召された聖徒として

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ローマ人への手紙1章1節〜7節

(2016.10.30)

参考資料

1節の「福音」は「良い知らせ」のことです。特に聖書では、「イエス・キリストが私の罪を赦すために十字架にかかり、死んで葬られ、復活なさったということを信じるだけで、罪が赦され、神の子どもとされるという喜ばしいニュースのことを指します。

1節の「使徒」とは、イエス・キリストによって選ばれた弟子で、誕生したばかりの教会を導く特別な使命を帯びていました。いわゆる十二弟子の他、パウロやバルナバ、主の兄弟ヤコブが使徒としてリストアップされています。

2節の「預言者」は、神さまのことばを直接聞き、それを人々に伝える役割の人。

3節の「ダビデ」は、紀元前1010年〜970年頃のイスラエル王で、名君として人々に愛されています。神さまは、ダビデ王の家系から救い主(メシヤ、キリスト)を誕生させると預言しておられました。実際に、どのようにこの預言が成就したかについては、マタイ1章の系図をご覧ください。

3節の「肉によれば」とは、「キリストの人間としての側面に注目すれば」というような意味。4節の「聖い御霊によれば」は、「キリストの神としての側面に注目すれば」というような意味です。

4節の「大能によって」とは、神さまの大きな力によってという意味。

聖書からのメッセージ

イントロ

私たちの生き方は、私たちが自分のことをどう捉えているか(セルフイメージと言います)によって左右されます。この箇所から、私たちをお造りになった神さまが私たちのことをどんなふうに捉えておられるのか、すなわち私たちが何者なのかを学びましょう。

1.パウロのあいさつ

構造の分析

今回の箇所は、原語であるギリシャ語では1つの文で書かれています。しかも内容が豊富なので、構造が複雑で、さっと読んだだけだと混乱しそうになります。が、あいさつとしての主な内容は、1節と7節をくっつけると分かりやすいです。

すなわち「神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロから、ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように」ですね。
神の福音
ところが、パウロはあいさつの途中でちょっと脱線してしまいます。この手紙は、パウロが口で語った言葉を、テルテオという人が筆記する方法で書かれました(16:22)。ギリシャ語の語順では、1節の最後の言葉は「神の福音のために」です。

その言葉を語ったとたん、きっとパウロは興奮してしまったのでしょう。あいさつを中断して、神の福音についての説明を始めました。これが2節と3節の前半です。「この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、御子に関することです」
御子に関すること
3節の前半で、「福音は御子に関することです」と語ったとき、これまた興奮したパウロは、御子に関する説明に移ります。これが3節の後半から4節です。「御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです」
イエス・キリスト
パウロは、結論として、御子とはイエス・キリストのことだと語りました。すると、イエス・キリストという言葉に触発されて、パウロはまた語り始めます。それが5節の内容です。「このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためです」

パウロは、イエス・キリストが自分たち使徒に恵みを与え、努めを与えてくださった目的は、「御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすため」だと語りました。
あなたがた
さて、このあたりでパウロは、「自分はあいさつをしている最中だった」と、少し冷静になってきました。宛先であるローマ教会のメンバーの話に軌道修正をします。そして、あなた方ローマ教会員も、先ほど語ったイエスさまの目的に沿って信仰の従順をもたらされた人々の一部だ。すなわち、イエスさまによって召されたんだと語ります。「あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です」

そして、そんなあなた方に、イエスさまから恵みと平安が与えられるようにとしめくくりました。

召された

このあいさつ文の中で、繰り返し出てくる言葉があります。それは「召された」という言葉で、3回出てきています(1,6,7節)。

「召される」という言葉の意味は、(偉い人に)呼び寄せられること、招かれることです。この場合、誰かを招いた偉い人とはイエス・キリストです(6節)。招かれたのは、パウロ(1節)とローマ教会員たち(6,7節)です。

聖書全体で、「召す」や「召し」という言葉の使われ方を調べてみると、神さまはおおむね2つの目的で人を呼び寄せていることが分かります。
  • 救いを与えるため
  • 特別な任務に就けるため
今回のあいさつ文でも、パウロは自分たち使徒についてこう語っています。「このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました」。恵みを受けたというのは、罪を一方的に赦してもらい、救われたという意味です。さらに、パウロは使徒として働くという任務を与えられました。

ローマ教会員も召された

パウロは、ローマの教会員たちも、イエスさまによって召された人々、召された聖徒だと語りました。それは、ただ単に救われたという意味だけではありません。彼らは使徒の働きに召されたわけではありませんが、一人一人がイエスさまによって特別な働きを与えられているということです。

