休んでもいい日

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マタイによる福音書12章1〜8節

(2009.9.6)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

ユダヤの信仰的伝統の中で、土曜日は安息日と呼ばれました。一切の仕事を休んで礼拝をする日です。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげます」(マタイ1:28)と、イエスさまはおっしゃいました。イエスさまは、休むということについて何を教えてくださっているのでしょうか。

1.安息日論争

パリサイ人の批判

イエスさまの弟子たちは、麦畑の横を通ったとき、道沿いの穂を摘んで実を食べました。

それ自体は違法ではありません。鎌を使って刈り取るのは禁止ですが、手で摘んで食べるのは、ユダヤの律法でも保障されている権利でした。ちなみに、その場で食べるなら、他人のブドウ畑のブドウを食べるのもOKでした(申命記23:25)。
おなかがすいたから
問題は、その日が土曜日、いわゆる安息日だったからです。早速、パリサイ人たちが批判しました。ユダヤの律法によると、安息日には一切の仕事をしてはいけないことになっています(出エジプト20:8-11)。

聖書には何が仕事に当たるかということは、細かく規定してありませんが、パリサイ派の人たちは、聖書をいろいろと解釈して、細かい規定を設けていました。それによると、穂を摘み、それを揉んで籾殻を取り除く行為は、収穫や脱穀の仕事に当たるというのです。

今回の事件の後、イエスさまは安息日に手の動かない人をいやしていますが、そのときもパリサイ派の人たちは、イエスさまが律法に違反したと見なしました。彼らの考えによれば、人をいやすのは仕事に当たり、急性の病気やケガの場合には、命がかかっているから仕方ないけれど、慢性の病気や障害をいやすのは、切羽詰まっていないから、安息日にはしてはいけないことだったのです。

これに対して、イエスさまは聖書から2つの例を出して反論なさいました。

ダビデ

まず、イエスさまはダビデの話をしました。

ダビデ王が、まだ将軍としてサウル王に仕えていた頃の話です。ダビデの人気に嫉妬したサウルは、ダビデの命を狙いました。ダビデは、サウルの嫡男でありながら親友でもあるヨナタンの助けによって、脱出に成功しました。

逃避行の途中で、ダビデと共の者たちは空腹になり、神殿を訪れ、祭司アヒメレクに食べ物を求めました。ところが、普通の食べ物がなかったために、アヒメレクは、昨日捧げ物にし、今朝新しいものと取り替えたばかりの、昨日のパンをダビデに手渡しました。

イエスさまは、「聖なる日なんだから、おなかがすいて死にそうでも、そんなのは関係ない。とにかく我慢しろ」と言うパリサイ人に対して、聖書は人のいのちを大切にしているじゃないかとおっしゃりたかったのです。

祭司

それからイエスさまは、「祭司たちは、安息日であっても神殿で働いているではないか」とおっしゃいました。安息日だから、とにかく何もしてはいけないんだと言うなら、これをどう解釈するんだと。

するとパリサイ人は、「祭司たちは、神さまに仕える特別な人たちで、神殿で働くのは神さまへの奉仕なんだから、他の仕事とは違うんだ」と主張するかもしれません。

それに対して、イエスさまは、「ここに神殿よりももっと偉大な存在がいる。わたしの弟子たちは、そのわたしに仕え、わたしと共に神の国の奉仕をしている。祭司が特別だから働いてもいいと言うなら、弟子たちだっていいということになるだろう」とおっしゃっています。

2.ヘセズを好む

ホセア書

そして、イエスさまは「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない」という聖書の言葉を引用なさいました。これは、ホセア書6:6のことばです。

あわれみと訳されている言葉は、ホセア書では誠実と訳されていて、ヘブル語の原文では「ヘセズ」という言葉です。ヘセズというのは、契約に関係する用語です。契約の当事者が、契約によって生じた義務を行なうに当たって示す、熱心さ、誠実さ、優しさ、忠実さなどを表しています。

すなわち、契約を遂行するに当たっては、何をするかも大事だけれど、どういう心、どういう態度で行なうか、それも大事だということです。

ホセア書で語られた「わたしはヘセズを好む」ということばは、いけにえをただ形式的に捧げるなら意味はない。心を込めて、すなわち神さまへの愛、感謝、喜び、畏怖の念などを込めて捧げるのでなければ、そんな捧げ物は神さまの心を動かさないというメッセージなのです。

安息日の定めに対しても、イエスさまはヘセズを要求なさいました。ただ安息日なんだから、形式的に仕事を休めばいいってもんじゃないよと。休むとすればなぜ休むのか、すなわちどういう心で安息日を守るのか、それが大事なんだよと。

