心の一新

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ローマ人への手紙12章1〜2節

(2009.1.11)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

私たちは、神さまの手による芸術作品、神さまの子どもです。この世に一つしかない価値あるものです。どうせなら、神さまの子ども、作品としてふさわしい人生を味わいたいですね。

今日の箇所に心の一新によって自分を変えなさいと言われています。どのように自分を変えていくのでしょうか。

1.キリストのように行ない方を変える

知るとは行なうこと

神のみこころをわきまえ知るためにと言われています。ユダヤ人の言葉や文化の中で、「知る」というのは、単なる知的な情報を持っているということではありません。それは体験的な知識であり、行動を伴う知識です。

たとえば、「エスカルゴを知っている」というのは、「どうも、フランスではカタツムリを料理して食べるらしい」というのを知っているだけではなく、エスカルゴ料理を食べたことがあるとか、料理することができるというような意味です。

ですから、神さまのみこころをわきまえ知るというのは、神さまが私たちに何を望み、計画しておられるかを、単に頭で知るだけでなく、それに応じた行動をするということです。

私たちは変わっているだろうか

私たちは、この1年間でどのように変わったでしょうか。昨年の今頃と今とを比べてみてください。神さまのみこころにかなう行動が、どれだけできるようになりましたか? 神さまのみこころにかなわない行動を、どれだけやめられるようになりましたか?

また、クリスチャンになる前と今とを比較するとどうですか?

実行しよう

今あなたは、神さまがあなたに対して、何か「こうして欲しい」「これはやめて欲しい」と願っておられるのを感じておられますか? だったら、それを実行してください。

自分の言動の中で、神さまのみこころにかなっていない部分を見つけたら、それをみこころに添ったものに変えていく。これが「心の一新によって自分を変える」ということです。

イエスさまは、父なる神さまのみこころを知り、その通りに行動なさいました。イエスさまだったら、この時どう行動なさるだろうか。それを考えながら生活しましょう。

2.キリストのように感じ方を変える

行ないが変えるには

行動を変えるのは、簡単なことではありません。行動が自然に変わるには、感じ方が変わる必要があります。

たとえば、聖書は、「あなたの敵を愛しなさい」と命じています。敵というのは、戦争している相手というだけではありません。あなたが嫌いな人、あなたが苦手な人です。その人に親切にしなさいというわけですが、嫌いな気持ちがあるのに優しく接するのは、ものすごくつらいし、難しいですね。

でも、もしもその人に対する憎しみが弱まったり、その人を尊敬する気持ちがわいてきたりしたらどうでしょうか。きっと、その人に優しくしたり、親切にしたりするのは易しいことだと思います。

不安感でいっぱいのときには、初めてのことを積極的に実行したり、人と交わったりするのは難しいですね。でも、心が平安で満たされたなら、あるいは大丈夫感覚で満たされたなら、それらは易しいことだと思います。

神の愛するものを愛する

私たちが神さまのみこころを知って、その通りの生き方ができるようになるには、私たちの感情が、それにふさわしいものに変えられていく必要があります。

私たちは、神さまが愛するものを愛し、神さまが嫌うものを嫌わなければなりません。

イエスさまはそうでした。父なる神さまは、私たちを愛し、好いてくださっています。本来罪人であり、神の敵にもかかわらず。そして、イエスさまも、父なる神さまがそう感じておられるように、私たちを愛し、好いてくださっています。

また、父なる神さまは罪を憎まれました。ですからイエスさまも罪を憎んでおられます。罪が私たちを滅ぼすのをよしとなさいませんでした。そうして、罪の罰を身代わりに負って十字架にかかり、また復活をして、罪の罰である死に勝利してくださったのです。

祈ろう

しかしながら、感情というのは、なかなかコントロールできません。腹が立つものは腹が立つし、怖いものは怖いのです。

ですから、「人にできないことが神にはできる」とおっしゃる神さまに、自分の感情を変えてくださるよう祈りましょう。あなたの内に住んでくださっている神の聖霊が、あなたを造り変え、あなたの感情をみこころにかなったものに変化させてくださいます。

「あなたが愛しておられるあの人を、私が好きになれますように。尊敬できますように」と祈りましょう。

「この誘惑の種に対して、私が嫌悪感を持つことができますように」と祈りましょう。

「あなたと人々に仕えるこの奉仕を、心から楽しめる心を与えてくださいますように」と祈りましょう。

イエスさまが感じておられるように、神さまや世界や自分自身について感じることができるように、神さまが私たちを変えてくださいますように。

3.キリストのように考え方を変える

感じ方が変わるには

神さまは、どのようにして私たちの感じ方を変えてくださるのでしょうか。それは、私たちの「考え方」を変えることによってです。考え方というのは、物事の受け取り方、解釈の仕方、意味づけの仕方です。

