幸せであることを選ぶ自由

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(2010.11.28)

ビクトール・フランクル(1905-1997)は、ロゴセラピーという精神療法を開発した精神科医です。ロゴセラピーの理念の一つは、「私たちはどんな状況に置かれたとしても、それに対する自分の反応を決定する自由があり、それは自分以外の何者によっても奪い去られることはない」というものです。

彼は、それを自分の体験として証明してみせました。フランクルはユダヤ人でした。そして、ナチスによって、妻子も両親も殺されてしまいます。フランクル自身も収容所に送られ、持ち物を全部取り上げられ、素っ裸にされ、そして結婚指輪でさえも取り上げられました。

そのとき彼は、心の中でこうつぶやきました。「あなたたちは私から妻を奪い、子どもたちを奪うことができるかもしれない。私から服を取り上げ、体の自由を奪うこともできるだろう。しかし、私の身の上に降りかかってくることに対して、私がどう反応するかを決める自由は、誰も私から取り除くことはできないのだ」。

フランクルは、非人間的な扱いを受ける収容所の中で、なお人間としての誇り、神の民としての誇りを失わず、また生きる希望を保ち続けました。そうすることを選んだのです。そして、彼よりもはるかに体力のある人たちが次々と死んでいく中で、彼は生き延びました。彼と同じように、希望を持ち続けることを選んだ人たちも、また生き延びることができました。その中には、いかにもひ弱で、この過酷な環境では真っ先に死んでしまうだろうと思われた人もいました。

フランクルはこう言っています。

「私たちが『生きる意味があるか』と問うのは、はじめから間違っているのです。私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し、私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生が絶えずその時その時に出す問い、『人生の問い』に答えなければならない、答えを出さなければならない存在なのです。人生には、それ自体意味があるわけですから、どんな状況でも人生にイエスと言う意味があります。そればかりか、どんな状況でも人生にイエスという意味があるのです」(「それでも人生にイエスという」より)。

どんな状況の中にあっても、幸せか不幸せかは自分で決めることができる、ということですね。

聖書の神さまは、国が滅び、外国に奴隷として連れ去られた人々に向かって、預言者エレミヤを通してこう語られました。「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ20:11)

エレミヤの預言をフランクル風に言い換えれば、こうなります。「神さまはあなたを幸せにするとおっしゃいました。あなたが神さまに、『あなたは私を幸せにする気があるのか、ないのか?』と問うのは間違いです。神さまの方があなたに問うておられるのです。『あなたは私を信頼するのか、信頼しないのか?』と」。

私たちは、どんな状況でも幸せになることができます。それは、私たちの決断一つです。

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