狭き門

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(2011.2.6)

インフルエンザが流行する中、受験生たちの戦いが本番を迎えています。あなたは受験生、あるいは受験生の家族でしょうか。体調を崩したりすることなく、100%の力を発揮することができるといいですね。

また、不況の中、就職したくてもなかなか職が見つからない人たちも多いと思います。

こんな状況を表すとき、「狭き門」という言葉が使われることがありますが、実はこれは聖書から来ています。

「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです」(マタイ7:13-14)

聖書の有名な言葉の中には、正確な使い方をされていないものがあります。今回紹介した「狭き門」もそうです。

一般に使われる「狭き門」という言葉は、有名大学とか安定した職場など、「みんなが入りたいので、競争率が激しくなって、なかなか入れない」という意味で用いられます。

しかし、イエスさまがおっしゃった元々の意味は、「神さまの救いというのは、一見無価値に見えるから、多くの人が無視してしまう」ということです。一般の使われ方とまったく逆ですね。

では、どうして無価値に見えるかというと、たとえば「救いは人間の努力によらず、神さまから一方的にただで与えられる」という点。

こんな話を聞いたことがあります。ある牧師のところに、悩みを抱えたおじいさんがいらっしゃいました。。そして、祈ってもらいました。帰りがけに「祈祷料はいくらか」と尋ねるので、牧師が「そんなものはいただきません。神さまの祝福はただなんですよ」と答えますと、そのおじいさん、「ただで効くわけがない」と怒って帰ったそうです。

神さまの救いは、受験や就職のように決して難しくはありません。あなたが「自分はこんなふうに救われたい」というこだわりを捨てさえすれば、そして聖書に記されている神さまの方法に従おうと決心しさえすれば、救いの門は今、あなたの目の前に開いています。

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