幸いを得る道

トップページ聖書のメッセージ集2009年 > このページ


哀歌3章25〜27節

(2009.1.18)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

この3つの節は、原語のヘブル語ではいずれも「トーブ」という言葉で始まっています。トーブとは、「良い」とか「幸いだ」とかいう意味です。エルサレム滅亡という悲しむべき出来事の中で、それでも哀歌の作者は幸せについて語りました。

あなたも今がどんな状況であったとしても、必ず幸せになることができます。この3つの節から、その秘訣を学びましょう。

1.主を待ち望む

大きな期待

「主を待ち望む」とは、私の信じている主イエスさまは、
  • 私の人生の中で、信じられないような祝福を与えてくださる。
  • 考えられないような奇跡を味わわせてくださる。
  • 大きな喜び、感動で満たしてくださる。
そんなふうに期待しているということです。

この前の聖書研究会で、ヨハネ9章を学びました。生まれつき目の見えなかった盲人が、イエスさまによって目をいやしていただいたところです。

参加者の一人が、「目を泥に塗られた時にはいやされなかったのに、その後この人は、何十分も歩いてシロアムの池まで歩いて行きました。どうして途中であきらめずに、歩き続けることができたのでしょうか」という感想を漏らしました。そして、きっとそれだけ、イエスさまが必ずいやしてくださるという期待が大きかったのだろうと、話し合いました。

あなたは、イエスさまにどれだけ期待していらっしゃいますか?

信頼が必要

イエスさまが私たちの人生を圧倒的に祝福してくださり、幸せへと導いてくださると期待するには、イエスさまに対して「3つの信頼」を持つ必要があります。
知恵
まず、イエスさまへの知恵への信頼。イエスさまは、私がどうなれば本当に幸せになるのかということを、ちゃんと分かっておられるということです。私たちはそれを信じなければなりません。
次に、イエスさまの力への信頼。どんなに素晴らしい解決策を持っていても、それを実行できなければ、解決策を持っていないのと同じです。イエスさまは何でもすることができる。イエスさまは、どんな妨害にもかかわらず、私を幸せにできる。場合によっては、自然法則に反するような奇跡を行なってでも、その解決策を実行できると信じなければなりません。
そして、イエスさまの愛への信頼。どんなに知恵があり、力があったとしても、私のことが大嫌いで、私を滅ぼそうと考えておられたらどうでしょうか。イエスさまに知恵と力があるというのは、帰って恐ろしいだけです。だって、決して逃げ隠れできないのですから!

イエスさまが、私を愛し、私を本気で幸せに氏たちと願っておられる。私たちはそう信じなければなりません。

信頼に応える神

いつの間にか、私たちの方が神さまよりずっと賢くて、良い計画を持っていると信じていませんでしたか? 神さまは最高の計画をお持ちだと信じましょう。

いつの間にか、神さまの力を、私たちの小さな常識の枠の中に制限してはいませんでしたか? 神さまは、私たちが想像するよりもずっとずっと大きな力をお持ちだと信じましょう。

いつの間にか、神さまはこんな私なんかを助けてくれるものかと、神さまの無条件の愛に反するような信念を持っていませんでしたか? 神さまの無限の愛を信じましょう。

聖書の原則は「あなたの信じたとおりになるように」です。聖書に従って、神さまの知恵・力・愛を信じて期待するなら、神さまはその信頼に喜んで応えてくださいます。主を待ち望みましょう。

2.主の救いを黙って待ち望む

祈るなということではない

聖書を読んでみると、神さまを信じる人たちが、自分の窮状を神さまに訴えている場面が何度も出てきます。神さまはそれを戒めておられません。それどころか、御子イエスさまでさえ、ゲツセマネの園で、苦しみもだえながら父なる神さまに祈っておられます。

教会によっては、静かに心の中で祈る伝統の所もあるかもしれません。しかし、たまには声に出して祈ってみましょう。それはそれでなかなかいいですよ。

「黙って待て」というのは、祈るなということではありません。「神さまは祈りに応えて、神さまが最もいいとお考えのタイミングで事を行なわれるから、それを待ちなさい」という意味です。

