すべての人を照らすまことの光

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ヨハネによる福音書1章1節〜12節

(2016.12.25)

参考資料

1節の「ことば」は、ギリシャ語で「ロゴス」。当時のユダヤのラビ(律法の教師)たちは、メシヤ(救い主、キリスト)のことをアラム語で「メムラ」(ことば)と呼んで説明していました。ヨハネは、イエスさまを「ことば」と呼んで、この方こそ約束の救い主なのだということを主張しています。

6節の「ヨハネ」は、(この福音書を書いたヨハネではなく)バプテスマのヨハネ。救い主をお迎えするために、罪を悔い改めるよう教え、悔い改めのしるしとしてヨルダン川でバプテスマ(洗礼)を授けました。

聖書からのメッセージ

イントロ

今日はクリスマス礼拝です。今回の箇所で、地上に来られた神、イエスさまのことを、「世を照らす光」として表現しています。

1.闇に打ち勝つ光

人生の闇

5節に「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」と書かれています。このみことばの前提は、この世には、そして私たちの人生には闇が存在するということです。

イエスさまの誕生が羊飼いに伝えられたとき、天使たちが歌いました。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」(ルカ2:14)

平和とは、単に戦争がない、争いがないということではありません。今年も、様々なニュースに触れ、人生やこの世に平和では無い状態が存在することを思い知らされましたね。たとえば、
  • 福島から自主避難した子どもたちへの差別やいじめ
  • 経済格差の拡大
  • 世界的な保護主義、排他主義、の広がり
  • テロ
私たち自身の内側を見ても、やはり闇が存在することを認めざるを得ません。
  • 健康上の不安
  • 経済的な不安
  • 人間関係の問題
  • 憎しみ
  • 傲慢
  • 分かっちゃいるのにやめられない罪深い行動や考え
しかし、イエスさまはそのような闇に打ち勝つ力を私たちに与えるために来られました。

愛による勝利

イエスさまは、どのようにして私たちにその力をくださったのでしょうか。それは、私たちを愛することによってです。

クリスマスは、イエスさまが誕生なさったことを記念する日だということはご存じですね? 聖書は、イエスさまはまことの神さまだと教えています。では、神であるイエスさまが、どうして人間の赤ちゃんとして地上に来られたのでしょうか。それは、私たちの罪を赦し、私たちを神さまの子どもにしてくださるためです。

12節「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」

こんな不完全で、役立たずで、罪深い私が神さまの子どもだなんて、おこがましくてかえって恥ずかしい気持ちになります。しかし、神さまの子どもにふさわしくない不完全さや罪深さは、全部赦されました。イエスさまが十字架にかかり、私たちの罪の罰を全部代わりに引き受けてくださったからです。

ですから、「罪深い奴だから」「役立たずだから」というような理由で、私たちが神さまに捨てられたり、裁かれたりすることは決してありません。それどころか、私たちは少しずつ内側から造り変えられて、「神の子」という看板にふさわしい存在へと造り変えられていきます。 この話をお読みください

私たちが神さまの子どもになったのであれば、何があっても大丈夫です。この地上には闇があると言いました。それは紛れもない事実です。つらいことがあります。苦しいことがあります。将来のことを考えたら不安になります。がっかりするようなことがあります。しかし、それでも、神さまは私たちを愛しておられます。そして、本当の幸せへと必ず導いてくださいます。問題でさえも用いて、私たちを幸せにしてくださいます。

次に、イエスさまを信じ、心の闇を取り除かれた人を紹介しましょう。

2.その方を受け入れた人々

瞬きの詩人

皆さんは、水野源三という詩人をご存じでしょうか。源三さんは9歳の時に赤痢にかかり、その高熱のために脳膜炎を併発して、体の自由を失ってしまいました。視力と聴力は守られましたが、しゃべることも手足を動かすこともできません。

自分が源三さんだったらと考えてみました。私にはとても耐えられそうにありません。どれほど絶望し、自分の不幸を呪うことでしょう。しかも、源三さんはその苦しい胸の内を周りの人に訴えることさえできません。ただただ布団の上に横になり、天井を眺める日々です。

源三さんが12歳の時、お母さんを通じて牧師が家を訪れ、聖書の話を聴かせてくれるようになりました。源三さんも、お母さんの手を借りながら、熱心に聖書を学びました。そして、程なくイエスさまを信じて、神さまの子どもになる決心をしました。

