赦されない罪?

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マタイによる福音書12章31〜32節

(2009.9.13)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

イエスさまは、聖霊に逆らう罪は赦されないと語られました。イエスさまの十字架は、あらゆる罪を赦し、救うのではなかったのでしょうか。
聖霊のイメージって難しい

1.背景

ベルゼブル論争

イエスさまは、悪霊にとりつかれ、目も見えず口もきけなくなった人をいやされました。すると、パリサイ人が、「イエスは、(神の力ではなく)悪霊のかしらであるベルゼブルの力で悪霊を追い出しているのだ」と悪口を言いました。
パリサイ人の悪口
これに対してイエスさまは、「悪霊が悪霊を追い出すなどということはあり得ない。そんな内輪もめのようなことをしたら、悪霊の国は成り立たなくなってしまうではないか」と反論なさいました。
イエスの反論
すなわち、イエスさまが行なわれる様々な奇跡は、悪霊ではなく聖霊の力によるのです。

略奪のたとえ

さらにイエスさまは一つのたとえを話されました。

「強い人の家にはいって家財を奪い取ろうとするなら、まずその人を縛ってしまわないで、どうしてそのようなことができましょうか。そのようにして初めて、その家を略奪することもできるのです」(29節)。
イエスの反論2
ここで、強い人とは悪霊、略奪のために侵入する強盗はイエスさまを指しています。家財は、悪霊にとらわれて苦しんでいる人間の心や体のことです。イエスさまは、悪霊の影響で苦しんでいる人を解放し、本来神さまが与えたいと願っておられる幸せな人生を与えるために、悪霊を縛り上げてくださいます。

今回いやされた目も口もきかない人は、こうして解放されたのです。

神の国は来ている

イエスさまはおっしゃいました。「わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです」(28節)

イエスさまが神の聖霊によって働かれるとき、私たちの元に神の国がもたらされます。そして、私たちは神の国の一員となり、神の国の祝福、神の国の福祉を味わうことができます。

私たちがどのような国に属するかによって、私たちの生活に大きな影響が出ます。世界には、内戦などによりほとんど無政府状態の国もあります。そのような国では、国民が犯罪や貧困など、様々な困難に陥っても、国は助けてくれません。一方、警察がしっかりと犯罪を取り締まり、困難に対して国が様々な援助をしてくれる国もあります。

あなたが神の国の国民であるということは、神さまがあなたを守り、あなたが幸せに暮らせるように、様々な配慮をしてくださるということです。神の国は、あなたにどんな福祉を約束しているでしょうか? それを学び、神さまに神の国の福祉をお願いしましょう。

パリサイ人は、イエスさまが神の聖霊によって活動しておられることを否定しました。それは、自分自身が神の国の一員となることを否定することです。そこで、イエスさまはその発言を注意なさいました。そして「聖霊に逆らう罪は赦されない」とおっしゃいました。これは、ものすごくきつい言葉ですね。どういうことなのでしょうか。

2.聖霊に逆らう罪

キリストの十字架

神さまは私たちを神の国の一員として造り、祝福しようとしてくださいました。ところが、私たちと神さまとの間には、深い溝ができてしまい、神さまの祝福が十分に私たちのところに届かないようになってしまいました。

それは、私たちの罪のせいです。罪とは、神さまの存在やその支配を喜ばない心のことです。神さまではなく、自分の好きなことを、好きなときに、好きなようにやりたいと思う自己中心です。それは神さまの存在や権威を否定することですから、神さまとの関係が断絶してしまいました。
祝福の架け橋
罪は神さまに対する大変な失礼ですから、神さまが怒って私たち人間を滅ぼしても仕方ありません。しかし、神さまは私たちを愛しておられ、滅ぼしたくないと思われました。そして、私たちを祝福したいと願われたのです。

ところが、神さまは聖いお方ですから、罪を無かったことにはできません。そこで、人となられた神、イエスさまが私たちの身代わりに罰を受けてくださったのです。これが十字架です。イエスさまが罰を受けてくださったので、もう私たちが神さまの怒りに触れて罰を受けることはありません。

死んで3日目に復活なさったイエスさまは、私たちのために取りなしをしてくださっています。「この人の罪を赦してください。私が身代わりに死にましたから。だから、罪のない人のように、大いに祝福してあげてください」と。

そして、それをただ信じるだけで、私たちの罪は赦され、神の子とされ、神の国の国民となって、神の国の福祉をいただくことができます。

聖霊は罪を示す

イエスさまの十字架で、赦されない罪は何一つありません。イエスさまの命よりも尊いものは何もないからです。ところが、イエスさまは、聖霊に逆らう罪は赦されないとおっしゃいました。どういうことでしょうか。

イエスさまは、聖霊なる神さまについて、こうおっしゃいました。「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます」(ヨハネ16:8)。義というのは、神さまとの良い関係のことです。

聖霊は私たちの心に語られます。「それは罪だよ。神さまの喜ばれない態度だよ」と。そして、「イエス・キリストの十字架の赦しを信じなさい。そして、神さまとの関係を回復しなさい」と勧めます。

聖霊を無視すると

神の国はすでに来ています。神さまの救い、いやし、解放の祝福は、すでにあなたの前に置かれています。それを信じて受け取るか、信じないで受け取らないか、それは私たちに委ねられています。

聖霊に逆らう、すなわち、聖霊の語りかけを無視することは、罪を認めないということです。罪を認めないということは救いを信じないということでもあります。救いとは、罪からの救いですから。
聖霊を無視すると
だから、聖霊に逆らう罪は赦されないとイエスさまはおっしゃいました。本当はすべての罪が赦されるのです。ただ、それを受け取らないなら、赦しや、それに伴う様々な祝福を味わうことはできません。

3.聖霊の導くままに

主よお語りください

聖霊は、私たちを幸せへと導こうとしておられます。聖霊の導きに敏感に応答することが、祝福された人生を送る秘訣です。

だから、聖霊が私たちに分かるように語ってくださるよう、いつも祈りましょう。そして、聖霊の語りかけ、導きを敏感に感じ取ることができるよう、霊的な感受性を増してくださるように祈りましょう。

聖霊は様々なとき、様々な方法で語られます。常に心のチャンネルを神さまに合せていたいですね。

これはあなたですか?

ただし、「霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい」(第1ヨハネ4:1)と言われています。
悪霊は光の天使に化ける
チェックの方法が少なくとも2つあります。一つは聖書です。聖霊は聖書に反するような命令はなさいません。ある異端の団体は、活動資金を集めるために、人をだまして壺や印鑑などを法外な値段で売りつけます。「それは神のみこころだ」と信者さんたちを教えていますが、人をだまして損害を与えるのは聖書の教えに反します。

もう一つは、他の信仰の仲間たちの判断です。もちろんクリスチャンといえども間違いを犯しますが、多くの信仰の仲間が「それはみこころだとは思えない」と言うなら、ちょっと立ち止まった方がよいでしょう。

謙遜さをお与えください

私たちが聖霊の導きを感じても、それに素直に応答できないのは、謙遜さに欠けるときです。謙遜さとは、「教えられやすさ」です。
マイケル・ランドンの逸話
しかし、謙遜の徳を自分で身につけるのは不可能に近いでしょう。「最近、謙遜になってきたなあ」と思ったら、それは傲慢ですから。そこで、「謙遜さを与えてください。教えられやすい心を与えてください」と、神さまに祈りましょう。

そして、聖霊の語りかけに、素直に応答できるような心に育てていただきましょう。

まとめ

聖霊の語りかけを待ち望み、それを素直に信じて実行できる謙遜さをいつも求めましょう。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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