神の栄光のために

トップページ聖書のメッセージ集2009年 > このページ


イザヤ書43章7節

(2009.1.4)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

私たちはユダヤ人ではありません。しかし、イエスさまを信じたとき、神の家族に加えられました。「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でもなく寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです」(エペソ2:19)。私たちもまた、「神さまの名で呼ばれる者」です。ということは、私たちも神さまの栄光のために造られました。「神さまの栄光のため」とは、どういうことでしょうか。

1.神の素晴らしさを味わう

神さまの栄光とは、神さまの素晴らしさのことです。

そして、神さまの素晴らしさについて私たちが知れば、私たちは感動します。神さまは、私たち神の子に、神さまの素晴らしさを味わわせ、それによって喜びや感動、幸せを感じさせるために、私たちをお造りになりました。神の栄光のためとは、そういうことです。

あなたは、最近、神さまの素晴らしさをどのように体験、目撃、実感なさいましたか? 神さまは、あなたが知っている以上に、素晴らしいお方です。それを、もっともっと知りたいと、いや、ただ頭で知るだけでなく、あなたの人生の中でそれを体験したいと、そう思いませんか?

神さまは、いやしの力をお持ちです。それをあなたの人生の中で、もっと体験したくないですか?

神さまは、どんな問題も祝福への踏み台になさるお方です。それをあなたの人生の中で、もっと体験したくないですか?

神さまは、人をきよめ、造り変えることのできるお方です。あなたは、それを自分の人生の中で、もっと体験したくないですか?

私は体験したいです。私は、神さまに「ついて」知りたいのではなくて、神さまご自身を知りたいのです。

ヨブは言いました。「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました」(ヨブ42:5)。それでも、ヨブは神さまのすべてを知ったわけではありません。私たちの神さまの素晴らしさは無限大です。あなたも私も、まだ神さまの素晴らしさの、ほんの一部しか体験していません。

ですから、今年1年、毎日祈ることにしましょう。「まだ私が知らないあなたの素晴らしさを、今日も味わわせてください」と。

そしてそれは、「神さま、あなたでしかできないようなやり方で、私を祝福してください」と祈っているのと、実は同じです。なぜなら、神さまは、ご自分の力や知恵を、私たちを困らせたり、滅ぼしたりするためではなく、祝福するために使ってくださるからです。

私たちは今まで、「祝福してください」と祈ってきました。それを、「神さまの栄光を私たちの生活の中で体験させてください」という意味で祈っていくことにしましょう。

2.神の素晴らしさを伝える

私が神さまの素晴らしさを知って喜ぶとき、神さまの栄光が現されます。しかし、喜んだ私がそれを家族や友人たちに伝えたらどうなるでしょう。さらに神さまの素晴らしさが多くの人々の前で明らかになります。さらに神さまの栄光が明らかになりますね。

神さまの栄光のために私たちが造られたというのは、私たちが知った神さまの素晴らしさを、他の人たちにも伝える使命が与えられている、ということです。

私たちは、自分が教えられたり、体験したりした神さまの素晴らしさを、どのように他の人に伝えることができるでしょうか。

そのまま体験談として話すことができますね。これを、キリスト教業界(?)の専門用語で、「証し」と言います。証しというと、礼拝などの集会で、多くの人の前で語られるものだけではありません。数人のグループの中で、あるいは一対一で語られるものも、素晴らしい証しになります。インフォーマルな場で語られる、個人的な体験談の方が、より相手の心にインパクトを与えることだって多いのです。

また、いやしとか奇跡とか、何かものすごいことがないと証しにならないように思う方もおいでかも知れません。しかし、そんなことはありません。神さまの素晴らしさが、ちょっとでも分かったなら、それを他の人に話してみてください。

クリスチャンではない人に語るのが、まだ抵抗を感じるということでしたら、最初は仲の良いクリスチャンの兄弟姉妹に話してみましょう。

文章にして配るという方法もあります。私がクリスチャンになりたての頃、知らない人と話をするのが苦手でしたので、自分の救いの証しをB5の紙1枚にまとめて印刷し、近所の家のポストに入れて回りました。

