新しいことば

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申命記8章1〜4節

(2009.6.21)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

今回の箇所は、イエスさまが悪魔の試みを受けて、これを撃退なさったとき、引用なさった聖書の箇所です(マタイ4:4など)。

パン、すなわち食物は、動物としての私たちの命を支えます。しかし、それだけでは人が生きているということにはなりません。主の口から出るすべてのもの、すなわち父なる神さまの言葉によって、私たちは生きることができます。

私たちが人としての幸せな命を生きるために、今回も聖書から教えていただきましょう。

1.ことばへの信頼

時代背景

イエスさまが引用なさった旧約聖書のことばは、イスラエルの偉大な指導者、モーセが、イスラエルの群衆を教えて語ったことばです。

神さまは全人類を救うのに、その手段としてイスラエル民族、すなわちユダヤ人を用いるという計画をお立てになりました。神さまはユダヤ人にご自身を表してくださり、彼らを教えたり、導いたり、祝福したりなさいます。

私たち外国の民は、歴史に表されている神さまとイスラエルの関係を見て、神さまのことを知り、神さまを求めるようになるのです。それが神さまの救いの計画でした。

そして、神さまは、イスラエル民族の祖先であるアブラハムという一人の人を選び、彼と契約を結びました。それは、神さまがイスラエルと祝福し、イスラエルを通して全世界の人々を祝福するという約束です。この契約は、アブラハムの子イサク、その子ヤコブへと、代々受け継がれていきました。

ヤコブの時代、世界的な飢饉が起こって、ヤコブ一家はエジプトに保護されました。ヤコブの11番目の息子ヨセフが、神さまの導きによってエジプトの総理大臣になっていたからです。しかし、やがてエジプトの王朝が変わると、イスラエルの人々は奴隷の身分に落とされ、重労働をさせられました。

今回のことばを語ったモーセは、エジプトで奴隷として働かされ、苦しんでいたイスラエルの人々を脱出させ、神さまがアブラハムと子孫に与えると約束なさったカナンの地(今のパレスチナ)へと導きました。

エジプトからカナンまでは、徒歩でも1週間で到着できるほどの距離です。ところが、イスラエルの人々がカナンの地に入ったのは、エジプトを脱出して40年後のことでした。

それは、イスラエルの民が最初にカナンの地の手前までやって来たとき、そこに住む人々を恐れて、自分たちはカナンの地に入ることはできないと言い始めたからです。この不信仰の故に、彼らは荒野で生活することになりました。

なお、そのとき、食べ物として神さまが天から降らせたのが、3節に出てくるマナです。

この荒野での40年の間に、エジプト脱出時に大人だった人たちはほとんど亡くなってしまって、新しい世代の人たちが、再びカナンの地を前にしていました。そして、まもなくモーセも死のうとしていました。彼は、イスラエルの人々に遺言のようにして、今日の話をしたのです。

モーセの意図

では、モーセは何を訴えたかったのでしょうか。それは、カナンの地に定住しても、神さまを忘れないようにということです。

荒野での生活は過酷でした。しかし、カナンの地は「乳と蜜の流れる土地」と呼ばれています。乳が流れるというのは牧畜に適しているということです。蜜が流れるとはおいしい果物がたくさん採れるということです。荒野での生活では考えられないような、豊かな生活が、イスラエルの人々に与えられるのです。

そうなったとき、神さまのおかげでこの豊かな生活が与えられ、保たれているのだということを忘れないようにしなさいと、モーセは彼らに釘を刺しました。そして、荒野での生活が守られたように、このカナンの地でも神さまが自分たちを支えてくださると信じなさいと。

荒野での生活は大変でした。しかし、神さまはイスラエルを愛し、守り、養ってくださいました。「この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった」(4節)のです。イスラエルは荒野で苦しみましたが、それでも神さまが大丈夫とおっしゃったら大丈夫でした。

むしろ、イスラエルの苦労は、神さまが必ず守るから大丈夫だとおっしゃっているのに、それを信じなかったために降りかかってきたものです。モーセは、神さまの約束のことばを学んで、これに信頼するとき、私たちが生きることができるのだという教えを再確認しました。

異邦人にとっては?

それでは、ユダヤ人ではない外国の民、異邦人である私たちにとって、今回のモーセのことばはどんな意味があるのでしょうか。

それを考える前に、感情とことばの関係についてお話しします。

2.ことばの入れ替え

幸せは自分持ち

この地上を生きていく上で、問題に巻き込まれるのは避けられません。多かれ少なかれ、問題を抱えていない人はいません。

ところで、問題に巻き込まれて、絶望に沈んだり大騒ぎしたりする人がいる一方で、似たような問題がやってきても、平安な気持ちを保っていたり、むしろその問題を歓迎したりする人がいるのはどうしてでしょうか。何が感じ方を変えるのでしょうか。

精神力の違い……はい、そうかもしれませんね。では、その精神力の違いはどうして生まれるのでしょうか。実は、物事の受け止め方や解釈の仕方、すなわち考え方の違いから生まれるのです。

