あなたは神のもの

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マタイによる福音書22章15〜22節

(2009.11.15)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

イエスさまは、パリサイ人やヘロデ党の人たちとの議論を通して、「神のものは神に返しなさい」とおっしゃいました。これは、私たちの人生の究極の目的、何のために生きているのかということを示す言葉です。

1.ことばのわな

パリサイ派とヘロデ党

パリサイ人とヘロデ党の人たちが、一緒になってイエスさまを言葉の罠にはめようとしていました。

パリサイ人というのは、律法(神がイスラエルに与えられた命令)を熱心に守ろうとしたグループの人々です。

イエスさまの時代にはこれが行きすぎて、行ないによって救われると誤解したり、律法に書かれていないような細かい命令まで作り上げたりしていました。そして、非常に偽善的な態度が目についたため、イエスさまはよく彼らと議論なさいました。

カイザルへの納税に関しては、ローマが異教の国であるため、消極的反対の立場を取っていました。つまり、熱心党のように反逆行為まではしないけれど、おもしろくないという立場です。

一方のヘロデ党ですが、ここで言うヘロデとは、イエスさまが誕生した時期に、ローマ皇帝の信任によりユダヤを治めていたヘロデ大王です。ベツレヘムで幼児の大量虐殺をやった王ですね。

ヘロデ大王の死後、様々な事情で、ユダヤはローマの直轄地となりました。ヘロデ党は、以前のようにヘロデ王家の者がユダヤを治めることを願う人々です。政治的には親ローマで、当然、カイザルへの納税については賛成でした。

両派の協力

政治的には水と油の両派ですが、イエスさまへの反感という点では一致していました。

パリサイ派は、イエスさまがユダヤの律法や伝統をないがしろにしていると感じていました。そして、もしもイエスさまの教えによって、ユダヤの民が惑わされでもしたら、ユダヤの国はいつまでも神さまからの救いをいただくことができないと考えたのです。

ヘロデ党は、イエスさまがローマの権威をないがしろにしていると感じていました。もしも、イエスさまが自分を王だなどと言いだし、ローマに反旗を翻したりすれば、巻き添えを食って、国そのものが滅ぼされてしまうかもしれません。

つまり、「イエスを放っておいたら、国が滅びる」という点では、両派は一致していたのですね。ですから、協力してイエスさまを罠にかけようとしたわけです。

罠の中身

では、「ことばのわな」とはどんな罠なのでしょうか。

もし、イエスさまが税金を納めることが律法にかなっている(つまり、神さまのみこころだ)と言えば、ローマを憎んでいる群衆の怒りを買い、人気を落とすことになります。

逆に、律法に反しているから税金を納めるなと言えば、ローマに対する反逆者として訴えることができます。つまり、どちらに答えても困るような質問をしたのです。

しかし、イエスさまは引っかかりませんでした。AでもBでもない、第三の答えをなさいました。「カイザルのものはカイザルに、そして神のものは神に返しなさい」と。

カイザルがこの地を治めているわけだから、国民の義務として納税しなさい。しかし、それは自分の信仰を売り渡すことではないから安心しなさい。神さまへの信仰は、「神のものを神に返す」という方法で表すことができるのだから、と。

2.神のものとは

神のもの=あなた

神のものとは、あなた自身のことです。

私たちは、神さまによって、造られました。私やあなたが持っているもので、神さまによって造られなかったものは何もありません。だから、あなたのいのちも、あなたの持っているものも、すべて「神のもの」なのです。

神の形

カイザルのコインには、カイザルの肖像(イメージ)が刻み込まれていました。
カイザルの肖像
それと同じように、私たちは、ただ神さまによって造られただけでなく、神さまの形(イメージ)に造られています(創世記1:27)。

神さまは決して間違いを犯しません。ですから、あなたはすばらしい神さまの作品です。まして、あなたは神さまに似せて造られています。だから、他の人やあなた自身がどう評価しようとも、あなたはすばらしい存在なのです。あなたが神のものだというのはそういうことです。

あがない

クリスチャンとは、キリストのものという意味です。カイザルのコインには、カイザルの名が刻まれていました。それと同様に、私たちにはキリストの名が刻まれています(黙示録22:4)。

聖書は、私たちがイエス・キリストによって救われたと教えています。そして、その救いのことを「あがない」と表現しています。先週も学びましたが、あがないとは「買い戻す」という意味です。

私たちは神さまによって造られたものですが、神さまの元を離れてしまいました。私たちは心のどこかで、「神なんかいらない。私は自分の好き勝手に考え、感じ、行動したい」と思っています。この自己中心を罪といいますが、罪の結果、私たちは神さまから切り離されているのです。神さまから見れば、私たちは失われた宝物、家からいなくなってしまった子どものようなものです。