誰かに何かを言われて腹が立つのは「バカにされた」と考えるからです。でも、もしも「大切なことを教えていただいた。これは、私の成長を期待してくださっているからだ」と受け取れば、ありがたい気持ちになりますね。当然、感情が異なれば、それに伴って行動も変わってきます。

人や状況があなたの感情を決めるのではありません。それをどう受け止めるかという、考え方が感情を決めているのです。

そして、イエスさまは、父なる神さまのみこころにかなう「考え方」をしていました。たとえば、当時の常識では、安息日に人をいやせば非難され、下手をすれば異端者としてひどい目に遭うことが分かっていても、必要のある人たちを即座にいやされました。それは、迫害者よりもはるかに強い父なる神さまが、ご自分の魂を守ってくださると考えておられたからです。

「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です」(マタイ10:28-31)。

私たちも、神さまのみこころにかなう考え方をしていきたいものです。

考え方は習慣

さて、私たちの考え方、物事の受け取り方、解釈の仕方というのは、小さいときからの習慣によって身についてきました。いわば、癖のようなものです。

Aさんは、何かをしようとすると、不安感でいっぱいになってしまいます。そこで、引っ込み思案な生き方になってしまっていました。実は、Aさんのご両親は、とても心配性で、Aさんが子どもの頃、何かしようとすると、すぐに心配して「ダメダメ、危ない」というふうに、禁止されていたのです。

こうして、「この世は大変な、怖いことばかり起こるところだ」とか、「大変な問題がやって来ても、とうてい私には対応できるだけの力がない」というような思い込みを持つようになってしまったのです。こういう考え方が、何かをしようとしたときに、大きな不安感を生み出し、またその不安感が、消極的な生き方を生み出していたんだということが見えてきました。

しかし、クリスチャンになったAさんは、神さまが自分を愛し、守り、支えてくださること、そして、自分に力が無くても、神さまが力をくださること、さらに、たとえ問題に直面したとしても、それを祝福に変えてくださることを知りました。

そこで、自分の思い込みを、神さまのみこころにかなう考え方に修正することにしたのです。何度も何度も自分に聖書の言葉を言い聞かせました。すると、だんだんと、不安感から解放され、それに伴って積極的な行動もできるようになりました。

また、Aさんは、自分の不安感が、親の心配性のせいだということが分かって、一時、両親に対して強い恨みを抱くようになってしまいました。それは「自分は不幸だ。この不幸は両親のせいだ」と考えたからですね。感情は考えが生み出すのですから。

しかし、これもあるとき、こんなふうに考え直しました。「将来のことを先取って考えて不安になるこの性格は、はたしてまったくダメなものなんだろうか。むしろ、先見性があるとか、危機回避能力が高いという長所も、私の中にあるということを意味していないだろうか。そもそも、神さまが私を不幸にするわけがない」というふうに。すると、両親への恨みの気持ちも次第に手放すことができるようになっていったのです。

練習しましょう

考え方というのは癖のようなものです。無意識にやっていますから、それになかなか気づけません。そして、気づいても、それを修正するのには時間がかかります。練習が必要なのです。

頭の中でごちゃごちゃ修正しようとしても、なかなかうまくいきません。紙に書き出してみましょう。腹が立ったとき、イライラするとき、不安になったとき、恐れを感じるとき、罪責感に苦しむとき、虚しさを感じたとき、おっくうな気持ちになっているとき……どんなふうに考えたら、こういう気持ちになれるだろうかと考えてみます。

そして、それを紙に書き出しましょう。紙に書いてそれを眺めると、変だと分かりますから。

それから、その考えにバッテンをつけて、その隣に、神さまのみこころにかなう、新しい考え方を書き出します。

そうして、それを何度も何度も読んでください。できたら、声に出して読むといいです。自分自身を「これがホントなんだよ」と説得するのです。

時間はかかるでしょう。すぐには気持ちが変わらないかも知れません。しかし、こうして、何度も何度も神さまのみこころをインプットしていくと、いつの間にか、今度は新しい考え方の方が無意識にできるようになっていきます。すると、自然と新しい感じ方ができるようになり、これまた自然に新しい行動ができるようになるでしょう。

「心の一新によって」自分を変えなさいと聖書は言います。「心の一新」とは、考え方を変えるということです。あなたの中に、神さまのみこころにかなわない考え方が眠っているのに気づいたら、それがどんなにもっともらしい考え方であったとしても、神さまの考え方の方に、即座に修正しましょう。それが、あなたの感じ方、そして生き方を変えていきます。

まとめ

この一年も、ますますイエスさまのように考え、感じ、行動することができますように。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。


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