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マタイによる福音書11章28〜30節

(2009.8.30)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

イエスさまに信頼するならば、イエスさまは、疲れている人、重荷を負っている人を休ませてくださいます。

1.休ませてあげよう

緊張をほぐす

「休ませる」という言葉は、ぴーんと張り詰めている竪琴や弓の弦をゆるめるという意味の言葉です。ですから、「疲れた人、重荷を負っている人」とは、くたくたになるくらい緊張の糸を張り詰めている人ということです。

イエスさまは、ぐったりと疲れるほどの緊張の糸を、優しくほぐしてくださいます。しかし、それは、ぐうたらになって何もしなくなるということではありません。

スポーツでも芸術の世界でも、無駄な力を抜くように指導されます。そうしないと、体をのびのびと自由に動かすことができないし、ここぞというところで大きな力を発揮することができないからです。

仕事などのフォーマルな場では、注意力が散漫になったり、うっかりミスをしたりしないよう、適度な緊張は必要です。しかし、それが過度になりすぎると、頭の働きや体の動きがぎこちなくなって、かえって失敗を招いてしまうこともあるでしょう。

イエスさまは、私たちの心から無駄な力を抜いてくださり、本当に力を発揮しなければならないところに集中的に力を使えるようにしてくださいます。

なぜ緊張する?

では、私たちはどうして緊張するのでしょうか。

私たちは動物でもあります。動物が緊張してリラックスできないときはどういうときでしょうか。それは、身の危険を感じているときですね。実際に敵の姿を見たり、敵かもしれない気配を感じたり、敵に襲われる可能性が高いところを通ったりする場合です。

私たちが緊張してリラックスできないときも、何かの危険を感じているときが多いでしょう。何かの攻撃から身を守ったり、すぐに対応したりできるように、心と筋肉を張り詰めて、身構えているのです。

緊張しなくていいのに

しかし、別に命や体に危険があるというわけではないのに、緊張したり、神経を使ったりして、くたくたになってしまうということがないでしょうか。たとえば、人前に出たときに、人目を気にして堅くなってしまったり。

先日、幼稚園のお子さんが、ぱっぱと物事を行なうことができないといって悩んでいるお母さんがおいででした。お母さんは、「早くしなさい」「ぐずぐずしないで」といつもお子さんに言っては、イライラして疲れてしまっているのです。別に、何が危険というわけでもありません。しかし、お母さんは、このお子さんの前ではいつも気を張って、疲れてしまいます。

あなたはいかがですか? よく分からないことに気を遣って、くたくたになってしまってはいませんか? イエスさまはそんな私たちをリラックスさせてくださいます。では、イエスさまのくださる休息を手に入れるには、どうすればよいのでしょうか。

2.わたしのくびきを負って

くびき

イエスさまは、「わたしのくびきを負いなさい」とおっしゃいました。くびきについては、ページ上の用語の解説コーナーをご覧ください。

くびきをつけられた牛は、もう自由気ままに進んでいくことができません。決められた方向に、重い荷物を引っ張りながら進んでいくだけです。

ここから、くびきという言葉は、奴隷などが負わされる苦しい義務などの意味でも使われるようになりました。自由がなく、しかも苦しいということです。

不自由な考え

さて、私たちが危険を感じるとき、私たちの頭の中には二つ考えが浮かんでいます。一つは、「このままだと大変なことになってしまう」という考え、もう一つは「だから、私が何とかしないといけない」という考えです。

そして、、この二つの考えのどちらかが自由を失うと、ずっと緊張が続いてくたくたになってしまうことになります。たとえば、実は危険がないにも関わらず、心のどこかで「きっと大変なことになる」と思っていれば、緊張が続きます。

