あなたたちは生き返る

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エゼキエル書37章1〜6節

(2009.2.8)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

イスラエルの人たちは、バビロンによって滅ぼされ、バビロンの都に捕囚されました。彼らは、自分たちが神さまに見捨てられ、死んだも同じだと絶望していました。その彼らのために、神さまはエゼキエルを通して、枯れ骨が復活する幻を見せ、「このようにイスラエルはよみがえる」と励まされました。

あなたは今、様々な苦しみ、悲しみ、虚しさ、罪責感、絶望などで死んだようになっているでしょうか。神さまは、あなたに「いのち」を与えてくださいます。

今、エゼキエルを通して語られる、神さまの勧めに耳を傾けましょう。どうしたら神さまからのいのちを我がものとすることができるでしょうか。

1.期待しよう

あなたに約束されているもの

神さまがいのちをくださるとはどういうことでしょうか。それは、

(1) 神に愛され、神と交わる祝福
(2) 人と互いに愛し合い、支え合う祝福
(3) 生活が具体的に変えられる祝福
(4) 明確な人生の目的が与えられる祝福

を与えられるということです。

神のみこころ

神さまのみこころは、あなたがいのちを獲得して、上述の4つの祝福を味わうことです。神さまは、相手が悪者であったとしても、その死を喜ばないとおっしゃっています。かえって、その人が生きることを喜ぶ、と(33:11)。

これが私たちの信仰生活の土台です。「いのちを与えることを渋っている神さまに、いいところを見せてその気にさせ、いのちの祝福を奪い取る」のが信仰生活ではありません。しかし、人はしばしばこういう間違った信仰の態度を身につけてしまいます。これを「律法主義」と言います。

神さまは、いのちを与えたいのです。それを土台として求めましょう。

求めよう

神さまが約束しておられる霊的ないのち、永遠のいのちを求めましょう。4つの祝福を味わうことができるよう求めましょう。神さまは与えたいと願っておられます。ですから、「くださるのですね、ありがとうございます」というふうに、感謝をこめて求めましょう。

2.悔い改めよう

バビロンに捕え移されたイスラエルの人たちは、自分たちの罪深さの故に、神さまにさばかれたのだと思いました。そして、絶望していました。しかし、神さまは、エゼキエルを通して、神さまが彼らを見捨ててしまったのではないということを伝えます。彼らには、まだチャンスが与えられていました。

神さまはおっしゃいました。「悔い改めなさい」。そうするならば、神さまの赦しは彼らのものとなり、彼らは再び神さまからの祝福を堂々といただくことができるようになるのです。

罪を認めること

悔い改めとは何でしょうか。まず第一に、罪を認めることです。罪とは、神さまの方を向いていないことです(的外れという意味があります)。

罪とは、神さまが喜ばれないような、悪いことをすることだけではありません。たとえば、神さまに愛されていることを信じないのも罪です。神さまはその人を愛しているのに、その神さまの思いを第一としないで、「愛されていないような気がする」というその人自身の思いを第一としているからです。

十字架のみわざを知り、信じること

第二に、悔い改めとは十字架のみわざを知り、それを信じることです。十字架のみわざとは、イエスさまが私たちの罪の罰を、身代わりに負ってくださり、そのおかげで、私たちが神さまの罰を受けることが無くなったということです。

そして、私たちは神さまの子どもとなり、神さまに大いに祝福される身分となりました。それを知り、受け入れること。これが悔い改めの二番目のステップです。

いつまでも自分を責め続けるのは、聖書的な悔い改めではありません。それは、「あなたをそのままで赦す。そして祝福する」とおっしゃる神さまのみこころと、イエスさまの十字架のみわざをないがしろにすることです。

信仰告白すること

第三に、悔い改めとは、信仰告白することです。自分は罪人だったけれど、イエスさまのおかげで、すべての罪が赦されたこと、そして神さまの子どもとなり、神さまに大いに祝福される運命なんだということを口に出して、誰かに告白することです。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです」(ローマ10:10)。

3.伝えよう

語れ

神さまは、絶望しているイスラエルの人たちに、神さまがいのちを与えようとしていること、それはどんな人にも与えられるものだ(たとえ悪者であっても!)ということを知って欲しいと願われました。そのために、エゼキエルが遣わされたのです。神さまは、エゼキエルに「枯れ骨に向かって語れ」と命ぜられました。

この時代も、いのちあふれた人生を神さまが与えようとしているということを、人々に伝えるメッセンジャーが求められています。それは、既に救われ、4つのいのちの祝福を味わっている私たちの使命です。

あなたが他の人々に、神さまがいのちあふれる人生を与えてくださると証言し、人々が神さまを信じて、彼らもいのちあふれる人生を与えられたとき、あなたは言いようもない充実感や喜びを体験することでしょう。いのちの4番目の側面は「人生の目的」でしたね。あなたがいのちのメッセージを人々に伝えるとき、自分はまさにこのために生かされているんだということを実感なさるのです。

4つのいのちと4つの使命

私たちは、どのようにして、この神さまからのメッセージを証しすることができるでしょうか。まず、生活を通して証ししていくことができます。私たちが、既に学んだ4つの祝福を味わうとき、人々は自分もそうなりたいと思い、私たちの語る言葉に耳を傾けるでしょう。

言葉による証し

そして、言葉による証し。自分がいかにイエスさまを信じて祝福されたか、教会の交わりや働きに参加することで生き生きとすることができているか、それを語るのです。伝道の基本は証しです。何も、難しい神学論議を持ち出す必要はありません。

さらに可能であれば、イエスさまの十字架による救いについて分かりやすく説明し、人々に罪を悔い改めて信じるよう決断を促す伝道方法についても身につけていただきたいと思います。

まとめ

悔い改めによって、日々永遠のいのちの喜びを体験し、そしてそれを他の人たちに言葉と態度によって伝えていきましょう。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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