釘を知らない村長

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(2011.1.2)

一人の宣教師が東南アジアの奥地を巡って伝道していました。ある村に着いたとき、村長が彼を家に呼び、話を聞いてくれることになりました。村長は村の中で大変重んじられていますから、もしも村長の心をとらえることができれば、村全体を福音化することも夢物語ではありません。宣教師は心の中で祈りながら、イエス・キリストのことを話しました。

村長は熱心に耳を傾け、宣教師の話を一つ一つ受け入れてくれました。創造主がいらっしゃること。その方に対して人間は罪を犯していること。罪を犯せばさばきを受けること。神はそれを望まず、人間を救おうとなさったこと。そのためにイエス・キリストが来られたこと……。

しかし、宣教師があれこれと説明しても、村長がどうしても理解できないことがありました。それは十字架でした。その村には鉄の道具が無く、人々は釘を見たことがありませんでした。ですから、十字架刑がどんなに苦しいものか想像できなかったのです。当然、イエスさまの命がけの愛ということも今ひとつぴんとこないようでした。

宣教師は困ってしまい、話を中断して食事をすることにしました。村長が心のこもったごちそうを出してくれましたので、宣教師もお礼に、祖国から送られてきたオレンジの缶詰を開けることにしました。

すると、その缶詰の中に、なんと釘が一本紛れ込んでいました。宣教師はそれを取り出すと、「これが釘です!」と叫び、村長の手首にそれをぐいっと押しつけました。村長はあまりの痛さに飛び上がりました。そして「イエスさまは、私のためにこんな痛みに耐えて下さったのか」と言い、その日イエスさまを心に迎え入れたのでした。

缶詰に釘が紛れ込んだのは、工場の大変なミスです。何でもないときなら、宣教師はその缶詰のことで閉口したかもしれません。しかし、この時の宣教師にとって、出来損ないの缶詰は神さまからのすばらしい宝物でした。

人を救うために、神さまは何でもお用いになります。あなたも、祈りつつ神さまの働きをするとき、様々な出来事が不思議に備えられていくのを体験することができるでしょう。

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