神の時

伝道者の書には、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道者3:11)と書かれています。私たちは、祈ったことが今すぐその通り実現して欲しいと思います。しかし、知恵と愛に満ちた神さまは、最もふさわしい、見事と言うべき絶妙のタイミングで事を行なってくださいます。

ある教会では、古い会堂が手狭になったため、新しい土地と会堂が購入できるよう、何年も何年も祈り続けていました。ところが、どういうわけか、うまくいきそうになるたびに、なぜか道が閉ざされるということが続き、なかなか実現しないのです。それでもあきらめないで祈り続けた結果、ついに会堂建築に踏み出すことができました。

建設会社は入札で選びましたが、落札した会社は、前の年に手抜き工事が発覚して社会的に大問題になり、経営陣を一新して出直し営業を始めたばかりでした。そして、最初に手がけたのがこの教会の工事だったのです。宗教施設を建設することで、心を入れ替えてやり直しますと言うことを、社会にアピールしたかったのでしょう。

そのため、儲けは度外視して、考えられないような安値で請け負ってくれました。当然のことながら手抜きなどは一切なく、ていねいすぎるほどの施工をしてくれたのです。

待つ力が与えられますように

神さまは、ベストなタイミングをご存じです。ですから、私たちは、神さまに「急いでくださいね」とお願いするのはかまいませんが、最終的には神さまの時を待たなければなりません。

そうはいっても、なかなか待てないのが私たちです。今の状況が苦しければなおさらです。そこで、「待つ力が与えられますように」と神さまに祈りましょう。

3.若い時にくびきを負う

くびき

くびきは、ここでは無理矢理負わされてしまった苦しみや不自由を表しています。あなたは今、何かの「くびき」を負わされていませんか?

なぜ良いのか

苦しみは嫌なものです。できれば味わいたくなんかありませんね? しかし、哀歌の作者は「くびきを負うことは良い」と歌います。

それは、苦しみは嫌なものだけれど、私たちに大切なものをくれるからです。

苦しみを味わうことで、私たちはより大きなストレスや問題に耐え、それを乗り越えるだけの「心の筋力」を鍛えられます。そして、そうやって手に入れた心の筋力は、他の人を慰め、励まし、助ける力になります。また、苦しみは、他の人たちの苦しみに対する、深い共感力を養います。
主との関係を見直すきっかけ
そして、哀歌の作者がここで言う「良いこと」とは、苦しみが、私たちとイエスさまとの関係を見直すきっかけになるということです。

神の民イスラエルは、長年にわたって神さまに反逆した結果、バビロンによって国を滅ぼされ、多くのユダヤ人が捕囚となり、バビロンの都に連れ去られました。哀歌はその悲劇の中で作られた歌です。

しかし、哀歌の作者は、ただ自分たちの不幸な境遇を悲しんでいるのではありません。この悲劇が、自分たちの罪のために起こったのだということを告白し、悔い改め、神さまとの関係を正すよう勧めています。

間違えないでください。すべての苦しみが罪の結果起こるわけではありません。迫害のように、神さまに忠実に従った結果として起こる苦しみもありますし、一方的に嫉妬されて受ける苦しみもあります。しかし、ある種の苦しみは、神さまとの関係がおかしくなった結果として起こります。

ですから、苦しみに遭うとき、私たちは神さまとの関係がどうだっただろうかと考え直す機会を持ちましょう。関係が正しければ、さらに確信を持ってその道を進むことができますし、間違っていれば正すことができます。いずれにしても、苦しみによって神さまとの関係を見つめ直すことは、私たちの幸せにつながります。

若い時とは

所で、若さとは年齢のことではありません。年寄りの特徴の一つは、頑固になり、柔軟性が無くなり、新しいことを学べなくなることです。たとえ年齢を重ねていても、柔軟に新しいことを学ぶ心を持っている人は、若い人です。

苦しみに遭ったとき、その意味を柔軟に考え、そこから多くの心理を学ぶことができる人は幸いです。その人は、年齢がいくつであったとしても、神さまから多くの祝福をいただくことができます。

まとめ

神さまとの関係、イエスさまとの関係を正しくすることが、幸せへの道です。あなたとイエスさまの関係はいかがですか? もしも、正すべき点を神さまが示してくださったら、すぐに悔い改めて方向転換しましょう。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。


Copyright(c) 2009 Nakadoori Community Church All Rights Reserved.