勇気を出して

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マタイによる福音書10章24〜28節

(2009.8.23)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

今回のメッセージのテーマは、「勇気」です。

1.様々な妨害

迫害の予言

今回のメッセージの背景は、前回学んだように、十二使徒がイスラエル各地に派遣されたことです。彼らは、「神の国が近づいた」という福音のメッセージを語り、病人をいやすなどの愛のわざを行なうように命ぜられました。

十二弟子の派遣

その働きは、神さまのみこころにかなったすばらしい働きです。しかし、だからといって必ずしも順風満帆に物事が進むわけではないということを、イエスさまは注意なさいました。

14節では「もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら」と書かれていますが、これは、弟子たちのすばらしい働きを認めず、拒否する人もいるということですね。

16-17節「あなたがたを使わすのは、狼の中に羊を送り出すものです。ですから、人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから」。

また、21-22節「兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に断ち逆らって、彼らを死なせます。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます」と書かれていて、家族から拒否され、迫害されることもあり得るとおっしゃっています。

否定されることだってある

正しさは順風満帆を保証しない

配慮を欠くようなことをしたり、間違ったことを行なったりして、それで人々から責められたり、拒否されたりするのは仕方ありません。ペテロも「罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう」と語っています(第1ペテロ2:20)。

しかし、神さまのみこころにかなう正しいことを行なっていても、それでも迫害や妨害は起こりえます。それはおかしなことではないということを知っておきましょう。

むしろ、周りの人たちと、できるだけ平和にすごそうと最大限努力して、なお迫害が起こるということは、私たちが真理に従って歩んでいる証拠です。

様々な妨害

あなたは何か価値あることを志して、それを実行しようとしたときに、他の人から反対されたり、邪魔をされたり、意気消沈するようなことを言われたりしたことがありませんか?

しかし、迫害や妨害は外からだけ来るわけではありません。ある場合には、もう一人の自分が自分の足を引っ張ります。コツコツと努力することに飽きてしまったり、どうせうまくいくはずがないと絶望してしまったり、このままやっていると大変なことになるかもしれないと恐れたり……。

妨害は内から外からやってくる

むしろ、最大の敵は私たち自身かもしれません。どんなに周りが反対しても、私たち自身がやる気や希望を維持し、努力し続けていくなら、結局誰もその価値ある働きを邪魔することはできません。「成功者とは、成功するまでやめなかった人のことである」(ロバート・シュラー)。

あなたは今、どんな働きを志していますか? そして、どんな抵抗・妨害・迫害を体験していますか? その妨害の中で、あなた自身の心は、どんなことをつぶやいているでしょうか?

2.勇気

勇気とは

特に現代にあって、子どもたちが、そして大人である私たちが育てなければならない性質の一つは、勇気です。勇気とは、恐れない心ですね。26節にも「彼ら(すなわち迫害したり妨害したりする人たち)を恐れてはいけません」と書かれています。

聖書が教える勇気というのは、無茶をするとか、乱暴だということではありません。勇気とは、「なすべきことをやり続ける力」のことです。

私たちは、自分を愛し、自分と同じように他の人を愛し、そして自然を愛を持って管理するように神さまから期待されています。だから、チキンレースのように、自分や他人を粗末にするようなやり方で恐れを感じないのは、本当の勇気とは言えないのです。

勇気は気です

私はよく、「勇気は気です」と説明しています。勇気、元気、やる気、根気、負けん気、覇気、英気、生気、活気……。それは、正しいこと、価値あることを行なおうと決意して、それを継続してやりきるためには、どうしても必要な心の態度ですね。

親や先生にがみがみ怒鳴られ、監視されないと勉強しないとか、ルールを守らないとかいうのは、勇気のある態度ではありません。勇気のある子は、親や先生が見ていても見ていなくても、なすべきことをし続けるのです。

ダイエットに取り組んで、3日で根を上げるのは、勇気のある態度ではありません。勇気のある人は、コツコツとダイエットに必要なメニューをこなして、減量していくのです。

勇気づけ

では、どうしたら自分自身や他の人の中に、勇気を満たすことができるでしょうか。それは「あなたには勇気がない。勇気を出せ」と叱咤激励することではありません。「あなたには勇気がない」と確認しているようなもので、ますます自信を失い、やる気を失ってしまうでしょう。

勇気を増し加えるには、今のあなたで大丈夫だというメッセージを送ることです。足りない所を見れば限りないけれど、すでに良くやっているし、このまま進んでいけば大丈夫だということを伝えるのです。

そして、イエスさまは、「狼の中に羊を送り出すとき」に、それをしてくださいました。

3.弟子はその師にまさらず

イエスは知っている

24-25節の箇所は、「あなたは劣っている」とか「どうせたいしたことはできない」とかいう意味ではありません。私たちが経験するよりも、もっと大きな痛みや悲しみをイエスさまは味わってくださったということです。

イエスさまは、真実に、一点の不純な動機もなく、人々を愛し、いやし、励まされ、また神さまに仕えてこられました。しかし、悪霊の頭ベルゼブルと呼ばれ、神を冒涜する者と呼ばれ、迫害され、あげくに愛する弟子たちにも裏切られ、見捨てられ、十字架にかかって亡くなりました。

ですから、様々な妨害にあっているあなたの、その痛みや苦しみや悩みを、イエスさまはよくご存じです。「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです」(ヘブル4:15)

恐れるな

その上で、イエスさまは「恐れるな」とおっしゃいました。迫害する人たちは強く見えるけれど、妨害の壁は果てしなく高く見えるけれど、あなた方を守る神さまは、もっともっと強いのだからと。「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(28節)

1羽では値がつかないような雀でさえも、神さまの許可なしには地に落ちることはありません。十万本あると言われる髪の毛の一本一本もすべて神さまはご存じです。まして、雀や髪の毛よりも大切なあなたのことを、神さまが見捨てるはずがあろうか、と。

議会に引き出されて裁判を受けることになったときには、聖霊なる神さまによって、何を語ったらいいかが示されると(19-20節)。

オオカミなんて怖くない

あなたも大丈夫

どんなに神さまが頼りになったとしても、あなたが困っているのを知らなかったら意味がありません。しかし、神さまはご存じです。

あなたの志は何でしょうか。何を目指しておられるでしょうか。それがみこころにかなったものだという確信があれば、大丈夫。あなた一人が戦うわけではありません。イエスさまが共にいて、その働きや学びや準備を助けてくださいます。

まとめ

ゴールをしっかり思い描きましょう。そして、そこに至るには勇気が必要だということを認めて、イエスさまによる励ましを求めましょう。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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