水がない

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(2012.8.26)

旧約聖書の民数記などには、エジプトを脱出したイスラエルの民が、何度も何度も神さまに対して不平を鳴らすという記事が記されています。モーセを通して神さまが様々な奇跡を行なわれたのを、彼らは何度も何度も目撃したにも関わらず、です。食べ物が毎日同じでつまらないとか、水がないとか、まあうるさいこと……。私は、そういうイスラエルの民のことを、どこかで「何だかなぁ」と批判的に思っていました。

さて、今年の夏は全国で酷暑となりましたが、ここ福島でも、連日猛暑日が続いています。東北では、今も東日本大震災の災害復興工事があちこちで続いていて、この暑い屋外で働く工事関係者や警備員さんたちをよく見かけますが、本当に頭が下がります。

私は、福島で開拓伝道を始めた頃、週日は警備員の仕事をしていました。ですから、酷暑の中の外仕事の大変さは、身をもって知っています。この時期は、いかにして水分を補給するかが問題でした。焼けるような日差しが降り注ぐアスファルトの上で、もしも水分を十分取らないで立っていたら、たちまち熱中症で倒れることになります。

ところが、現場が忙しい時などは、なかなか水分をとれない場合もあって、そんなときには、頭の中はただただ水のことばかりです。

中東の荒野は、日本とは比べものにならないくらい暑く、しかも乾燥しています。警備員の仕事を通して、イスラエルの人々が「水がない」と不平を鳴らした気持ちがよく分かるようになりました。

こうして、イスラエルの民を軽蔑する立場から、自分も同じようなものだ、いやそれ以下だという立場に身を置き換えてみると、民数記をはじめとする旧約聖書の記述が違った意味を持ち始めました。何度も何度もイスラエルの民が神さまに逆らった記録としてではなく、それにもかかわらず、何度も何度も神さまがイスラエルを赦し、祝福し、守り続けられた記録として読めるようになったきたのです。

私が何度神さまを裏切ろうとも、神さまは決して裏切られません。むしろ、祝福し続けてくださっています。なんという愛でしょうか。

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