針の穴を通るらくだ

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マタイによる福音書19章16〜26節

(2009.11.1)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

金持ちの青年は、永遠のいのちを求めていました。永遠のいのちとは、神さまと出会い、深い交わりがあるということです(ヨハネ17:3)。全知全能で、愛に満ちた神さまが共にいる。これこそ、私たちのあらゆる希望の源です。

私にお金が無くても、大金持ちの父親がそばにいてくれたら、別に気にする必要はありません。私に力が無くても、力持ちの父親がそばにいてくれたら、気にする必要はありません。病気になっても、名医である父親がそばにいてくれたら安心です。

パウロは言いました。「神が私たちの味方であったら、だれが私たちに敵対できるでしょう」(ローマ8:31)。神さまが共にいるという特権、すなわち永遠のいのちこそ、私たちが求めてやまないものです。

青年が永遠のいのちを求めてやってきたとき、イエスさまは何とおっしゃったのでしょうか。

1.良い方はひとりだけ

イエスは良い方ではないの?

永遠のいのちを求めてやってきた青年に対して、イエスさまは、「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです」とお答えになりました。

これは、イエスさまが良い方ではないとか、自分にも罪があるとかおっしゃったわけではありません。

良いことは、もうすでに神のことばである聖書に書かれているのだから、わざわざ他に良いことを探して歩く必要はないでしょう、とおっしゃっているのです。そして、「戒めはあなたもよく知っているはずですよ」と、改めて聖書に青年の目を向けさせようとなさいました。

神は惜しみなく与える

神さまは、とにかく私たちに永遠のいのちを与えて、私たちと一緒にいて、祝福し、幸せにしたいと願われました。そこで、永遠のいのちを手に入れるのに必要な情報を、惜しみなく与えてくださいました。

その情報は、これから与えられるのではなく、もうすでに与えられています。それが聖書です。私はこうしてメッセージを語っていますが、新しい真理を語っているのではなく、すでに聖書の中に語られている真理を、ただ解説しているのみです。

クリスチャンとして神さまと共に生きるものとなるのに、そして、神さまと共に生き続けていくのに、聖書はなくてならない情報源です。

主の教えを口ずさむ

神さまは私たちと共にいたいと願っておられるし、私たちを祝福したいと願っていらっしゃるし、私たちのことを大切な我が子よとおっしゃっています。

ところが、私たちの心の中には、自分自身の過去のいろいろな経験や、世の中の様々な価値観や、悪魔の惑わしによって、「お前はダメな奴だ」「お前なんかが幸せになれない」「お前は神に見放されている」という誤った声が響いてきます。

その結果、私たちは希望を失い、やる気を失ってしまい、本当だったら手に入れることのできる祝福を受け取り損ねてしまうのです。

ですから、その誤った声を、聖書に書かれている真理によって追い出し、真理の声で心を満たすのです。

詩篇には、幸いな人についてこう書いてあります。「まことに、その人は主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」(詩篇1:2-3)

感情がそれを実感していても、していなくても、聖書が私たちに語っている愛の約束を、何度も何度も口ずさみ、宣言し、心に思い描きましょう。

2.持ち物を売り払え

悪徳牧師の教え?

イエスさまは、青年に聖書の教えを思い出させました。しかし、「そんなことは小さいときから守っています」と答えた彼に対して、イエスさまは「持ち物を売り払って、貧しい人たちに施しをし、わたしに従ってきなさい」とおっしゃいました。
持ち物を売り払って
ところが、この命令は、青年にとっては、大変難しいものでしたそれは彼がお金持ちで、多くの財産を持っていたからです。それだけ手放すものも多く、彼は惜しいと思ったのでしょう。

しかし、イエスさまのこの命令は、全財産を手放さなければ救われないという意味ではありません。私が悪徳牧師なら、そういう意味だと嘘の解説をして(しかも、「貧しい人に施しをし」という箇所は上手にスルーして)、皆さんからお金をせしめることでしょうが。

私たちには様々な欲しいものがあるし、あってもかまいません。そして、それを神さまに求めてもかまいません。アブラハムは子どもと求めて与えられました。ヤコブは叔父よりも多くの財産を求めて、それがかなえられました。ソロモン王は国民を導くための知恵を求めてかなえられました。

しかし、その願いが、願いを叶えてくださる神さま以上に大切になってやしないかい? イエスさまは青年にそうおっしゃりたかったのです。

握ったものに振り回される

この青年は永遠のいのちを求めていました。それは嘘ではありません。しかし、彼自身は自覚していなかったでしょうが、お金を持っているということが彼にとって大きな安心の土台になっているのです。

神さまと同じくらいの、いや、もしかしたら神さま以上に大切な大切な人生の土台になっていたのかもしれません。ですから、それを手放せと言われたとき、彼は躊躇してしまいました。
この青年の場合
私たちは握っているものに振り回されてしまいます。お金を握っていれば、お金のあるなしで一喜一憂します。健康を握っていれば、体調の良し悪しで一喜一憂します。人から感謝されることを握っていれば、人から感謝されないと激しく落ち込むことになります。かく言う私は、「人から非難されないこと」を握っていたので、人の評価をいちいち恐れて生きていました。

握っているもの。自分の人生の中で、神さま以上に大切にするもの。それを聖書は「偶像」と呼びます。あなたはどんな偶像を握りしめていましたか? そのため、どんなふうにそれに振り回されてきましたか?

