自助グループ的交わり

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(2008.1.13)

70年ほど前、アメリカにあるクリスチャンがいました。この人は、精神病院もさじを投げるほど重度のアルコール依存症でした。彼は、家庭でも、地域でも、病院でさえも居場所がなかったように、教会にも居場所を見つけることができませんでした。

しかし、あるとき、別のクリスチャンのアルコール依存症者と出会いました。彼らは、自分たちが依存症のために体験したこと、過去や現在の気持ち、アルコールや家族に対する思いなどを、お互いに分かち合いました。すると不思議なことに、飲まないでいられるようになったのです。

彼らは、精神病院を訪ねて、入院している他のアルコール依存症者とも交わりを持つようになりました。やがて、病室の外でも「ミーティング」と称して集まりを持つようになりました。そして、たくさんの人たちが「今日一日飲まないでいられる力」を受け取るようになっていったのです。これがAA(Alcoholics Anonymous)の始まりです。

今では、AAをモデルにして、さまざまな自助グループができ、著しい効果を上げています。何を言っても非難されることのない、安全な雰囲気のグループの中で、自分の体験や気持ちを分かち合う。それによって、人は強められ、成長していくのです。

さて、この話を思い出すにつけ、私は複雑な気持ちになります。最初期のAAメンバーは、二人ともクリスチャンだったにもかかわらず、教会の中に居場所がなかったということです。彼らは教会の中では、酒の問題があることを分かち合うことができませんでした。おそらく、非難され、つまはじきにあってしまうと分かっているからでしょう。彼らが属していた教会の中には、自助グループが持っているような安全な交わりがなかったのです。

しかし、新約聖書を読んでみると、クリスチャンによる自助グループ的な交わりが、家々の教会で持たれていたことが分かります。自助グループは、そもそも教会のお家芸だったはずなのに、教会はいつの間にかそれを見失ってしまい、教会の外の人たちがその祝福を享受しています。何という皮肉でしょう。

私たちの教会では、自助グループ的な交わりを回復していきたいと願っています。牧師が「指導」するための家庭集会や世代別グループなどとはまったく違い、私もまた指導者としてではなく、霊的に問題のある一人のクリスチャンとして参加し、体験を分かち合い、祈りのリクエストをします。かっこいい証しだけでなく、失敗したこと、悩んでいること、疑問に思っていることなど、(守秘義務に抵触しない限りは)何でも話すことができます。

そして、私自身が、それによっていやされ、成長しているのを感じています。「指導者」とか「立派なクリスチャン」とかいう役割のからを脱ぎ捨てて交わることが、こんなにも楽で、こんなにも力を与えるものなのかということを、少しずつ学ばせていただいているところです。

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