。しかし、彼らはモーセが率いる同胞たちが、無事に海を渡って、約束の地に向かって進んで行くのを目の前で目撃することになります。

すると彼らは、「どうしてモーセは、私たちを無理にでも引っ張っていってくれなかったのか」と嘆いたり、そばにいる人に向かって「なぜあなたは、私が主に逆らうように仕向け、エジプトでの苦しい生活から解放されるチャンスを失わせたのか」と責任転嫁したりしたことでしょう。

過去を反省し、それを生かして今どうするかを考えるなら、過去を振り返ることにも意味があります。しかし、ただ嘆いたり責めたりするだけなら、余計に苦しいだけで意味がありませんし、むしろ有害です。

私たちの昔の生き方

私たちもまた、クリスチャンになって、バラ色ハッピーな暮らしが待っているかと思ったら、荒野での苦しく、何の保証もない生活が待っていたという経験をしたことがあるはずです。皆さんは颯ではないかもしれませんが、中にはイスラエルの民のように、「こんなことなら、クリスチャンになっても意味がない」とか、「こんなことなら、信じない方が楽だったのに」などとつぶやいた経験のある人がいらっしゃるかもしれません。恥ずかしながら、私は一度や二度ではありません。

では、私たちが懐かしむ、以前の生き方とはどういうものだったでしょうか。聖書の箇所を2ヶ所開きます。

「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした」(エペソ2:1-3)

「私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした」(テトス3:3)

過去の選択を後悔して自分を責めたり、他人を責めたり、無いものをうらやんだり、ましてや選択する前の過去を懐かしんだりするのはやめましょう。

2.前に向かって進もう

前に向かって進め

民の叫びを聞いたヤハウェは、イスラエルの民が海に向かってさらに進んでいくよう、モーセを通じてお命じになりました(15節)。彼らがそれを実行したとき、海が真っ二つに割れて無事に向こう岸に渡ることができ、しかも後を追ってきたエジプト軍が全滅するという、あの奇跡が起こりました。

過去を嘆いたり、自分や他人を責めたりしても何も変わりません。私たちにできるのは、将来に向かって、「今、この現状の中で、この自分がこれから何をするか」ということを考え、実践することです。

プラスアルファを期待できる

しかも、私たちはクリスチャンです。イエス・キリストの十字架と復活を信じ、すべての罪を赦されて、神さまの子どもにしていただいた者たちです。ですから、聖書は、神さまが私たちの味方であると教えています(ローマ8:31)。「あなたは神さまにひいきされている」と言ってもいいでしょう。

私たちは、苦しい状況に陥ったとき、これからどうしようかと考えて実行しなければならないわけですが、背後で神さまが守り、支えてくださると信じることができます。そして、何をすべきかについてのヒントを、聖書や祈りを通して受け取ることができます。

神さまがあなたの天の父であり、あなたの味方であるなら、今のあなたはどんな決断をし、実行することができますか?

まとめ

いたずらに嘆くことはもうやめて、神さまの守りを信じ、今の自分に何ができるか考えて、それを実践しましょう。

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