私たちの原動力

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マタイによる福音書22章34〜40節

(2009.11.22)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

イエスさまは、私たちが何を基準に生きていったらいいか、そしてそのような生き方をするための力をどこから受け取ったらいいかを教えて下さいました。
私の原動力

1.神を愛する

自分を越えた世界

自己中心とは、自分の考えや好みや欲望を第一とする生き方です。それはなんだか都合がいい生き方のようですが、同じように他の人も自己中心的な生き方をすれば、とたんに利害が対立して、争いが起きることになります。

しかし、「神さまを愛する」ことを行動の基準にする人は、「自分を越えた世界」を認める人です。そして、その人は、自己中心から解放されていきます。すなわち、それは私たち自身が幸せに近づくということです。

神を愛するから

神さまを愛することを第一とする人は、神さまを悲しませるようなことをすまいと思います。むしろ、神さまが喜ばれることをしようと。その結果、正義を行ないます。

神さまは私を大切に思って下さっているように、あの人のこともこの人のことも大切に思っておられます。ですから私たちは、他の人を傷つけまいとしますし、他の人の駅になることを考え、実行します。

神さまは私のことを大切に思って下さいます。ですから、自分の心身に良くないことを避けようとします。

全身全霊

「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くし」とは、日本人になじみの言い方をすると、「全身全霊を込めて」ということです。感情も、意志も、知性も、すべて使って、本気で、全力で神さまを愛するのです。
全身全霊込めて
行動は感情の影響を受けます。感情は考え方の影響を受けます。そして考え方は情報の影響を受けます。

ですから、神さまを知ることが神さまへの愛の第一歩です。神さまは、何を望んでおられるでしょうか。

2.隣人を愛する

あなた自身のように

儒教では「己の欲せざるところ、人に施す事なかれ」(自分が嫌だなと思うことを、人にしてはいけません)と教えます。イエスさまは、さらに積極的に「自分がしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」(マタイ7:12)とおっしゃいました。

隣人とは、あなたに関係するすべての人の中で、あなたの助け、あなたの温かい関わりをを必要としている人のことです。
私の隣人って?
その人たちを、あなたが自分を大切にするように、大切にしなさいと、イエスさまはおっしゃいました。これが二つ目の人生の指針です。

よけいなお世話

ただし、「あなた自身のように」というときに、ちょっと注意が必要です。あなたがしてもらいたいこと、あなたが好きなことを、他の人が本当に喜ぶかどうかは分からないからです。場合によっては、「よけいなお世話」になってしまったり、相手を依存的にしてしまったりする恐れもあります。

また、動機も正しく、相手もあなたの助けを求めていたとしても、助ける方法が間違っていたら、かえって害を与えてしまうことだってあります。

知ることが愛の始まり

ですから、ここでも知識が必要です。愛は、知ることから始まります。すなわち、相手の好みや望み、相手の状況、どのように関わることが本当に相手のためになるのかということを知る必要があるのです。

3.自分を愛する

他者受容は自己受容に比例する

隣人愛とは、自分を粗末にすることではありません。

自分を大切にしていない人は、自己肯定感に欠けています。しかし、「自分には何の価値もない」というのはつらすぎますから、なんとか「自分には生きる価値がある」と、誰もが信じさせて欲しいと思っています。

そこで、人に感謝されることで、だから生きていていいんだと思おうとする人が出てきます。そうすると、自分自身の自己肯定感のために親切にしようとしますから、相手がそれを喜ぶかどうかは二の次で、親切の押し売りになってしまうかもしれません。

そんなことになれば、相手は嫌な気持ちになりますから、十分感謝なんかしてくれません。すると、こちらも不満を覚えます。親切にする方もされる方も、共に幸せな気持ちからほど遠くなってしまうのです。

また、自分を粗末にしていると、精神的に余裕が無くなってきますから、とても他の人のことまで気が回らなくなってしまうかもしれません。

自分を大切にし、心に余裕を持つことが、他の人を愛するためには必要なのです。

神の愛

私たちクリスチャンは、自分自身を粗末にしません。むしろ、宝物のように慈しみ、励まし、大切にします。それは、神さまが私たちのことを大切に思って下さっているからです。

私もあなたも、神さまによって造られた、価値ある作品です。そして、私たちを買い戻すために、イエスさまはご自分のいのちと交換なさいました。つまり、イエスさまのいのちと同じだけの価値を、私たちに見いだされたのです。
私は大切な存在
神さまは私たちを価値あるものと呼んで下さり、私たちを幸せにするために、様々な関わりをして下さっています。

それを知ることが、自分自身を愛することの始まりです。そして、神さまの愛を知って自分を大切にできるようになった分だけ、私たちは他に人もまた神さまに大切にされているのだからと、隣人愛を実践できるようになります。また、こんなに大切にして下さる神さまへの愛がわき上がり、神さまの喜ばれる生き方をしようという思いがわき上がってくるのです。

今日のメッセージのタイトルは、「私たちの原動力」ですが、それは神さまからの一方的な、そして偉大な愛です。

自分を大切にするとは?

神さまに愛されている人は、自分自身を大切にします。自分を大切にするとは、自分勝手に生きることではありません。あなたには体、心(精神)、そして魂があります。それぞれが健康を維持し、さらに成長するために、神さまは私たちがどんな生き方をするのを望んでおられるでしょうか。

それを知り、実践しましょう。

まとめ

私たちは神さまと隣人を愛するため、神さまのことをもっとよく知りましょう。特に、神さまがあなたのことをどう見、評価し、何を約束し、望んでおられるか、そしてこれまで何をしてきて下さったかを知りましょう。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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