もしそうでなくても

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ダニエル書3章14〜18節

(2009.2.15)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

バビロンのネブカデネザル王が、大きな金の像を造りました(バビロンの神々の一人を形作ったものか、自分自身の像なのかは分かりませんが)。そして、これを拝むように命令しました。しかし、捕囚されたユダヤ人、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの3人は、命令を無視し、金の像を拝みませんでした。それを密告する者がいて、3人は捕らえられました。

ネブカデネザル王は、彼らに最後のチャンスを与えましたが、彼らは金の像を拝むことを、拒否しました。そこで、3人は燃えさかる炉の中に投げ込まれましたが、炎の中に第4の人物が見え、3人はまったく無事に炎の中から出てきました。王は、彼らを赦すと共に、ユダヤ人の信仰を尊重する旨の布告をしました。

私たちも嫌なことを無理やりさせられることがあります。そんなときどのように対応すればいいか、シャデラクたちの行動に学びましょう。

1.コントロールから抜け出そう

シャデラクたちは、王に脅されました。言うことを聞かないと殺すぞ、と。こういう脅し、コントロールは分かりやすいですね。しかし、中には分かりにくいコントロールもあります。

コントロールの方法

まず、強さを使ったコントロール方法があります。暴言、暴力、脅しなど、相手の不安感や恐怖心をあおって動かそうとするやり方ですね。

一方、弱さを使ったコントロール方法もあります。涙や、弱々しい態度ですね。たとえば、Aさんが私にして欲しいことがあるとします。ところが、私がそれをしてあげなかったとき、Aさんが泣き出しました。すると、私は泣かせてしまった罪責感で嫌な気持ちになって、「しょうがない、言うとおりにするか」というふうに思うかもしれませんね。

また、愛情を使ったコントロールというのもあります。「私がこれをしてあげるから、代わりにあなたはこれをしてね」というふうに、ストレートに交渉するのではなく、一方的に頼まれもしないことをして、相手から「こんなにしてもらって悪いなあ」という負い目の気持ちを引き出し、「本当は嫌だけど、しょうがない。今度はこちらがやってあげるか」という思いにさせる方法です。

嫌な感情を使うコントロール

人を動かすこと自体は不健全でも、病的でもありません。しかし、恐怖心や不安感、罪責感や負い目といった嫌な感情を引き出して利用するようなやり方は、あまり良い方法とは言えません。

誰も嫌な気持ちにはなりたくありませんから、相手はこちらの思い通りに動いてくれるかもしれません。しかし、嫌な気持ちにさせる人のことを、私たちは好きにはなれませんね。こういうコントロール方法では、関係は切れてしまうことでしょう。

気づいて離れる

何となく人間関係が窮屈に感じたら、相手から無理矢理動かされようとする力が働いているからかもしれません。まずは、コントロールに気づくことです。

そして、無理矢理コントロールされることを拒否しましょう。

シャデラクたちは、王の脅しに屈する形で、嫌々ながらに偶像を拝むことを拒否しました。彼らは、「このことについて、あなたにお答えする必要はありません」と語り、偶像礼拝をしたくないという自分の信念を捨てることを拒否したのです。

ただし、それは、何でもかんでも相手の依頼や願いを無視しろということではありません。最終的に相手の思い通りに行動するとしても、大切なことは、あなた自身が納得して行動するということです。

私たちは奴隷ではありません。神の子どもたちは自由なのです。

2.神の助けを期待しよう

反発は覚悟する

相手のコントロールを脱しようとすると、当然のことながら反発を招きます。シャデラクたちは、言葉通りに燃える炉の中に投げ込まれました。

相手の期待に添わなければ、嫌みを言われるかもしれません。いろいろな攻撃を受けるかもしれません。居心地の悪い思いをしなければならないかもしれません。それは覚悟しなければなりません。

神の助け

シャデラクたちは、脅しをかける王に対して、そんな脅しは恐れていないと語りました。なぜなら、たとえどんなに熱い炉の中に投げ込まれたとしても、神さまは自分たちを救う力をお持ちだと信じていたからです。

15節で、ネブカデネザル王は、シャデラクたちに語っています。「どの神が、私の手からあなたがたを救い出せよう」。これは、シャデラクたちに対する挑戦ではなく、聖書の神さまに対する挑戦でした。だからシャデラクたちは、「私たちの信じる神さまが、それをする」と宣言したのです。