それで障がいがいやされたわけではありません。家族による介護の苦労が軽くなったわけでもありません。それでも、源三さんは、自分が神さまの子どもにされ、この体も境遇も、自分を愛してやまない神さまが自分の幸せのために用意してくださったものだと信じられるようになりました。

ですから、源三さんの顔つきが変わりました。いつもふさぎ込んだ暗い表情だったのが、ニコニコと笑顔で過ごすようになりました。運命を呪い、人をうらやみ、夢も希望も失った心の闇が取り除かれ、光が源三さんの心を支配するようになり、その光は家中を包みました。

源三さんは、後にこう語っています。「ただ植物のように生きる私でしたが、主イエス様の十字架に顕された真の神様の愛と救いに触れ、喜びと希望をもって生きることができるようになりました」。

クリスマスについて源三さんが書いた、こんな詩があります。
「救いの御子の降誕を」

一度も高らかに
クリスマスを喜ぶ賛美歌を歌ったことがない
一度も声を出して
クリスマスを祝うあいさつをしたことがない
一度もカードに
メリークリスマスと書いたことがない
だけどだけど
雪と風がたたく部屋で
心の中で歌い
自分自身にあいさつをし
まぶたのうらに書き
救いの御子の降誕を
御神に感謝し喜び祝う
何と大きな喜び、平安、希望が源三さんの心からあふれ出ていることでしょう。

カナダの刑務所で

私たちも、闇が光によって取り除かれる、そんな奇跡を体験したいですね。どうすればいいのでしょうか。

次は、カナダの刑務所での話です。クリスマスの寒い朝、刑務所の前の道を、貧しい身なりの12歳ほどの少女が行ったり来たりしていました。ちょうどそこに所長が通りかかり、「何か刑務所に用かい?」と声をかけました。すると少女は言いました。「私、この中にいるお父さんに、クリスマスプレゼントを届けに来たのです」。所長は、「私が責任を持ってお父さんに手渡すからね、安心してお帰り」と約束しました。

その少女の父親は、強盗の罪で服役中でしたが、規則を守らず、ケンカを繰り返し、何度も独房に入れられる、看守たちにとっては悩みの種でした。所長は、約束通り少女のプレゼントを父親の所に持っていきましたが、彼は所長をにらみつけるばかりで、プレゼントを開こうともしません。

「お嬢さんが吹雪の中を届けに来たクリスマスプレゼントだ。さあ、開けてみなさい」。所長が何度も優しく勧めるうち、ついに父親はプレゼントの箱を開きます。そして、「あっ!」と声を上げました。箱の中に入っていたのは、目も覚めるような美しい金髪の束が入っていたのです。そして、カードが添えてあり、そこにはこんなふうに書かれていました。
愛するお父さんへ。メリークリスマス!

お父さんに何か良いプレゼントをと考えたのですが、お金がありません。だから、お父さんが大好きだった、私の髪の毛を、クリスマスのプレゼントとして贈ります。

お父さん、早くうちに帰ってきてちょうだい。お母さんが死んでお父さんもいなくなったから、私は今、伯父さんの家にいます。伯父さんも伯母さんもお父さんのことを良く言いません。でも、お父さんは、私にとって世界でたった一人のお父さん。私はお父さんが大好きです。

今はどんなにつらくても、寂しくても、お父さんの帰りを待っています。体を大切にね。毎朝毎晩、お父さんのことを神さまに祈っています。
カードを読むうちに、父親の目から止めどなく涙があふれてきました。いつまでもいつまでも父親は泣き続けました。そして、その日以来、この父親はすっかり人が変わって、模範囚となったそうです。少女が大切な髪の毛を切って捧げた、その犠牲的な愛によって、父親のすさんだ心が溶かされ、生き方を変えたのです。

イエスさまも、私たちのためにいのちを捧げてくださいました。そうしても惜しくないと思うほどに、私たちのことを愛し、大切に思ってくださっています。そのイエスさまを受け入れた人、すなわち、イエスさまによって自分の罪が赦されて、神さまの子どもにしていただいたと信じた人は、イエスさまの命がけの愛によって、心の闇を打ち破られ、人生が光の方向に向き直ります。

クリスマスは、イエスさまの私たちを愛するために地上に来られたことを記念する日です。すでにクリスチャンである私たちは、イエスさまが命がけで愛してくださっていることを改めて思い起こしましょう。そして、まだイエスさまを信じていらっしゃらない方は、今日信じなさいませんか?

まとめ

世を照らすまこと光であるイエスさまは、私たちの人生や心の闇を打ち破り、喜びや希望で満たしてくださいます。

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