神さまは、私たちを愛しておられるので、私たちが失われたままであることに耐えられず、私たちを買い戻してくださいました。私たちを買い戻すために、神さまはイエス・キリストの尊い命を代価として支払ってくださいました。

あなたは神さまに買い戻されました。だからあなたは神さまのものです。そして、神さまは、あなたに、イエスさまのいのちを支払っても惜しくないほどの価値があると考えておられるということです。あなたは神のものであって、神さまが最高の価値を見出した宝物です。あなたが神のものだというのは、そういう意味です。

3.神に返すとは

神のために生きる

私が大学4年生の時、教会に来た宣教師がメッセージでこう語りました。「あなたが医者になるとしても、政治家になるとしても、教師になるとしても、牧師になるとしても、宣教師になるとしても、会社員になるとしても、専業主婦になるとしても、神さまのためにその仕事に就き、生きるのでなければ、何の価値もありません」。

イエスさまは、「神のものは神に返せ」とおっしゃいました。そして、神のものとはあなた自身ことです。あなたのいのち、能力、時間、知恵、体力、お金、仕事……あなたの持っているすべてのものです。それを神さまに返しなさいと。つまり、神さまのためにあなたの持っているすべてのものを使いなさいと。

神の栄光を表す

「あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい」(第1コリント10:31)と、聖書は教えています。神のために生きるとは、神の栄光を現すということです。
食べるにも飲むにも
神の栄光を現すとは、「神さまのすばらしさが、自分にも他の人にも、もっともっと分かるようにすること」です。

あなたが何かをする、本を読むとか、ご飯を食べるとか、話をするとか、何かを買うとか、何でもいいですが、何かをしたときに、自分自身や周りの人が「神さまってすごいなあ」「神さまってすばらしいなあ」「神さまって、愛にあふれたお方だなあ」「もっと神さまのことを知りたいなあ」と思うようになるということですね。

自分や他人を大切にする

先ほど、第2のポイントで、私たちは神さまのすばらしい作品であり、イエスさまのいのちと引き替えにあがなわれたすばらしい価値のある存在だということを学びました。

私たちを造ってくださり、あがなってくださる神さまのすばらしさを、自分や他の人に明らかにするにはどうしたらいいでしょうか。それは、自分が神さまに造られ、愛されていることを認め、喜び、神さまが自分を大切にしてくださっているように、自分自身を大切にすることです。

また、他の人も神さまの作品であって、大切な宝物なんだということを認めて、それをその人に伝え、その人のことを宝物のように扱うことです。

神さまが自分や他の人を大切にしてくださっているのだということを自分や相手に伝え、また自分も自分自身や他の人を大切にする。それをあなたの持っているもの、あなたにできることで実行すること。それが、神のものを神に返す、神の栄光のために生きるということです。
私たちは神さまのもの
他の人と比較する必要はありません。あなたにできることから始めましょう。

あるおばあさんは、以前は不平不満が多く、いつも愚痴や他の人の悪口を言っていました。しかし、クリスチャンになって数年たつうちに、すっかり人が変わったようになり、口を開くと、神さまや人に対して「ありがとさん」というふうに感謝の言葉が出てくるようになりました。

ご家族も茶飲み友だちも、このおばあさんと一緒にいることが楽しく、またあこがれるようになりました。そして、おばあさんを変えた教会というところに行ってみようということで、一人また一人と礼拝式に参加するようになりました。

あなたには何ができるでしょうか。それを探して実行しましょう。そして、あなたもあなたの周りの人たちも、もっともっと神さまに感動し、感謝し、喜びや希望に満たされましょう。あなたはそのために造られ、生かされています。

まとめ

1866年5月2日、中国の奥地で伝道していた宣教師、ハドソン・テーラーは、イギリスで宣教報告会を開きました。テーラー師の報告の後、恒例によって司会者が「先生の働きのために献金しましょう」と、会衆に促そうとしました。

しかし、テーラー師はそれを押しとどめていいました。「私の願いは、皆さんが神亜sまの働きに責任を負ってくださることです。お金を援助しようという皆さんのお気持ちは、とてもうれしく思います。けれども、私の望んでいるのは、皆さんがそれぞれのおうちにお帰りになった後、神さまが皆さんに何をさせようとしているか、神さまに尋ねていただくことです」。

皆さんも神さまに尋ねてみましょう。「神さま。私に今、何をお望みですか?」 そんなふうに毎日、いや一瞬一瞬尋ねながら生活しましょう。
何ができますか?

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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