休みの理由

なぜ、神さまはイスラエルに安息日の規定を与えられたのでしょうか。

申命記5:15にはこう書かれています。「あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、【主】が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、【主】は、安息日を守るよう、あなたに命じられたのである」。

すなわち安息日は、ただ休む日ではなく、イスラエルを守り導いてくださっている神さまのことを思う日なのです。

また、出エジプト23:12にはこう書かれています。「六日間は自分の仕事をし、七日目は休ませなければならない。あなたの牛やろばが休み、あなたの女奴隷の子や在留異国人に息をつかせるためである」

古代においては、家畜はもちろん、奴隷たちも主婦たちも、休みなく働かされるのが常でした。しかし、イスラエルでは週に一度は、全員が休みを取ることができました。立場的に弱い人たちに対する、神さまのあふれる愛情が感じられますね。

安息日は喜びの日

安息日は、自分たちを愛し、自分たちの弱さに配慮を示してくださる神さまを思い、喜び、賛美し、感謝する日です。そのために、休むのです。安息日は、「休まなければならない日」なのではなく、「神さまを思いながら、心と体と魂をリフレッシュするための日」です。

パリサイ人は、その目的を見失って、「休め」という教えだけを強調していました。そのために、おなかをすかせている人に食べるなと言い、病気や障害で苦しんでいる人をいやすことを禁じたのです。そして、安息日が、なんだか窮屈な日になってしまっていました。
安息日はどういう日?
1992年にイスラエル旅行に行ったことがあります。安息日にホテルで夕食を取っていたとき、ユダヤ人の一族と一緒になりました。彼らは、楽しそうに食事をし、祈り、歌いったり踊ったりしながら神さまをほめたたえていました。実に喜びに満ちた様子が印象に残っています。本来、ユダヤ人にとって、安息日は神さまを中心にした、うれしい楽しい交わりの時なのですね。

3.解放のメッセージ

わたしたちはどうか

では、私たちはどうでしょうか。知らない間に、信仰生活が窮屈なものになってしまっていないでしょうか。

私たちクリスチャンは、いろいろな律法の規定を、文字通りに行なう義務はありません。だから、安息日、すなわち土曜日に仕事をしてもいいのです。しかし、いつの間にか新しい律法、決まり事を作って、それを自分や他の人に押しつけ、縛られてはいないでしょうか。

たとえば……
  • 日曜日には礼拝に行かなければならない。
  • 水曜日の夜は祈祷会に参加しなければならない。
  • 毎日、最低30分は聖書を読み、祈らなければならない。
  • 教会が求めるいろいろな奉仕作業に、積極的に参加しなければならない。
  • 収入の十分の一以上を献金しなければならない。
  • 酒、たばこをやってはならない。
  • カラオケやダンスなんてとんでもない。
  • ジャスやロックは悪魔の音楽だから聴いてはいけない。
  • おしゃれや派手な化粧をしてはいけない。
  • 信仰書以外の本を読んではいけない。
  • 年に最低一人は教会に誘わなければならない。
  • クリスチャン以外の人とおつきあいしてはいけない。
もちろん、自分はクリスチャンとして、人間として、こういう生き方をしようと、納得ずくで、そして喜んで決まりを守っているならいいし、ぜひそうありたいと思います。

しかし、もしもそれによって窮屈な思いを味わい、喜びを失っているとしたら、また、その決まり事を守らない人を非難するとしたら、ちょっと考え直す必要があるでしょう。それは、ヘセズを失った状態だからです。

してもいいよのメッセージ

昨年5月に亡くなられた古川第一郎牧師が、聖書の中の様々な禁止命令についてお話しされています。たとえば、十戒にも「偶像を造るな」「盗むな」「殺すな」というような命令があります。それは「〜するな」ではなく、「もう〜しなくていいよ」という意味なんだと、古川先生はおっしゃるのです。

もうあれこれ神さまを捜さなくていいよ、偶像なんて拝まなくていいよ、もう親を憎んだり、盗んだり、殺したり、姦淫したり、他の人のものを欲しがったりしなくていいよ、と。だって、まことの神さまがあなたを救ってくださり、愛してくださり、助けてくださるのだから。
してはいけないのではなくて
安息日の命令も、すでに学んだように、働いてはいけない日なのではなく、仕事を休んで体をリフレッシュさせ、礼拝でみんなと一緒に神さまを礼拝して心と魂をリフレッシュしていい日です。

まとめ

知らない間に、すべし・すべからずの窮屈な教えを自分や他の人に押しつけて、喜びや平安を失ってはいませんでしたか? イエスさまはあなたを解放してくださいます。もう一度、聖書の教えをとらえ直しましょう。そして、ヘセズを自分のものにしましょう。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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