聞いて行なう人

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マタイによる福音書7章13〜29節

(2009.7.19)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

人が救われるのは、行ないによってではなく、イエス・キリストを信じる信仰によるというのが、聖書の教えです(ガラテヤ2:16)。しかし、今日の箇所で、イエスさまは行ないを強調しておられます。なぜでしょうか。

1.行ないがその人の質を表すから

人は実によって知られる

15-20節に「人は実によって見分けられる」ということが言われています。実とは、ここでは行ないのことです。

他の人を見て、「あの人は親切な人だ」と、どうして判断するのでしょうか。それは、その人の言動を見て、頻繁に親切な行ないをしていると思うからです。あるいは誰かのことを「あの人は嘘つきだ」と言うのは、その人がしばしば大事なことで嘘をついて、周りの人を困らせるからです。このように、その人の性質は、行ないとなって表に現れ、評価されます。

使徒ヤコブは、「救いは信仰による」という使徒パウロの教えを曲解して、いい加減な生活をしている人に向かって言いました。「行ないのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行ないによって、私の信仰をあなたに見せてあげます」(ヤコブ2:18)

すなわち、信仰があるというならば、その信仰は自然と行ないという形で実を結ぶはずだよ、と。

しかし、その変化は、私たちの努力によってもたらされるものではありません。努力によって、神さまが喜ばれる生き方をすることができるのであれば、イエスさまが私たちの身代わりとなって、十字架で亡くなる必要はありませんでした。

行ないの変化は、あくまでも、「イエスさまによって罪が赦され、神さまの子どもとされて救われた」ということを信じるところからスタートするのです。

聖霊による変化

最近、「大改造!!劇的ビフォーアフター」という人気番組が復活しました。これは、古くなったり、元々の設計に問題があったりして、非常に住みづらくなった家を、「匠」と呼ばれる設計士たちが、すばらしい家にリフォームしてくれるという番組です。

罪によって、本来の姿を見失った私たちは、もしかしたら、非常に住みづらくなった家のような存在なのかもしれません。

しかし、イエス・キリストを信じたとき、その人の内側に神の聖霊が入り、そこに宿ってくださいます。そして、聖なる匠である聖霊は、その人を一生かけて造り変えてくださるのです。

今まで自分を守り、ちっぽけなプライドを保つために嘘ばかりついていた人も、聖霊によって平安が与えられ、嘘をつかなくても住むようになっていくでしょう。

やはり不安のために自分を守ろうとして、人に対して必要以上に攻撃的になっていた人も、神さまの守りを信頼するようになり、穏やかに人に対応できるようになっていくでしょう。

自分のことで精一杯だったり、傷つくことを恐れたりして、人に対して冷淡だった人たちも、神さまの愛が心を満たしていくうちに、他の人に愛の関わりをすることができるようになっていくでしょう。

これらの変化は、私たちの努力によるのではなく、聖霊なる神さまのおかげです。

聖霊の邪魔をしない

では、私たちの側はまったく何もしなくてよいのでしょうか。ただぼーっと待っているだけでよいのでしょうか。

私たちが努力しなければならないのは、聖霊のお働きを喜んで受け入れることです。別の言い方をすると、聖霊が私たちの内側を造り変えることを許可することです。どんなに優れた匠でも、家主の許可なしには、勝手にリフォームすることはできません。

聖霊の願いは、イエスさまが私たちにお命じになったことを、私たちが守れるようになることです。そして、その結果、私たちがますます幸せになり、神さまのすばらしさが明らかになることです。

ですから、まずイエスさまが私たちにどんなふうになって欲しいと願っておられるか、それを知るところから始めましょう。次に、そのように造り変えてくださいと、聖霊に願いましょう。また、イエスさまの命令に反するような行動を取ったり、そうしたいという願いが心に芽生えたりしたら、それを告白して赦しをいただきましょう。そして、イエスさまの願われたとおりに造り変えてくださいと、お願いするのです。

2.行なって初めて身につくから

畳水練

「畳水練」という言葉があります。これは、畳の上でどんなに泳ぎ方を学んだとしても、実際に水に入らなければ水泳ができるようにはならないということです。実地訓練の大切さを教えた言葉ですね。

