すでに

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(2008.1.27)

今日の礼拝後、最近教会にいらっしゃっていたAさんが、信仰を持たれました。すでにクリスチャンであったご主人と一緒に礼拝にいらっしゃっていたのです。

今日、話をして分かったのですが、Aさんはずっと自分も信仰を持ちたいと思っていらっしゃったようです。しかし、そのきっかけというか、どんな条件をクリアすれば、クリスチャンになれるのか分からなかったとのこと。

考えてみれば、多くの宗教というのは、「何かを達成すること」が救いの条件になっているのかもしれませんね。たとえば悟りを開くとか、何かの修行を完了するとか。ですから、ついついキリスト教というのも同じだと思ってしまうのも、ある意味仕方のないことでしょう。

ところが、キリスト教というのは、何かを達成することではありません。私はよく、信仰を説明するためのキーワードとして、「すでに」という言葉を紹介しています。

すでに神さまは私たちを愛してくださっています。そして、イエスさまは、神さまからの祝福を体験するための条件を、すでにご自分で満たしてくださって、私たちがあらためて条件を満たさなくてもいいようにしてくださっています。

ですから、私たちがすることは、「すでに」愛されているのだということを、「あ、そうだったんですか。それは知りませんでした。いやぁ、ホントにありがとうございます。喜んで祝福をいただきます。今後ともよろしくお願いしまぁす!」と、図々しく受け取ることです。これが「信仰によって救われる」という意味です。

「信仰」というと、何かものすごい精神力のようなものだと誤解されますが、実は「図々しいこと」なんですね。Aさんも、本日晴れて、「図々しい人たち」、すなわちクリスチャンの仲間入りです。

「すでに」愛されている。「すでに」救いに必要な条件は全部満たされている。「すでに」祝福は私の人生に注がれている……。「これから」ではなく「すでに」。そうとらえてみると、あなたの生き方はどんなふうに変わりますか?

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