失敗者は成功者

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マタイによる福音書14章22〜33節

(2009.9.27)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

ペテロは、湖の上を歩こうとしましたが、途中で怖くなり、沈みかけてしまいました。この箇所はそれを否定的に描いているのではあなくて、その積極的な態度を肯定的に描いています。

1.願い出たペテロ

精神の急降下

弟子たちは、ガリラヤ湖特有の嵐のため、9時間近くも風や波と格闘していました。そして、そこへイエスさまが歩いてこられると、幽霊だと思い、もういよいよおしまいだと思っておびえてしまいます。ほんの数時間前には、5千人の給食の奇跡を目撃し、感動に満たされたはずの弟子たちの心が、今や恐れに支配されていました。
幽霊?
私たちもそうではありませんか? 神の奇跡や恵みを経験しても、知らない間にその感動を忘れてしまい、現実の問題に直面すると、すっかり神の愛も力も忘れてしまう……。

イエスの励まし

しかし、そんな時、イエスさまは私たちを励まして下さいます。「わたしだ」と。大きな力を持っておられるイエスさまが、私たちと一緒にいて下さるということを思い出すことは、私たちにとって大きな励ましであり、慰めです。

イエスさまは、様々な方法でご自分のことを思い出させて下さいます。聖書を通して、祈りを通して、他の人のことばを通して、自然現象を通して……。

イエスが共にいるという意味

ペテロのすばらしさは、そばにイエスさまがいらっしゃると知った時に、イエスさまがどういうお方かを瞬時に思い出したことです。イエスさまは、ことば一つで病気を治し、食料を増やし、そして水上を歩くことができるお方です。もしもイエスさまが命じたら、きっと自分も水上を歩くことができるに違いないと思ったのです。そして、それを願い出ました。

イエスさまが愛なるお方である、聖いお方である、力あるお方であると、ただ頭で知っているだけでなく、それを生活の中で適用することが大切です。あなたは神がどのようなお方だと知っていますか? そのことは、今あなたが直面している現実に対して、どんな意味を持っていますか?

2.踏み出したペテロ

第一歩の不安

ペテロの願いに対して、イエスさまは「来なさい」とおっしゃいました。ペテロは舟から出て歩き出しました。ここのところを、聖書は淡々と描いていますが、この場面をペテロになったつもりで、その気持ちを想像してみて下さい。第一歩を踏み出し、その足に重心を移す時、いったいどんな思いだったでしょうか……。

私たちが神さまを信じることは、まるで水の上に足を踏み出すことに似ているような気がします。一種の賭けです。しかし、その一歩を踏み出さなければ、先に進むことはできません。神さまの約束を信じて、一歩を踏み出すのです。

大切なのは神の約束

もちろん、何でもかんでもやればいいというものではありません。韓国で、嵐で増水した川を渡ろうとしたクリスチャン(今回の箇所を思い出して、自分も渡れると思ったのです)が、おぼれて死んでしまうという事件が起こったそうです。

ペテロは、イエスさまから「来なさい」と命ぜられて渡りました。神さまが私たちに何を約束しておられるかということを知ることが大切です。
何を言われているのだろう

神の約束は?

あなたはどんな問題に直面していますか? 神はそれに対してどんな約束をしていますか? その約束を信じるとすれば、あなたはどんな行動が取れますか? そして、いつそれをしますか?

3.叫んだペテロ

目を離さないこと

水上を歩き始めたペテロですが、イエスさまから目を離したとたん、怖くなってしまいました。そして、ずぶずぶと沈みかけてしまいました。
風を見て怖くなり
おもしろいのは、ペテロは「風を見て」怖くなったと書かれていることです(30節)。風は目に見えませんね。しかし、ペテロの心には見えていました。それは、「こんなふうになるんじゃないか」「こんなふうになったらどうしよう」という先取りの恐れです。それが彼の足をすくませ、「ここまで歩けたんだから大丈夫」という自信を打ち砕いてしまいました。

あらかじめ、いろいろな危険を想定しておくことは大切です。しかし、いったん踏み出したなら、イエスさまから霊の目を離してはいけません。イエスさまの約束を忘れて、これから起こる災難ばかりを見ていたら、嵐に負けてしまいます。

失敗したとき

しかし、ここでペテロはもう一度イエスさまを見上げました。「助けて下さい」とイエスさまに叫びました。すると、イエスさまはペテロを助けて下さいました。ペテロのすばらしさは、再び困難に負けそうになった時、もう一度イエスさまのことを思い出したことです。
助けてください
聖書学者であるバークレーは言いました。「聖人とは、倒れない人のことではなく、倒れても立ち上がって歩き始める人である」と。失敗を通して、良い学びをした人は、失敗者でなく成功者です。

失敗しても、またそこでイエスさまを思い出せばよいのです。ペテロは、やがてもっと大きな失敗を犯してしまいます。自分の命を守るために、「イエスなんか知らない」と3度も言ってしまったのです。

同じようにイエスさまを裏切ったユダは、自分に絶望して死んでしまいました。しかし、ペテロはもう一度戻ってきました。それは、沈みかけても、イエスさまが助けてくださったという体験をしたからでしょう。

ペテロは失敗者です。しかし、失敗を通して、たくさんのことを学んだ人です。あなたはいかがでしょうか。失敗によって、多くを学んでこられたのではないでしょうか?

失敗すらできないよりも

ペテロも、他の11弟子も、イエスさまの力を見て驚き、ますますイエスさまのことを深く知りました。しかし、確かに11人は失敗しませんでしたが、ペテロが実際にその身で体験したことを知ることはできませんでした。

それは、チャレンジすれば事はなるという体験であり、たとえ失敗しても助けてもらえる、再び立ち上がることができるという体験です。

キリスト教はショーではありません。あなたもイエス・キリストを体験することができるのです。あなたもぜひ行動的な信仰の第一歩を踏み出しましょう。

まとめ

私たちもペテロのすばらしさを見習い、失敗を恐れないでチャレンジする態度を身につけたいものです。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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