また、他の人が対処してくれるから、自分があれこれしなくてもいいのに、「私が何とかしなければ」と思えば、やっぱり緊張が続きます。

先ほどのお母さんは、お子さんを見ていて、なぜかは分かりませんが「このままだと大変なことになってしまう」と思っていらっしゃるのでしょう。よく分かりませんが、たとえば「この子は、このまま学校に入れば、落ちこぼれて不幸になるに決まっている」とか、「これでは社会について行けなくなり、やがて世をはかなんで自殺するに決まっている」とか……。

もしそれが本当なら大変です。愛するわが子のために、一刻も早くさっさと行動できるようにしつけなければいけません。「私が何とかしなきゃ」とお母さんが思うのは当然です。しかし、本当にお子さんは不幸になるに決まっているのでしょうか。本当に、お母さんががみがみ言い続けないと、この子は行動できないのでしょうか。

負いやすいくびき

イエスさまは「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」とおっしゃいました。そして、「わたしは心優しい」とも。

すべての問題は、神さまの許可なしには起こりません。そして、神さまは私たちを愛しておられます。どんなに大変に見える問題でも、私たちが対処できずにダメになってしまうようなものであるはずがありません。むしろ、その問題を通して、私たちが幸せになるために、あえて神さまは苦しみを許可なさるのです。コーチが、選手の力を引き出すために、あえて苦しい訓練を課すように。

「このままだと大変なことになってしまう」。そんな心のつぶやきが、あなたの心の中に響いていませんか? あらかじめ危険を想定しておくことは大切なことです。しかし、あまりにも「大変なことになるに決まっている」と思い込んではいなかったでしょうか。イエスさまのくびきは負いやすいということを思い出し、「必ず何とかなるさ」と自分に言い聞かせましょう。

3.わたしから学びなさい

一人ではない

イエスさまは、私に学べとおっしゃいました。何をでしょうか? それはくびきの負い方です。人生の中に問題があるように見えるとき、それとどう向き合っていくかということです。

くびきというのは、通常2頭の牛につながれます。1頭ですべての重荷を引き受けなくて済むのです。もう1頭の牛が、重荷を半分引き受けてくれます。

もし、一人で全責任を負わなければならないと思っていれば、そのストレスからくたくたに疲れてしまうでしょう。しかし、イエスさまは「わたしのくびき」とおっしゃいました。それは、イエスさまがくださったくびきであると共に、イエスさまが一緒に負ってくださるくびきでもあります。

イエスさまが力をくださいます。知恵をくださいます。助け手を送ってくださいます。状況を整えてくださいます。あなたは一人ではありません。

わたしはへりくだっている

イエスさまは、「わたしはへりくだっている」とおっしゃいました。謙遜とは、何でも自分一人でできると思い上がらないことです。

神の子であるイエスさまですら、聖霊に満たされるまでは公の活動を控えておられましたし、いつも祈って神さまからの知恵や力を求めていました。また、「わたしは父なる神さまのおっしゃるとおりに語り、父なる神さまのなさるとおりに行なう」と、父なる神さまに全面的に信頼する生活を貫かれました。

「わたしにまなべ」。私たちは、このイエスさまの姿勢に学ばなければなりません。そのとき、たましいに安らぎがやってきます。

祈ろう

緊張したり、あがったり、イライラしたり、疲れてしまったりしたときは、心を落ち着けて祈りましょう。

まず、悔い改めからです。悔い改めとは、自分を責めることではなく、現状を認めることです。大変じゃないかもしれないのに、大変なことになると決めつけてはいなかったでしょうか。あるいは、自分一人で何とかしなきゃと気負いすぎていなかったでしょうか。分からなければ、教えてくださるようにお願いしましょう。

それから、神さまが何をしてくださるのかを思い出しましょう。これも、分からなければ、教えてくださいと神さまにお願いしましょう。

そして、「あなたが守ってくださることを信じます」と宣言します。「ますますその確信を深めてください」とお願いしながら、何度も宣言しましょう。

まとめ

イエスさまは、あなたに休息を与えてくださり、ここぞというところで力を発揮できるようにしてくださいます。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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