日ごとのマナ

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出エジプト記16章1節〜21節

(2016.9.25)

参考資料

1節の「ついで」の前には、マラでの奇跡が記されています(15:22-25)。荒野でようやく見つけた水場は、水が苦くて飲めませんでした。そこで、その場所はマラ(苦い)と呼ばれるようになります。イスラエルの人々は、今回のようにモーセにつぶやきます。まことの神ヤハウェは、モーセに一本の木を示し、モーセがそれを水に投げ入れると、水は甘くなって飲めるようになりました。

5節の「6日目」とは、金曜日のことです。この後与えられるモーセの律法では、土曜日は安息日と呼ばれ、イスラエル人はすべての仕事を休めという定めがあります。ここでは、その安息日規定が与えられることが前提で、金曜日に2倍の量を集め、土曜日には集めに行かないよう命ぜられています。

15節の「これは何だろう」(ヘブル語でマーン・フー)という言葉から、天から与えられた不思議な食べ物が、マナと呼ばれるようになりました。それは、大きさがコエンドロの種(3〜5ミリ)のようで、色は白く、味は蜜入りのせんべいのようでした(31節)。人々は、「それを集め、ひき臼でひくか、臼でついて、これをなべで煮て、パン菓子を作っていた.その味は,おいしいクリームの味のようであった」(民11:8)。マナ供給の奇跡は、イスラエルが約束の地に入るまで、40年間も続きました。

16節の「1オメル」は、約2.3リットル。これが1人あたり1日分の量です。

聖書からのメッセージ

イントロ

旧約聖書の出来事が、新約聖書の出来事、特にイエスさまに関する出来事を指し示していることがあります(これを型と言います)。今回の奇跡も、イエスさまを信じる私たちに、大いに関係します。

1.天からのパンであるイエス

永遠のいのちに至る食物

ヨハネの福音書6章で、イエスさまは、おなかをすかせた5000人の人々(これは成人男性だけの数字なので、女性や子どもを入れればその倍以上いたでしょう)を、5つのパンと2匹の魚で満腹にさせました。

その後、イエスさまは、この奇跡を体験した人々が自分を無理矢理王にしようとしているのを嫌って、山に退き、さらに湖の上を渡って向こう岸のカペナウムに移動なさいました。すると、人々もカペナウムにやってきました。その人々に向かって、イエスさまはこうおっしゃいました。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです」(ヨハネ6:26-27)

イエスさまは「なくなる食物」と「いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物」を対比しておられます。

魚を一匹あげたなら、それを食べて満腹するでしょうが、すぐにおなかがすいてしまいます。しかし、魚の釣り方を教えてあげたなら、その人は一生食うに困らないと言いますね。

イエスさまが私たちに与えたいと願っておられる祝福も、それと似ていて、
  • 外から与えられるのではなく、自分の内側からわき上がってくる喜びや感動
  • 状況によって左右されるのではなく、どんなときでも自分で幸せを見つけ出すことができる力
です。

五千人の給食の奇跡は、ただ人々のおなかを満たしたというだけでなく、永遠のいのちが与えられるということを象徴しているわけです。

永遠のいのち

永遠のいのちとは、長さではなく、質を問題にしている言葉です。すなわち、不老不死のことではありません。クリスチャンだって死にます。もちろん、クリスチャンは、死んで肉体が滅びたとしても、いわゆる天国で永遠に生きることができます。しかし、いわゆる地獄に堕ちた人だって、そこで永遠に生きるのです。

もしも、激しい痛みや飢え渇き、不満や恨み、孤独感や罪責感などを抱えながら永遠に生きなければならないとしたらどうでしょう。聖書が問題にしているのは、いのちの長さではなく、質です。どういう状態で永遠に存在し続けるのか、ということです。

そして、永遠のいのちは、ただ死んだ後の世界だけで体験できるものではありません。生きている今、この地上で味わうことができるものです。あらゆる祝福の源である神さまと共にあり、神さまからの愛と力と平安に充ち満ちて、どんなときも、どんな状況にあっても幸せを感じ、感動しながら、喜びながら生きることができる。これこそ、イエスさまがあなたに与えたいと願っておられる新しいいのちです。

あなたはそのようないのちを味わっていますか? また、それが欲しいと思われますか? 味わっているなら、もっとそれを味わいたいと思われますか?