パウロが回心する前、教会を激しく迫害していました。ある時、彼は光に打たれて倒れてしまいます。天からイエスさまが彼に語りかけました。「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ」(使徒26:14)。そしてパウロは救いに導かれました。

私たちクリスチャンを攻撃することは、神さまに敵対することです。ですから、神さまは決して傍観してはおられません。神さまご自身が敵対する人に対して、何かをしてくださいます。

ただし、パウロは滅ぼされませんでした。神さまは力であると共に、愛でもあります。愛と力を持って、敵対者に働いてくださるのです。それを信じましょう。

信じられないときもある

しかし、私たちは、恐れに負けてしまったり、居心地の悪さに耐えきれなかったりして、相手のコントロールに屈してしまうこともあるでしょう。たとえそういうことがあったとしても、自分を責めないでください。

イエスさまは、十字架で私たちのすべての罪を取り除いてくださいました。神さまは、私たちの信仰の弱さをご存じであり、それを赦してくださっています。何度でも何度でも、やり直しさせてくださいます。

神さまは、私たちを地獄の罰で脅して、ご自分に従わせようとはしておられません。私たちが、喜んで、自発的に従うことを願っておられます。だから、何度失敗しても、私たちを滅ぼすのではなく、やり直しのチャンスを与え続けてくださるのです。

過去の失敗ではなく、現在の信仰の戦いに集中しましょう。

3.意味づけをしよう

もしそうでなくても

シャデラクたちは、「神さまが自分たちを救い出してくださるだろう」と宣言した後で、「もしそうでなくても、自分たちは偶像を拝まない」と言いました。たとえ、神さまが助け出してくれず、自分たちが焼け死ぬことになったとしても、という意味ですね。

彼らは、神さまが自分たちを救い出してくださるから、王に逆らったわけではありません。自分たちが死ぬか死なないかに関わらず、とにかく自分たちは偶像礼拝をしない、と言ったのです。

神さまをコントロールしない

彼らがそう言ったのは、神さまには自分たちを炎の中から救い出す力があるけれど、その力を使って、実際に命を救い出してくださるかどうかは、神さまがお決めになることだということです。

彼らは、自分たちが無理矢理コントロールされることを拒否しましたが、神さまをコントロールすることもしませんでした。

私たちは、神さまにお願いすることはできます。しかし、こうしろと命じたり、こうなるはずだと勝手に神さまの行動を決めつけたりすることはできません。

それは、神さまだけでなく、他の人に対してもそうです。私たちは、神さまや他の人に対して、お願いすることはできます。しかし、コントロールすることはできないのです。

意味づけ

では、なぜシャデラクたちは、たとえ殺されることになったとしても、金の像を拝まないと言ったのでしょうか。それは、偶像を拝まないことが、意味あることだと信じていたからです。

聖書は、繰り返し偶像礼拝を禁じています。それは、神さまを悲しませることだからです。

偶像礼拝というのは、一緒に住んでいる妻がいるのに、その妻のいる前で、フィギュアの人形に向かって「君は僕の大切な奥さんだよ」と言うようなものです。当然奥さんは激しく傷つき、悲しみますよね?

聖書の神さまに愛され、救われ、祝福されているのだから、この方のみを礼拝することは意味あることだ、当然だとシャデラクたちは考えました。それは、自分の命をかけても曲げられないことだと思いました。だから、

私たちは、すべての言動について、深く考え、意味を見いだして行動しているわけではありません。しかし、時々立ち止まって、「これは本当に行なう価値のあるもの、意味のあることだろうか」と考えてみることが必要でしょう。

人から動かされる人生ではなく、神さまが与えてくださった自由の中で、意味あることを行ないながら生きていきたいものですね。

そして、人に動いてもらいたいときも、力や弱さを使って、無理矢理動かそうとするのではなく、何をして欲しいかを説明し、そうして欲しい理由、すなわち意味を説明してから、お願いしましょう。絶対に思い通りになるというわけではありませんが、無理にやらせようとするよりも、ずっと成功率が上がるはずです。

まとめ

相手や自分の自由を奪うようなコントロールを、したりされたりして来ませんでしたか? 嫌な感情を使ってコントロールされることを拒否しましょう。また人や神さまを無理矢理動かそうとするのもやめましょう。お互い、やる意味を知り、納得ずくで行動できるようにしたいですね。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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