すでに達しているところを基準に

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ピリピ人への手紙3章12〜16節

(2009.3.8)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

この前、次女が教育委員会からの手紙を持ってきました。そのとき、ピリピ3:16も増田家家訓十箇条の中に入れました。ここは、2003年のテーマ聖句でもありました。さらに新鮮な思いでこの箇所を味わいましょう。

パウロは、2つの方向を見据えながら生きていました。そして、それが、クリスチャンとしての祝福を生み出します。2つの方向を見据えるとはどういうことでしょうか。

1.前に向かって進もう

イエスさまのような人格

パウロは、「ひたむきに前のものに向かって進み」と語っています。彼は、前を見据えて生きた人、すなわち大きな幻を描き、それを目指して生きた人でした。しょせん自分の人生はこんなもんだと、安値安定で満足することをしませんでした。

彼は、自分がもっと人として、神の僕として成長できると信じていました。あのイエスさまのような、すばらしい人格に近づくことができる。今より、もっと聖くなれる、もっと愛にあふれることができる、もっと勇気を持てるようになる、もっと前向き・肯定的になれる、もっと勤勉になれる、もっと知恵に満ちることができる、もっと大胆になれる、もっときめ細やかな心配りができるようになる……。

あなたが人としてどんな可能性を秘めているか知りたければ、福音書を読みましょう。特に、ルカの福音書がお勧めです。そして、そこに描かれているイエスさまをイメージしましょう。それが、あなたのモデルです。あなたは、イエスさまのようになれます。

奇跡に満ちあふれる人生

また、パウロは、自分の人格がイエスさまのように造り変えられると共に、自分の努力によって達成できるようなレベルの人生ではなく、神さまが人生に介入してくださり、奇跡に満ちあふれた人生を送ることを、彼は求めていました。

特に、神さまの大いなるみわざが、パウロが神さまのしもべとして働く働きの中で、豊かに現されることを求めていました。

もっともっと神さまのすばらしさを知りたい。頭で知っているだけでなく、そのすばらしさを具体的に体験したい。そして、そのすばらしい神さまのために、質的にも量的にも、もっともっとすばらしい働きをしたい。そのために、もっともっと成長したい。パウロは、幻を描いて前進していました。

あなたの幻は?

あなたはどんな未来を思い描いていますか? 神さまは、あなたにどんな人生を約束しておられるでしょうか。あなたの人格をどのように造り変えると約束しておられるでしょうか。神さまの約束に基づいて、大きな未来図を描きましょう。

そして、今のあなたの人生、あなたの人格と、その未来図とを比較してみましょう。到達していないことがたくさんあるはずです。パウロでさえ、「まだ手に入れていない」と語っています。だから、パウロは求めたのです。

理想状態に到達していないことは、悪いことではありません。それはあなたに、成長の可能性、祝福の可能性が残されているということです。1年後、あなたはどうなっていたいですか? 5年後、どうなっていたいですか? 10年後、どうなっていたいですか? 大きな幻を思い描き、求めましょう。

2.逃げずに自分を見据えよう

未来に逃げない

前に向かって進むと同時に、パウロは自分の足下をしっかり見据えてもいました。決して、「こうなったらいいなあ」という未来像を描き、夢の世界に逃げ込み、今の自分の姿や、置かれている現実に直面するのを避けていたわけではありません。

「目標を目指して一心に走ろう」と、幻を描いて期待し、神さまに求めるのが、霊的な大人だと、パウロは14-15節で述べています。しかし、その後で、「すでに達しているところを基準として、進むべきです」とも語っています。

「すでに達しているところ」、すなわち現状を認め、現状に必要な努力なり工夫なりをしていくことが、成長のためには必要です。

たとえば、あなたがフルマラソンで完走するという目標を持ったとしましょう。今の状態で、できますか? できるならOKです。そのまま実行しましょう。しかし、できそうにもないなら、どこに問題があるかを探して、認めなければなりません。

心肺能力が低くて、持久力が保たないのかもしれません。ならば、持久力をつけるための訓練が必要です。骨折していて、走るどころか、歩くこともままならないのかもしれません。ならば、骨折を治すのが先決です。もしかしたら、太りすぎで、膝に負担がかかりすぎるのかもしれません。ならば、ダイエットが必要です。

クリスチャンが幻を描いて生きるというのは、ただ単に「こうなったらいいなあ」と思うことではありません。こうなったらいいなという未来の姿と共に、今の自分の姿をしっかり見据え、今なさねばならぬことに集中することです。

イエスさまもおっしゃっていますね。「労苦は、その日その日に、十分あります」(マタイ6:34)

過去にも逃げない

現実を認めるというのは、自分のだめなところを責めることでもありません。パウロは、「自分はどうしてこういう性格なんだ」「なぜこんなこともできないんだ」「どうして、こういう運命に生まれてしまったんだ」と、うまくいかなかったこと、すなわち過去に目を向けてばかりで、現実に直面するのを避けていたわけでもありません。

それは、イエスさまの十字架を知っていたからです。イエスさまは、パウロの罪も、弱さも、不完全さも、全部赦してくださってます。そして、あなたのことも赦してくださっています。

だから、「すでに達しているところを基準に」進んでいくことができます。すでに達している今の姿を、イエスさまはだめだとは、おっしゃいません。そこから始めようとおっしゃってくださいます。

ですから、人と比較するのも意味がありません。30点の人は、自分が30点の実力なんだと言うことを認めて、31点を目指して努力していきます。50点の人は51点を、80点の人は81点をそれぞれ目指していけばいいのです。私がよく言う「そのままでいい」というのは、努力しなくてもいい、成長しなくてもいいという意味ではなく、そういう意味です。

3.すでに達しているところを基準に

今しなければならないこと

大きな幻を描きましょう。人として、クリスチャンとして、あなたはどうなりたいですか? どんな人生を送りたいですか? どんな神さまの働きを実現したいですか? あなたの目標はどこにありますか?

そして、その幻の姿と比べて今の姿はどうですか? そして、目標に向かって一歩でも近づくことができるために、今あなたがしなければならないことは何ですか?

一歩一歩進んでいこう

今しなければならないことが分かったら、それをコツコツと続けていきましょう。祈りながら、神さまから力を受け取りながら、一歩一歩前に向かって進んでいきましょう。

あなたは信頼されている

先週の夜の聖書研究会で、私たちはイエスさまに赦されているんだということを学びました。そして、赦されているということは、私たちは神さまに信頼されているということです。

私たちは弱いのです。不完全なのです。すぐに神さまのみこころよりも、自分の欲望の方を、神さまの栄光よりも、自分のプライドの方を選んでしまうような自己中心的な存在です。

しかし、神さまは、私たちのためにイエスさまを送ってくださり、すべての罪を許してくださいました。それは、私たちが前に向かって、すなわち神さまのみこころにかなう生き方の方向に変化、成長してくれると、信じておられるからです。

確かに、失敗するかもしれません。いや、確実に失敗するでしょう。これまで何度も神さまは私たちに裏切られてきたし、これからだって裏切られ続けることでしょう。それでも、この子は何度でも立ち上がり、やり直してくれる。そして、一歩一歩であっても前に進んでくれると信じておられるのです。この私たちのことを!

ものすごい信頼ですね。その信頼に、応えたいですね。

まとめ

そのために、大きな幻を描き、そしてすでに達しているところを基準として、そこから一歩一歩進んでいきましょう。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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