"間"を生きるクリスチャン

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(2007.11.11)

中通りコミュニティ・チャーチには、けっこううつ病の方がいらっしゃってます。その一人(Aさんということにしましょう)が、近所の教会の牧師夫人に、自分の書いているディボーション日記を見てもらう機会がありました。

Aさんのディボーション日記は、私も見せてもらったことがあります。Aさんの思いが、喜びや希望や平安だけでなく、悲しみも、疑問も、弱音も、不安も、愚痴も、怒りも、殺意も、自殺願望も、すべて正直に書かれています。その牧師夫人は大変感動し、それを教会の若い人たちにも読んでもらいたいと思いました。そして「ぜひ貸して欲しい」と、それを持って行かれました。

その時、この牧師夫人は、「最近の日本のクリスチャンは、"間"がいない」とおっしゃったそうです。「ハレルヤ! 感謝しまーす!」っていうバリバリタイプか、もう教会なんて行くのやめようって離れてしまうか、その間がいないということです。

いや、いないわけではありません。本当は、悲しみや疑問や弱音や不安を抱えているのに、それでは教会にいられない気がして、無いことにしてしまう。そして、喜びでいっぱいな振りをして、「喜びいっぱいのクリスチャン」を演じるわけです。でも、そんな無理がいつまでも続くはずがありません。いつかどこかで緊張の糸が切れてしまい、突然教会を離れてしまう……。

中通りコミュニティ・チャーチに来ると、今までうつ病でなかった人が、うつ病になることがあります。今まで、いい子だった子どもや妻が、親や夫に口答えをするようになることがあります(とんでもない教会ですね!) それは、いい人、いいクリスチャンのふりをやめるから。ずっと認めずにいた、自分の本音を認めることができるようになったから。

だからといって家族や友だちにケンカを売るような真似をするのは間違いです。いずれ、自分の気持ちを大切にしながら、しかも相手を尊重するようなコミュニケーションの取り方を身につけていく必要があります。しかし、まずは自分自身の気持ちに気づき、大切にしようという態度を身につけなければ、そういった健全なコミュニケーション法を学ぶことさえできません。

私はよく教会の皆さんに言います。「80点とか90点とかでなくていい。30点でもいい。ただ、31点になるために進んでさえいれば」。

そうです。悲しんでいてもいい、疑問を持っていてもいい、弱音を吐いてもいい、怒ってもいい、殺したいとか死にたいとか思ってもいい(そう思うことと、実際に殺したり死んだりすることは違いますからね)……。そこから、ちょっとでも喜びとか感動とかを感じられる人生に向かって進んでいればいい。

イエスさまの十字架によって赦されたということは、そういうことです。聖霊が心に住んでくださっているとは、そういうことです。今回、うつ病のAさんが、中通りコミュニティ・チャーチの信仰を、ちゃんと継承してくださっているのを見ることができて、私は感動しました。

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