クリスチャンの強さとは

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ローマ人への手紙1章8節〜12節

(2016.11.6)

参考資料


聖書からのメッセージ

イントロ

ローマ人は力を求めていました。国家としても個人としても強くあるとは、彼らにとってとても大切なことでした。パウロは、11節でローマ教会の人たちを強くしたいと語っています。では、クリスチャンの強さとは何なのでしょうか。

1.御霊の賜物を持つこと

御霊の賜物とは

パウロは、どうやってローマ教会の人たちを強くすると語っているでしょうか。11節にこう書かれています。「私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです」

御霊の賜物、聖霊の賜物とは、聖霊なる神さまがクリスチャンに与えてくださる奉仕の能力のことです。たとえば、ローマ12:6-8や第1コリント12:4-11には、次のような賜物のリストが載っています。

「私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい」(ローマ12:6-8)。

「ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています」(第1コリント12:8-10)。


他にも、伝道、牧会、教育、奇跡、助けること、治めること、音楽、工芸なども聖霊が与えてくださる奉仕の能力、すなわち賜物に含めることができるでしょう。

賜物の内容については、こちらの資料にまとめてありますので、ぜひご覧ください。

奉仕のエキスパートとしての能力

これらはすべて奉仕のために用いられる能力です。クリスチャンの奉仕とは、神さまを礼拝し、人々を助けるための働きを指します。

クリスチャンは、賜物の有無にかかわらず、みんな伝道しなければならないし、困っている人を助けなければならないし、祈ったり賛美したりしなければなりませんね。これらはみんな、クリスチャンに与えられている役割です。聖霊の賜物は、みんな持っているクリスチャンとしての役割のうち、いくつかをより効果的に行なうことができるようになるため、与えられます。

たとえば、伝道の賜物が与えられている人は、そうでない人よりも効果的に伝えることができるし、成功率(?)も高いでしょう。しかし、クリスチャンなら、伝道の賜物が与えられていなくてもみんな伝道しなければなりません。

パウロは、賜物を分け与えることによって、ローマ教会の人たちを強くしたいと言いました。聖書が教える強いクリスチャンとは、神さまや他の人に心を込めて仕え、愛を示すことができるクリスチャンのことです。

教会外の人にとって、強さとは、他の人や世の中を自分の思い通りに動かすことができる力を持っているということです。私が命令したり依頼したりすれば、相手は喜んで、私の思い通りの行動を取ってくれる。そのとき、私は強いということです。そして、その強さは、私自身が自己実現をしたり、自分の欲望を満足させたりするために用いられます。

しかし、聖書が教える強さとは、そうではありません。強さを求める目的は、神さまと他の人のために私が働くため、神さまや他の人に喜んでいただくためです。強さを手に入れた私やあなたは、イエスさまが喜ばれる礼拝を捧げ、祈りを捧げ、賛美を捧げ、他の人が喜ぶような行動をします。それが強いということです。

賜物を見いだして使おう

聖霊の賜物は、イエスさまが、ご自分を信じた人たちに聖霊さまを通して与えてくださったものです。賜物とはプレゼントという意味です。すなわち、私たちの幸せのために与えられたものです。ですから、それを見いだして使う必要があります。そうでなければ、せっかくプレゼントを下さったイエスさまの好意を無にし、侮辱することになります。

賜物の話は、教会がキリストの体であって、私たちクリスチャン一人一人は体の器官であるという話の流れの中で語られています。すなわち、クリスチャンであれば、聖霊の賜物が最低1つは与えられているということです。もちろん、あなたにも与えられています。

では、どうすれば自分に与えられている賜物を見つけることができるでしょうか。それは、クリスチャンに与えられている役割を、いろいろと実践してみることです。賜物は奉仕の能力なので、実際に行動してみないと、与えられているかどうか分かりません。

実際に役割を果たしていく中で、喜びを感じる働き、達成感を実感できる働き、教会の他のクリスチャンたちに認められる働きは、あなたに与えられている賜物が働いていると考えることができます。それがどんなに些細なことであっても、他の人と比較して成果が小さいものであったとしても。

与えられているイエスさまからのプレゼント、賜物を見つけて、神さまを礼拝し、祈り、賛美し、他の人に仕えましょう。具体的にあなたに何ができるでしょうか。考えて実践しましょう。それは、あなたをも幸せにします。

この話をお読みください

では、賜物が与えられ、強さをいただいた私たちは、何を大切にする必要があるでしょうか。

2.自分にはできると信じるよう

互いに

パウロは、ローマ教会の人たちが、ますますそのような強さを持つことができるようになるために、ローマに行き、交わりを持ちたいと言いました。しかし、この言い方だと、「パウロは強いが、ローマ教会の人たちは弱い。だから強いパウロが弱いローマ教会員を助けてやる」という、ちょっと傲慢な印象を与えかねません。

そこで、パウロはすぐに補足します。「というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです」(12節)。パウロもまた、ローマ教会の人たちの助けを必要としているのだということです。

イエスさまを信じたその瞬間、聖霊なる神さまがその人の内側に住んでくださいます。そして、その人に奉仕の力、賜物を与えてくださいます。ですから、今信じたばかり、今誕生したばかりのクリスチャンでも、信仰歴何十年のベテラン信者を助けたり、励ましたり、慰めたりすることができます。

この話をお読みください

私にはできる

今回のパウロの言葉は、私たちは弱いから強くなければならないということではなく、すでに強いと言うこと、すなわち神さまに仕え、他の人を助ける力がすでに与えられているということを私たちに教えています。その上で、ますます強くなることができるということです。

ある人がこんなことを言いました。「できないと考える人は、どうしてできないかということを考える。だからできない。しかし、できると考える人は、どうやったらできるかを考える。だからできる」。

私にもあなたにも、できます。というのは、聖霊さまの助けによって、すでに強いからです。

口癖を変えてみよう

ところで、私たちの考えは、私たちが頭の中でつぶやいたり、口に出したりする言葉に大きく左右されます。私たちができないと考えていることの多くは、できないというよりも、したくないことです。ですから、できるだけ「できない」「無理だ」という言葉は使わないように注意してみましょう。

もちろん、したくないことを無理にする必要はありませんが、それでもそれが、クリスチャンとしてしなければならないこと、イエスさまがそれをすることを望んでおられるということが分かっているのなら、あえて「できる」とつぶやいてみましょう。

とんち坊主で有名な一休さんが臨終を迎えたとき、不安がる弟子たちに3巻の巻物を遺しました。そして、寺に危機が訪れて、もう本当にどうしようもなくなったときに開けと言い残して亡くなりました。100年後、寺が存亡の危機を迎えたため、ついに一休さんの遺言が開かれることになりました。僧侶たちが恭しく最初の巻物を開くと、「心配するな」。次のを開くと「何とかなるから」。そして3巻目には「だから大丈夫」と書かれていました。僧侶たちは、その言葉に励まされ、危機を乗り切ったといいます。

一休さんがなぜ大丈夫だと保証できたのか、その理由は分かりません。しかし、私たちには「なぜ大丈夫なのか」という根拠があります。イエスさまが私たちの幸せを望んでおられ、そのために互いに仕え合うことを望んでおられるということ。そして、そのために聖霊なる神さまが助け主として内に住んでくださり、必要ならば奇跡さえも行なう力を与えてくださるということです。

ですから、「大丈夫。できる」をあなたの口癖にしましょう。

まとめ

これからも、強いクリスチャンとして、ますます神さまと他の人に仕えていきましょう。

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