どうしたら手に入る?

イエスさまの話を聞いた人々は、どうしたらその永遠のいのちに至る食物が手に入るかと質問しました。すると、イエスさまはこうお答えになりました。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです」(ヨハネ6:29)

そして、モーセの時代、神さまが天からマナを降らせたように、イエスさまの時代には、天からまことのパンを与えてくださるとおっしゃいました。

「イエスは彼らに言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです』」(ヨハネ6:32-33)

こうして、あの有名な言葉が語られます。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません」(ヨハネ6:35)

イエスさまを信じるとは、「イエスさまは、この私の罪を赦すために十字架にかかられ、死んで葬られたけれど、3日目によみがえられた」と信じるということです。そう信じた私たちには、すぐになくなる力ではなく、どんなときも、どんな状況でも内側からあふれ出てくる力を体験することができます。

まだ信じていらっしゃらないなら、ぜひ今、こう祈ってください。「イエスさま。私は神さまを無視し、神さまに逆らった生き方をしていました。しかし、あなたが私のために十字架にかかり、死んで葬られ、3日目に復活なさいましたから、私の罪はすべて赦されたと信じます。私を救ってくださり、神さまの子どもにしてくださって、ありがとうございます。この先、永遠にお導きください。イエスさまのお名前によって祈ります。アーメン」。

アーメンとは、「この言葉は真実です」という意味です。もしあなたがこの祈りに「アーメン」と言えたなら、あなたは救われています。あなたは神さまの子どもです。そして、あなたの内側には、永遠のいのちが始まりました。

2.毎日集めるべき糧

毎朝集めなさい

さて、出エジプト記に戻りましょう。神さまは、イスラエルの人々にマナを与えてくださいましたが、毎朝、その日1日分を集めなさいとお命じになりました。例外は金曜日で、その日は土曜日の分も合わせて2日分集めることになっていましたが、日曜日から木曜日までは、その日の分しか集めてはいけませんでした。たとえ集めたとしても、朝になると虫がわいて駄目になってしまいます。

イエスさまが教えてくださった「主の祈り」を思い出します。その中で、イエスさまは「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」(マタイ6:11)と祈るよう勧めておられます。週ごとの糧ではなく、月ごとの糧ではなく、あるいは生涯有効な糧でもなく、日ごとの糧を、と。

糧とは食べ物のことですが、それは単におなかを満たす食べ物のこと、さらには生活するために必要な物質的なものだけを指す言葉ではないでしょう。イエスさまは、永遠のいのちが与えられる祝福を、食べ物にたとえておられます。

いったんイエスさまを信じて救われたら、その祝福は永遠に有効です。その後、どんなに罪を犯したとしても、教会生活から離れてしまったとしても、無効になることはありません。救いは「いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物」です。

しかし、その永遠のいのちの力を、この地上で生き生きと味わうことができるかどうかは、私たちの日々の生き方にかかっています。

日ごとの糧を集めよう

毎朝イスラエルの民がマナを求めて荒野に出て行ったように、私たちも天からのパンであるイエスさまとの交わりを求めて、毎日静まる時を持つ必要があります。聖書を読み、祈りながら、
  • イエスさまが、私たちのことをどんなに愛しておられるかを思い巡らせる
  • イエスさまが、私たちに何を約束しておられるかを思い巡らせる
  • イエスさまが、私たちに何を求めておられるかを思い巡らせる
  • イエスさまが、どんなに素晴らしいお方なのかを思い巡らせる
時です。

週に1回礼拝式に出席して、そこでイエスさまとの交わりを求めれば十分というわけではありません。あるいは、1度激しく聖霊に満たされる体験をしたから、それで十分というわけでもありません。毎日、です。そうでないと、私たちの信仰生活も、虫がわいて臭くなってしまい、イエスさまが約束してくださったような生き生きとした力を失ってしまうことでしょう。

忙しい生活ですが、だからこそ、意識して聖書を読み、イエスさまを思って祈る時(静粛の時、クワイエットタイム:QTと言います)を確保しましょう。

まとめ

あなたは、どんなふうにQTを確保しますか?

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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