永遠というスパンでとらえてみよう

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ローマ人への手紙6章8〜9節

(2009.4.12)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

イエスさまの復活を信じる私たちは、永遠というスパンで、自分の人生を考えられるようになります。永遠のスパンで人生を考えるとはどういうことでしょうか。そして、それにはどんな良いことがあるのでしょうか。

1.プロセスを大切にしよう

罪の赦し

復活は、罪の赦しを保証します。イエスさまは、ご自分が約束なさったとおりに復活なさいました。ですから、他の約束、たとえば「イエスさまの十字架によって、あなたの罪は赦される」という約束も信用できるのです。

イエスさまは復活なさいました。私たちはそれを信じています。ですから、私たちは自分の罪が完全に赦され、神さまに受け入れられていることも、確信をもつことができています。

結果の良し悪しだけで判断しない

復活を信じ、罪の赦しを信じた私たちは、私たちの存在価値が、何ができたかとか、何を手に入れたかというような、結果だけで判断されないということを知っています。

私たちは、たとえ失敗したとしても、罪を犯したとしても、そのまま神さまに受け入れられ、愛され、すばらしい大切な我が子よと呼んでいただけるのです。

結果の良し悪しを気にすることも大切ですが、復活を信じた私たちは、別の者にも注目し、それを大切にします。その別のものとは、「プロセス」です。

プロセスに注目する

プロセスに注目するというのは、どうしてそれをしたのかという動機であるとか、途中、どんな工夫や頑張りをしたのかという部分に着目し、何か良いところ、前向き、肯定的、建設的なところを見つけ出すということです。

前回、お子さんを、お手伝いが大好きな子に育てたお母さんの話をしましたね。あのお母さんは、シンク回りをびしょびしょにしたという結果でその子を評価し、叱ったのではなく、やれと言われないのにお母さんを手伝ってあげようと思ってくれた、その優しさや積極性に注目しました。そして、そこに感動し、「ありがとう」と感謝したのです。それがその子の優しさや積極性を育て、ますます積極的に人のお役に立ちたいと願う子になっていったのです。

あなたは、他の人を、結果だけで評価していませんでしたか? そして、自分自身を結果だけで評価して、いじめてきませんでしたか? 復活を信じる私たちは、プロセスに注目しましょう。良い動機や、がんばりや工夫を見つけ出しましょう。そして、それを指摘しましょう。

2.真の価値に基づいて行動しよう

すぐ・楽・得の道

気をつけていないと、私たちは「すぐ・楽・得」の道を選んでしまいます。努力しないで、すぐに利益が欲しいと思ってしまうのです。しかし、長期計画で人生を考えられる人は、目先の「すぐ・楽・得」を捨てても、未来のよりすばらしい祝福のために、なさねば成らぬことを行なうことができます。

たとえば、学生がなぜ、テレビやゲームなどの楽しみを制限して、勉強に時間をかけるのか。アスリートが、なぜ苦しい筋トレをするのか。音楽家が、なぜ単調な基礎練習を何時間も繰り返すのか。それは、今このときの楽しみを手放したとしても、なおそれに勝るすばらしい未来が待っているということを知っているからです。

天での報い

そして、復活を信じる私たちは、私たちの命が、この地上で終わるのではなく、天国で永遠に続くことを知っています。そして、天国では、私たちが地上でなしたことの報酬をいただくことができます。

イエスさまは、「地に宝を積むのではなく、天に宝を積みなさい」と教えてくださいました(マタイ6:19-20)。これは、目先の利益にとらわれず、永遠に価値が続くことのために行動しなさいということです。

復活を信じる私たちは、ただ単に未来の祝福を思い描き、長期計画を立てて行動するだけでなく、永遠の未来の祝福を思い描き、超長期計画を立てて行動するのです。

貧しい人たち、困っている人たちのために、私財も時間も体力もささげて働く人たちがいます。見たこともない国の人たちに福音を届けるために、お金や物をささげたり、自ら宣教師として移住したりする人たちがいます。翻訳者として名前が載らないのに、聖書の翻訳に生涯をかける人たちがいます。

なぜ彼らはそうしているのでしょうか。それは、彼らが、この地上での栄誉とか快楽よりも、もっともっと大切なものあるということを知っているから、永遠に価値あるものを知っているからです。

永遠に価値あること

あなたは、何に価値を置いていますか? 人生において、何が大切だと思いますか? あなた自身の好みや欲望も大切です。しかし、最終的には永遠に価値あることのために、この人生を使いたいと思いませんか?

私たちは、そのために造られ、生かされているのです。

永遠に価値あるものとは、神さまが望まれること、神さまが喜ばれることです。聖書を通し、祈りを通し、もっともっと神さまについて学びましょう。神さまのことを知れば知るほど、私たちの生き方がしっかり筋の通ったものになっていきます。

3.すべてのことに意味を見出そう

死は終わりではない

旧約聖書の「伝道者の書」で、作者は、もしも死で人生が終わってしまうのなら、私たちの人生は空しいと語っています。善人として生きても悪人として生きても、知恵があっても愚か者であっても、大きな仕事をしてもしなくても、財産があってもなくても、結局は死んでおしまい。これでは空しじゃないかと。

しかし、聖書は、死で人生が終わるわけではないと語ります。イエスさま自ら復活なさることで、それを証明してくださいました。私たちには、永遠の人生が与えられています。

ですから、私たちがこの地上で行ったり、体験したりすることには意味があります。

たとえ苦しみでも

仮にその体験が苦しいものであったとしても、そこには積極的・建設的な意味があります。私たちの目には、それが苦しみ、不幸、困難だと思えたとしても、永遠に続く人生の中で、その苦しみは必ず祝福の種になります。なぜなら、神さまは私たちを愛してくださっているからです。

そして、たとえこの地上でその意味を理解し、味わうことができなかったとしても、永遠に続く人生の中で、その苦しみは、必ず私たちの祝福の種となります。復活を信じる私たちは、そう信じることができるのです。

意味があると言い聞かせよう

ですから、何か苦しみや困難に出会ったときには、自分自身に向かって語り掛けましょう。この問題には意味がある。これは、悪魔の手先にしか見えないけれど、神さまの使い、天使である、と。

そして、その具体的な表現として、感謝しましょう。意味がわかったらもちろん、意味が分からなくても、必ず意味があると信じて感謝するのです。「神さま、理由はまだわかりません。しかし、これが私の幸せの種となり、世界の祝福の種となることを信じて、感謝します」と。」

そうやって、自分を励ますことができる人は、困難に苦しんでいる人を励ますことができるようになります。

まとめ

イエスさまは復活なさいました。ですから、私たちも復活します。復活を信じる私たちは、今さえ良ければいいというような、近視眼的・刹那的な生き方をするのではなく、永遠のスパンで人生を考えていきましょう。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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