「君、こういうふうにした方がいいよ」と、職場や学校や家庭で言われたとします。嫌われたと思えば悲しくなるでしょうし、捨てられる、クビになると思えば不安になるでしょう。しかし、成長すると信じてくれている、期待されていると思えば、また違った感じ方をするはずです。

ハワイでハンセン氏病の方々のケアをしていたダミアン神父は、激務の中で自分もハンセン氏病にかかってしまいました。そのとき、神父は感謝して喜んだと言います。今までは、「あなた方患者さんたちは」と、一線引いた付き合い方しかできなかったけれど、今や「私たち患者は」というふうに、本当の意味で患者さんたちと共に生きることができるようになったと。

幸せ・不幸せは、外からやってくるように思いますが、実は幸せは自分持ち。自分がどう考えるか次第なのです。

考え=ことば

そして、人間にとって、考えとはことばです。人は考えるときに、映像や音などのイメージも使いますが、主としてことばを道具として使います。考えるというのは、頭の中でぶつぶつつぶやくということです。

人に何かを言われて悲しくなったとします。それは悲しくなるようなことを考えたのです。そして、そのとき頭の中には悲しくなるようなことばがリフレインされています。「私はこの人にダメな奴だと思われている。嫌われた。もう見捨てられてしまう」というふうに。これを内言と言います。

感じ方が変わるためには、頭の中に響くことばを入れ替えていけばいいのです。「ダメな奴だと思われた。捨てられる」ということばを、「大切なことを教えてもらった。これでまた一歩成長できる。わざわざ時間をとって私の成長のために話をしてくれて、ありがたいことだ」というふうに。

3.ことばの体験

新しいことばを聞く

では、どうやったら内言を入替えることができるでしょうか。それは、新しい考えに基づく、新しいことばを何度も繰り返し繰り返し聞くことです。

あなたを励まし、あなたを安心させ、あなたが希望を持つことができるようになる新しい考えは、どこで学ぶことができるでしょうか。

教会などで、他の人から学ぶことができます。そして、最も強力にあなたを支え、励ますのは、神さまのことばです。

神の約束のことばへの信頼

イスラエルに注がれていた神さまの愛は、私たち外国の民にも注がれています。私たちもまた、モーセの勧めを聞かなければなりません。すなわち、神さまの約束のことばを聞いて、それを信頼するということです。

私たちはこの地上で様々な苦しみを体験します。そんなとき、イスラエルが神さまの約束のことばを聞き、それに信頼することで安心が与えられ、実際に祝福を味わったように、私たちも今ここで味わっている問題に対する神さまの語りかけを聞き、それを信じて、信頼する必要があります。

聖書の中には、神さまのことばが満ちあふれています。聖書を定期的に読んで、心の中に神さまのことばを蓄えておきましょう。問題が起きたときに聖書を開くというのでも悪くありませんが、そういうときに限ってなかなか見つからないものですし、緊急事態で聖書を開いている暇がないということもあるでしょうから。

みことばが人生を変えた例

Aさんは、何かあるとすぐに平安を失って、慌ててしまうとおっしゃっていました。そこで、聖書のことばを心の中に蓄えることにしました。毎朝少しずつ聖書を読んで、心にとまったことばをカードに書き写します。そして、それを職場に持って行って、デスクの脇の所に置いておき、一日に何度も何度もそれを見るそうです。すると、相変わらず、いろんな困った出来事が起こるのですが、不思議と落ち着いて対応できるようになったといいます。

Bさんは、仕事がなかなか長続きしませんでした。どういう訳か上司に反抗的な態度をとってしまって、関係がうまく作れないのです。教会に通うようになり、牧師さんに悩みを打ち明けて聞いてもらううちに、ふとしたことで小さかったときのことを思い出しました。

Bさんのお父さんは、何かにつけて「お前はバカだ。お前は使い物にならない」と罵倒したそうです。反抗すると余計ひどいことを言われたり、叩かれたりしますから、彼はじっと我慢していたそうです。

Bさんはっと気がつきました。自分の心の中に「バカにするな!」ということばが渦巻いていたことに。目上の人から何か言われると、本当はその人はバカにしているわけではないのに、バカにされたと受け止めて反発していたんだなあと。

そのことを話すと、牧師さんは言いました。「じゃあ、天のお父さんである神さまは、あなたのことをどうおっしゃっていますか? 馬鹿者とおっしゃっていますか? これまで聖書を読んだり、メッセージを聞いたり、他の人の証しを聞いたりして、どんなふうにおっしゃる神さまだと思われますか?」

目を閉じたBさんは、ぽろぽろと涙を流しながら、「いいえ。私のことをバカなんておっしゃいません。あなたは私の大切な自慢の息子だとおっしゃっています。イエスさまが命を捨てても惜しくないと思われるほど、私は高価で尊い存在なんだと」。

それから、次第に上司との関係が良くなり、かわいがってもらえるようになりました。

まとめ

神さまはどんな新しい考え、ことばをあなたに語っておられますか?

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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