祝福されているときほど

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(2010.3.14)

将棋の大山康晴名人が、取材で「棋士の方は、次々と畳みかけるように駒を打つときもあれば、何十分も長考なさることもありますね。長考しているときは、やはり形勢が不利なときなのですか?」と質問されました。

そのとき、大山名人はこう答えたそうです。「いや、私が長考するのは、むしろ形勢が有利なときが多いですね。自分の打つ手がうまくはまっているときほど、私はそこに落とし穴がありはしないかと長考するのです」。

歴史家トーマス・カーライルはこう言っています。「逆境は人にとって過酷なものである。しかし、逆境に耐える人が百人いるとしたら、繁栄に耐えられるのは一人しかいない」。

確かに、信仰の巨人であるダビデも、ペリシテ人との戦いに余裕が生まれたときに、バテ・シェバとの姦通事件を引き起こしました。預言者エリヤも、華々しい勝利のあとで抑うつ状態になりました。初期の教会も、ローマ帝国の国教となって、教会指導職が安定した地位となり、巨大な会堂が国費で建てられ始めたとき、堕落し始めました。

私たちは試練のときには真剣に長時間祈りますが、むしろ、安定し、祝福され、問題がないときほど、大山名人ではありませんが、たっぷりと神さまとの交わりの時間を確保しなければならないのでしょう。

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