私がカウンセリングを勉強し、カウンセラーやセミナー講師になりたいと思ったのは、私のあるがままを愛し、素晴らしいと認めてくださり、期待してくださるイエスさまの愛を、直接・間接に伝えたかったからです。そして、これまでそうしてきたつもりです。

また、Windows95が登場する以前から、ネットを使って、イエスさまのメッセージを発信するということをしています。他の人たちのように、学問的なこととか、芸術的なものとかは発信できません。ただ、私が知っているイエスさま、私が見聞きしてきたイエスさまの素晴らしさを紹介してきただけです。

あなたにはあなたのやり方で、イエスさまの素晴らしさを表現し、それを他の人に伝えられるはずです。

第一のポイントで学んだように、まずあなた自身がイエスさまの素晴らしさに触れること。そして、それをとにかく表現してみること。文章であれ、音楽であれ、詩であれ、物語であれ、絵であれ、童話であれ、奉仕活動であれ、政治的な活動であれ、社会運動であれ、あなたにできるやり方で、イエスさまの素晴らしさを広めていくのです。

大切なことは、何をするにしても、神さまの素晴らしさができるだけ明らかになるためにする、ということ。その目的意識をしっかりと持つことです。

3.神の素晴らしさをほめたたえる

私自身が神さまの素晴らしさを知り、それを他の人にも伝えることで、他の人たちも神さまの素晴らしさを知ります。するとどうなるか、私も他の人たちも、みんな神さまのことをほめたたえます。「神さまってすごいなあ!」と。

これが礼拝です。私たちは何のために造られたかと言えば、神さまを礼拝するためなのです。それが、「私たちは神さまの栄光のために造られた」という3つ目の意味です。

今年は、個人の生活の中で、神さまをほめたたえる時間をたくさん持ちましょう。どれくらいという具体的な時間は言いません。「去年よりももう少し」です。

個人の生活の中で、神さまをほめたたえる方法はいろいろあります。一人で賛美歌を歌うという方法があります。ア・カペラだったり、賛美のCDに合わせて歌ったり、ギターなど楽器が弾ける方はそれを演奏したり……。また、以前も申し上げましたが、その日体験したり、聖書から学んだりした神さまの素晴らしさを、ノートに書き出していくというやり方もありますね。そして「神さま、あなたはこんなふうに素晴らしいお方なんですね」と祈りましょう。それが賛美であり、礼拝です。

そして、今年は、教会としての公の礼拝式も、もっと充実したものにしていきましょう。プログラムを充実させるということではありません。礼拝の心を充実させていくということです。

それは、皆さんに礼拝の心、神さまへの感謝が足りないという意味ではありませんよ。そうではなくて、神さまへの礼拝の思いに満ちた個々人が、バラバラに燃えているのではなく、「共同体」「集団」「グループ」として一つ思いとなって、まとまって燃えるようになりたいのです。

そのために……。

開始時間前に集まりましょう。

賛美は大きな声で。多少、音が外れてもいいです。美しく歌うことも大切ですが、それよりも、「神さまに向かって歌う」ということを意識して歌ってください。そして、この賛美歌は、神さまのどんなご性質やみわざについてほめたたえている歌なのかということを、意識しましょう。

一緒に礼拝している人たちのことも意識しましょう。それは、人の目を気にしなさいとか、ちゃんと礼拝しているか監視しなさいという意味ではありません。この人もあの人も、そして私も、それぞれに人生は違うけれども、同じお方に愛され、同じお方に赦され、救われ、きよめられ、訓練され、同じお方に信頼しているんだという思いを持って礼拝するということです。

まとめ

神さまの栄光を現す一年といたしましょう。そのために、あなたにできることは何ですか?

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

Copyright(c) 2009 Nakadoori Community Church All Rights Reserved.