自由を味わおう

間違えないでください。お金が悪いわけではないし、健康が悪いわけでも、社会的成功や善行が悪いわけでもありません。それを大いに求めてかまいません。キリスト教信仰は、決して禁欲主義ではありません。

しかし、それによって自分の人生が左右されてしまうほどとらわれてしまうこと。そこが問題なのです。

パウロは「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」(ピリピ4:12)と語りました。

イエスさまは、「全財産を捧げなければ救われない」ということをおっしゃっておられるのではなく、パウロが語ったような、どんな境遇に置かれても幸せを感じられるような、そんな自由を、私たちにも味わって欲しいと願っておられるのです。
神さま以上になってない?
「もし、永遠のいのちを求め、神さまとの交わりを求めるのなら、神さま以外のものを神(偶像)にしていたことに気づいて、神さまへの信頼を改めて決意しなさい」。イエスさまは、そのようにあなたにも語っておられます。あなたが手放すべき偶像は何ですか?

3.神にはできる

聖書を読んで落ち込むとき

第一のポイントで、聖書の言葉に触れ続けるということを申し上げました。それを実践していると、うれしくなるときもあれば、つらくなるときもあります。つらいというのは、聖書の基準に、自分がとても追いつかないと示されるときです。

この青年は、神さま以上にお金に頼っている自分の姿に気づかされ、神さまに信頼するようにチャレンジを受けました。しかし、彼にはそれをする力がありませんでした。そこで、悲しみながら去っていったのです。

私だって、「人から非難されない」ということを偶像にして生きてきたわけですが、クリスチャンになってだいぶマシになってきました。しかし、それでも折に触れて人目を気にして心を騒がせてしまいます。先週もそういうことがあって、ちょっぴり落ち込みかけました。

なおもとどまるべきだった

青年は悲しみながら去っていきました。とても自分にはできないと思ったからです。しかし、彼は、本当はそこにとどまり続けなければなりませんでした。お金を偶像にして、お金のあるなしによって振り回されてしまう、そのあるがままの姿でとどまり続け、なおもイエスさまの話を聞く必要があったのです。

イエスさまは、なぜこんな厳しいことを青年に語ったのでしょうか。それは、そもそも彼の最初の質問が間違っていたからです。彼は、「何をしたら」永遠のいのちが手に入るかと尋ねました。

これに対してイエスさまは、「あなたの行ない、あなたの努力によっては、永遠のいのちを手に入れることはできないのだよ」ということを彼に教えたいと思われました。そこで、あえて厳しい基準をお示しになったのです。

実際、もしも行ないによって神さまに気に入っていただき、ご褒美によって永遠のいのちをいただこうとするなら、パーフェクトを求められます。99.999…%のできでも、完璧ではないからダメです。完璧な生き方をするなんて、人間には不可能です。

ですから、イエスさまは、私たちの足りない所を、いちいちあげつらって責めたりはなさいません。私たちに何かが欠けていることなんて、最初から分かりきっているからです。

そして、もしもイエスさまが私たちの足りないところを指摘なさるとしたら、それは責めるためではなく、自分の力で神さまのお気に入りになろうとしなくていいということを思い出させるためです。

そして、その代わりの生き方を教えてくださいます。永遠のいのちを手に入れるための、別の方法を。この青年は、なおもとどまってそれを聞かなければなりませんでした。

とどまって何を聞くのか

青年が去った後、弟子たちは「では、誰が救われるのですか」と尋ねました。この当時、長寿と子だくさんと金持ちというのは、神さまに祝福されている証拠だと考えられていましたから、「金持ちが救われるのは、らくだが針の穴を通るより難しい」というイエスさまの言葉に反応したわけです。
らくだが針の穴を通るより難しい
これに対して、イエスさまは「人にはできないけれども、神にはできるのだよ」とお答えになりました。人は、自分で自分を救い、永遠のいのちを手に入れることはできませんが、神さまには、人を救い、永遠のいのちを人に与えることができるということです。

私たちは、いろいろな偶像に心を奪われ、すぐに平安を失って一喜一憂してしまいます。偶像を手放して、神さまに信頼しようと思っても、なかなかそうすることができないのが私たちです。しかし、そんな情けない私たちを、イエスさまはそのままで救おうとなさいました。

イエスさまは、私たちのすべての不完全さ(罪)の尻ぬぐいをしてくださいました。そして、十字架で罪の罰を身代わりに受けて死んでくださいました。イエスさまは、私たちに永遠のいのちを与えるために、必要な条件をすべて代わりに満たしてくださったのです。

そこに私たちが何かを付け加える必要はありません。ただ「ありがとうございます」と受け取るだけです。イエスさまは、あなたに永遠のいのちを与えたい、いつも一緒にいて、なんとしても祝福したいと願っておられます。「それを信じます。信じさせてください」と祈りましょう。
信じます、信じさせて下さい

まとめ

金持ちの青年は悲しみながら去っていきましたが、私たちは図々しく踏みとどまって、聖書に触れ続け、礼拝式やミニチャーチの交わりに加わり続けましょう。そして、イエスさまの愛の語りかけを聞き続けましょう。そうすることで、「針の穴を通るらくだ」になれるのです。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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