イエスさまの命令も、「人を呪うのではなく、赦すことが大切なんだ」とか、「生活の様々なことを心配するよりも、神の国と神の義を求めることが大事なんだ」とか、「問題にぶつかったときには、大騒ぎする前に、助けてくださることを先取り感謝することが大切だ」とかいうことを学ぶことは大切です。そして、それを生活の中で実践することで、私たちは身につけていくことができます。

性格は行動パターン

先ほど、性質は行動として表に現れると言いました。人の性格というのは、人の行動のパターンに対するレッテルだとも言えます。

たとえば、嘘つきと言われる人は、別に嘘だけしか言わないわけではありません。しかし、自分に都合が悪い状況に直面すると、ついつい嘘を通という反応をしてしまいます。昔からそういう行動ばかり取っていたために、それが癖になっていて、嘘をつかなくてもいい場面、嘘をついてはいけない場面でも嘘をついてしまうのです。

どうしてそういう行動パターン、行動の癖を身につけてしまったかは、人によって違うでしょう。周りの大人たちに叱られるのが怖かったせいかもしれません。あるいは周りに嘘つきがいて、それをモデルにして身につけたのかもしれません。

それでは、癖を修正するにはどうしたらいいでしょう。それは、望ましい行動を繰り返し反復して行なうことです。

イエスさまの命令を、普段なんでもないときから忠実に実行しましょう。すると、それが習い性となり、やがてあなたの人格そのものとなります。

ここぞというときに違いが出る

愚かな人と賢い人の家は、何でもないときには違いが分かりませんでした。しかし、嵐がやってきたとき、違いが明らかになりました。

何でもないとき、普通の時にイエスさまの命令を実践する。それによって、身についた生き方は、ここぞという問題が起きたときに実力を発揮します

3.行なうことでできないことが分かるから

恐ろしい言葉

19-23節を読んで、ちょっと恐ろしい感じがすると思われたなら、きっとあなたは一生懸命に正しいことをしようと努力した方だろうと思います。

イエスさまの命令はすばらしいのです。しかし、実際に実行しようとしてみると、とてもではないけれど、行ないによって神さまに認めてもらおうなどということは、不可能だと思い知らされます。

狭い門

そこでイエスさまは、行ないによって救われる以外の方法を私たちに与えてくださいました。

13節の「狭い門」とは、一般的には有名大学のように「みんなが入りたいけれど、なかなか入れない」という意味で用いられます。ところが、元々のイエスさまの言葉の意味は、「本当は誰でも入れるけれど、一見無価値に見えるから、ほとんどの人が見向きもしないで素通りしてしまう」ということです。

何が無価値に見えるかというと、「ただで救われると信じるだけでいい」ということです。

救いに必要なことは全部イエスさまがしてくださいました。イエスさまは、あなたの代わりに完璧な人生を送ってくださり、あなたの代わりに罪の罰を受けて死んでくださり、あなたの代わりに復活して、新しい命に生まれてくださいました。だから、私たちはそのままで神さまのところに行き、救われ、祝福されるのです。

ところが、こういう教えは私たちのプライドを傷つけます。私たちは、自分にはすばらしいところがある、だから救われたんだと思いたいのです。ですから、イエスさまの教えは狭い門のように見捨てられてしまいます。

ただで救われるという教えは、たとえ頭で理解できたとしても、なかなか心に響いてこないのです。

聖なる絶望

しかし、イエスさまの教え、聖書の命令を本気で守ろうとしたらどうなるでしょうか。やがて絶望してしまいます。とてもではないけれど、自分の力で神さまを振り向かせようなんて無理だと。むしろ、自分の中の不純な部分、不完全な部分が目について、情けない思いをするかもしれません。

しかし、これは単なる絶望ではなく、聖なる絶望です。聖なる絶望の中で、私たちは救い主イエスさまと出会います。自分では無理だ、イエスさまに助けていただかなければということが、心の底から腑に落ちるからです。

パウロは、律法(聖書の命令)は私たちをキリストへ導くための養育係だと言いました(ガラテヤ3:24)。聖書の命令を誠実に実行しようとすれば、自分の無力を悟り、イエスさまに全面的に信頼するようになります。

聖なる絶望の中で、「イエスさま助けてください」と呼び求める。すると、「主の御名を呼び求める者は、誰でも救われるのです」(ローマ10:13)。

まとめ

イエスさまが私たちに何を望んでいるのかを日々学び、それを全力で実践しましょう。それが私たちの信仰生活を豊かにします。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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