「聖徒」という言葉は、文字通り聖い人のことです。聖いというのは、神さまのために、特に神さまが望む働きに用いるために、他のものと区別されているという意味があります。聖徒は、神さまのために他の人々から区別された人です。その人は、神さまのお働きをするために、特別に区別されています。

ローマ教会の牧師や長老たちだけが聖徒と呼ばれているわけではないことに注目しましょう。パウロはローマ教会のすべての人々に向けて語りかけています。

さあ、ここから、私たちのことをイエスさまがどのように捉えておられるかを見ていきましょう。そして、そのセルフイメージは、どのような行動を生み出すでしょうか。

2.私たちは何者か

キリストによって救われた存在

私たちもまた、イエスさまによって召された者たちです。召しには2つの目的があると学びました。一つ目は救うためです。私たちは、イエスさまによって罪を赦され、救っていただきました。

私たち人間の中には、神さまに従うよりも「自分の好きなことを、好きな時に、好きなようにやりたい」という自己中心的な性質があります。これが聖書の言う罪です。本来ならば、私たちは正義である神さまにさばかれても仕方のない存在でした。

しかし、そんな私たちを、神さまは赦し、神さまの大切な子どもとして受け入れてくださいました。そして、私たち一人一人のことを、そう、あなたのことを、大切な大切な存在だと言ってくださっています。7節で、ローマ教会員は「神に愛された人々」と呼ばれています。あなたもそうです。そして、天の父なる神さまは、いつも子どもであるあなたに良くしてくださろうとしています。
あなたの天の父
あなたの天のお父さんはどんな方ですか? 全宇宙を造った支配者です。この方の前には、どんな大きな問題も大きすぎることはありません。奇跡的な方法であなたを助けてくださいます。

また、あなたの天のお父さんは、大資産家です。必要とあらば、天の倉を開いてあなたを養ってくださいます。

また、あなたの天のお父さんは、あなたを教育し、訓練なさいます。私たちに降りかかる様々な問題は、呪いではなく、私たちを鍛えるための試練です。神の子であるあなたには、神さまの祝福が雨のように降り注ぐのです。
天の父の子であるあなた
あなたはご自分が神の子どもだという確信がありますか? 自分はこんなに不完全だから、神の子失格だ……そんなふうに思っていらっしゃいませんか? イエスさまは、あなたを一方的に救い出し、神さまの子どもとするために十字架にかかってくださいました。あなたが不完全だろうが、罪深かろうが、神さまはあなたのことを神の子と呼びたいのです。あなたは神の愛する子どもなのです。

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ですから、自分に対して、自分が神さまに守られ、愛されていることを確信できるような言葉を投げかけましょう。そうすれば、他の人を引き上げ、励ますことも、もっともっと上手にできるようになるでしょう。

キリストの働きに加えられた存在

召しのもう一つの目的は、特別な任務を与えるためです。召された私たちには、召してくださったイエスさまに対して、いくつかの責任があります。
知る責任
イエスさまが私たちに何をすることを望んでいるのか、それを知ろうと努力する責任です。

イエスさまのみこころを知るために、まずは聖書を学びましょう。礼拝式での解説だけでは、不十分です。ご自分でも毎日聖書を開き、読みましょう。一人では意味を理解するのが難しいかも知れませんが、ディボーションガイドや解説書などを利用するといいでしょう。

そして、静まって、イエスさまの語りかけを聴く祈りを積み重ねましょう。祈りは神さまとの対話ですから、語るだけ、すなわちお願いするだけでは不十分です。
実行に移す責任
イエスさまのみこころを知ったら、それを忠実に実行する責任です。イエスさまは、賢い人はイエスさまの話を聞いて実行する人のことで、聞いても実行しない人は愚かだとおっしゃいました(マタイ7:24-27)。

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達成するまで挑戦し続ける責任
うまくいかなかったときは、その原因を探り、対策を考え、うまくいくまで挑戦し続ける責任。

何かを始めるのも難しいですが、もっと難しいのはそれを続けること。それは、ダイエットの例を挙げるまでもなく、皆さんうなずかれると思います。私たちは赦された罪人ですから、イエスさまのみこころを実行しようとしても、すぐに前と同じような行動や反応をしてしまうことがあります。それでも、あきらめないで、続けましょう。

イエスさまは、私たちの失敗をいつでも赦し、再チャレンジをさせてくださいます。聖霊なる神さまは、私たちの内側を少しずつ造り変え、以前はできなかったことができるように助けてくださいます。また、神の家族である他の教会のメンバーも、祈りによって、あるいは具体的な助けによって協力してくれるでしょう。

ですから、あきらめないで続けましょう。

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まとめ

私たちは、イエスさまに召された者たちです。そのセルフイメージを確かなものにし、それにふさわしい生き方をしていきましょう。

あなた自身への適用のためのディスカッションガイド


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