選ばれた者として

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ペテロの第一の手紙1章1〜2節

(2009.3.1)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

私たちは、選ばれた者として、恵みと平安に満ちあふれることができます。それでは、選ばれた者とはどういう存在なのでしょうか。

1.キリストの血の注ぎかけを受けるように

血の注ぎかけ

血の注ぎかけとは、罪が赦され、不完全な今の姿のままで、神さまに受け入れられ、祝福されるということです。

この表現は、旧約聖書に書かれている「犠牲の制度」が背景にあります。本来、罪があって不完全な人間は、きよくて完全な神さまの前に出ることはできませんでした。罪は罰せられなければなりません。

そこで、動物が人間の身代わりに血を流し、死ぬことで、神さまは人の罪を赦し、そのままの姿で受け入れてくださるようにしたのです。

イエスさまは、完全な犠牲として、ただ一度十字架で血を流し、死んでくださいました。ですから、もはや動物犠牲は必要なくて、私たちはそのままの姿で神さまに近づくことができるようになったのです。

情けなくても

ですから、たとえ自分で情けないと思っても、他の人が責めたとしても、今の自分の現状を認めなければなりません。

自分の現状を認めることが、成長の第一歩です。現状を責めているうちは、成長・変化することはできません。いったん自分の現状を認め、「じゃあどうしようか」と考える人が、変化・成長できるのです。

イエスさまの十字架の血潮は、それを可能にします。たとえ自分の良心が責めたとしても、他の人が責めたとしても、神さまは、イエスさまの十字架によって、私たちの情けない現状を受け入れてくださっています。ですから、私たちも自分の現状を認めることができるのです。

赦しとは、どうでもいいことではない

赦されているというのは、何をやってもいいということではないし、何をしなくてもいいということでもありません。私たちが何を目指していくか、本来私たちがどんな存在でなければならないかということも、忘れてはいけません。

どこから外れたかが分からなければ、赦しも存在しません。

2.イエス・キリストに従うように

あらゆる領域で

私たちが本来あるべき姿。それは、イエスさまに完全に従っている状態です。そして、イエスさまに従うというのは、イエスさまのようになるということです。イエスさまの弟子たちは、イエスさまに従っていきましたが、イエスさまが語るように語り、イエスさまがなさるように行動するようになっていきました。

私たちは、生活のあらゆる領域で、イエスさまに従うようにならなければなりません。イエスさまに従い、ささげていくごとに、私たちの心は、平安・喜び・感動・充実などが満ちてきます。

従順には犠牲が伴う

従順であるということは、何かをささげるということです。「自分のもの」としてしっかり握っていることを手放すことです。

成長の誓い

イエスさまのように変えられていくのに、「自分のもの」をささげる習慣を身につけましょう。そうすれば、ここぞというときに、犠牲を払ってイエスさまに従うこともしやすくなります。

その習慣とは、
  1. 日ごとに、聖書を読み、祈ること
  2. 週ごとに、集会に出席し、他の信者と交わり、奉仕すること
  3. 月ごとに、収入の一部をとりわけ、ささげること

です。すなわち「自分の時間、自分の愛、自分の体力、自分の富などをささげる習慣を付けるということです。

3.父の予知と御霊の聖めによって

父の予知

神さまは、私たちがこの世に存在するずっと以前から、私たちのことを知り、私たちがクリスチャンになることを知っておられました。私たちは、昨日今日の私たちの努力や才能によって救われたわけではないのです。

御霊の聖め

そして、ただ単に神さまは知っておられただけでなく、私たちが救われ、祝福されるように、行動を起こしてくださいました。神の聖霊が私たちの心に働きかけ、悟りを与え、イエスさまに従うことができるように造り変えてくださるのです。

私たちのすべきこと

ですから、私たちが努力しなければならないのは、神さまのじゃまをしないことです。神さまが自由に働くことができるように、よけいなものを取り除くことです。

それは、第一に「成長したい、イエスさまのようになりたい」と祈ることです。聖霊は、私たちをイエスさまに従うしもべとして造り変えたいと願っておられます。それによって、私たちを解放し、平安や喜びに見対したいと。

しかし、聖霊は紳士ですから、私たちの思いを無視して、強制的に造り変えようとはなさいません。ですから、「私もあなたと同じ思いです。イエスさまに従うことができるように造り変えられたいのです」と祈る必要があります。

第二に、罪を示されたとき、イエスさまに従っていない部分を見せられたときには、どんなに情けなくても、痛くても、それを無視しないで、「そうです。これが私です」と認めましょう。

そして、第3に、「私の思うとおりではなく、あなたの思うとおりに、私を造り変えてください」と祈りましょう。私たちには、「こういう人生を歩みたい」「こういう人間になりたい」という好みがあります。しかし、「神さま、あなたの好きなように私を造り変えてください」と祈るのです。

まとめ

選ばれた者として、これからも歩み続けていきましょう。あなたの人生に、平安や喜び、感動や充実が満ちあふれます。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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