失敗はチャンス

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マタイによる福音書17章14〜20節

(2009.10.18)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

山のふもとに残された弟子たちは、てんかんの子どもをいやすことができませんでした。そして、「何という不信仰な世の中だろう」と、イエスさまに嘆かれてしまいます。落ち込んだでしょうし、恥ずかしかったことでしょう。
父の願い
しかし、失敗は弟子たちにとって、そして私たちにとって、大切なレッスンを学ぶチャンスの時です。

1.使命と能力を思い出すチャンス

弟子の使命と能力

マタイ10:7-8で、イエスさまは十二弟子をイスラエルの各地に派遣しました。そのとき、彼らにこうおっしゃっています。「行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい」。

悪霊を追い出し、病気をいやすことは、十二弟子にとって大切な使命だったのです。
そして、使命は能力と関係しています。イエスさまは、元々実行不可能なことができなかったからといって、それで責めるようなお方ではありません。

イエスさまは、弟子たちが悪霊を追い出せなかったことに対して嘆いておられます。それは、弟子たちには使命と共に、その使命を果たすための力が与えられていたからです。実際、弟子たちが二人組になり、イスラエル各地に派遣されたときには、彼らは多くの悪霊を追い出したし、たくさんの病人をいやすことができました。

使命・能力と悪魔の攻撃

悪魔は、私たちクリスチャンを誘惑したり、邪魔をしたりして失敗させようとします。

そして、その攻撃は、私たちがクリスチャンとしての使命や能力と密接に関係しています。失敗によってクリスチャンとしての使命を果たせないようにして、それによって神さまの働きに傷をつけることが、悪魔の狙いだからです。

悪魔は、私が日米通算二千本安打を達成できないように邪魔したりはしません。というのは、私は野球選手ではありませんから、その能力もないし、そうすることを神さまにも人にも期待されていないからです。

しかし、悪魔は、牧師である私が、お金や性的な事柄でスキャンダルを引き起こしたり、礼拝メッセージの準備に手を抜いたりするように攻撃してきます。それに成功したら、神さまの働きに大きなダメージを与えることができるからです。

自分は何者か

悪魔の誘惑や攻撃によって失敗をしてしまったりしたとき、そこで落ち込んで絶望することもできます。しかし、イエスさまの望みは、そこから何かを学んで、やり直すことです。

その何かとは、いったい自分が何者かということです。すなわち、イエスさまによってどんな生き方を期待されているのかということを知ることです。そして、それを実現するための力が、イエスさまによって与えられているということです。
私に与えられている使命って?

2.神の力を思い出すチャンス

自己不信による恐れ

2人組でイスラエル各地を巡っていたとき、弟子たちは確かに悪霊を追い出したり、病気をいやしたりすることができていました。それなのに、今回はなぜか失敗してしまったのでした。それをイエスさまは「信仰が薄いからだ」とおっしゃいました。

「信仰が薄い」という言葉で思い出すのは、ペテロが湖の上を歩いたときのことです(マタイ14:22-33)。そのときのペテロも、最初は水上を歩けていたのに、途中で沈み始め、あとでイエスさまに「信仰が薄い人だなあ」と言われました。

途中までうまくやれていたペテロが沈みかけたのは、風や波を見て怖くなったからです。「ただの人間に過ぎない自分が水の上を歩くなんて、あり得ないことだ。きっと沈んでしまう。沈んでしまったらどうしよう」と。

てんかんをいやそうとした弟子たちも同じだったのかもしれません。「ただの人間に過ぎない自分たちには無理だよ」と思ってしまったのかもしれませんね。

自己過信による傲慢

あるいは、過去の成功体験によってすっかり慣れてしまって、イエスさまが奇跡を行なう力をくださったという事実や、神さまの力が自分を通して奇跡を引き起こすのだと言うことを忘れてしまったのかもしれません。

そして、その結果、イエスさまや神さまに頼るのではなく、自分の力でいやそう、悪霊を追い出そうとしたのかもしれませんね。

神が奇跡を行なわれる

「自分なんかには無理だ」という自己不信に基づく恐れにしても、慣れによる自己過信にしても、実は神さまの力が働くということを忘れている点では同じです。

私やあなたが奇跡を行なうのではありません。私やあなたの努力だけで、クリスチャンとしての使命が果たされるわけではありません。イエスさまが私やあなたを通して働いてくださるのです。
通り良き管
失敗してしまったとき、物事がうまくいかないとき、イエスさまに対する信頼を忘れていなかったかを振り返ってみましょう。そして、思い当たったら、「もう一度イエスさまに信頼します」と祈りましょう。

3.飛躍のチャンス

チャンスを与え続ける神

イエスさまは、弟子たちやユダヤ人たちの不信仰を嘆かれました。そして、私たちが、本来の使命を忘れたり、神さまの助けを忘れたりしてしてしまうとき、その不信仰を嘆かれるでしょう。

しかし、それは「さじを投げる」ということではありません。イエスさまは、決して私たちをあきらめられません。私たちをなんとしても祝福したいと願っておられるし、私たちを通してこの地上にすばらしいことを起こしたいと願っておられます。

ですから、失敗しても、イエスさまはやり直しをさせてくださいます。

やり直して飛躍した弟子たち

イエスさまは、やり直しを許可なさるどころか、失敗を通して、さらに人としてクリスチャンとして人生を飛躍させてくださいます。

ペテロは、湖の上で沈みかけただけではありません。イエスさまのことを3度も知らないと言ってしまいました。しかし、そこから立ち直って、強力な教会のリーダーに成長しました。

パウロは、神さまのためと思って、キリストの教会を迫害するという失敗を犯しました。しかし、神さまは彼を滅ぼさず、神の僕として再出発することを許されました。そして、パウロは信仰による救い、恵みによる救いをたくさんの人々に伝える伝道者となりました。

ヨハネは、信じない人たちを日で滅ぼそうかというほど怒りっぽい人でした。しかし、イエスさまにその間違いを指摘され、やがて「愛の使徒」と呼ばれるほど、柔和な生き方をするようになりました。

マルコは、伝道旅行の途中で、つらくなって引き返してしまいました。しかし、パウロによる叱責と、バルナバによる地道な指導によって、ペテロやパウロを助ける働き手となりました。

あなたも飛躍する

あなたは失敗なさいましたか? あなたは、その失敗を失敗のまま終わらせることも、さらなる成長・飛躍のための良いきっかけにすることもできます。あなたはどうなさいますか?
飛躍のチャンス

まとめ

失敗したときは、自分の使命を再確認し、イエスさまが力をくださることを信じて、再びやり直しましょう。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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