全身全霊の愛

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マタイによる福音書26章6〜13節

(2009.12.13)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

イエスさまは、最も大切な教えは、全身全霊を込めて神を愛することと、隣人を自分自身のように愛することだとおっしゃいました(22:34-40)。マリヤは、まさに全身全霊込めてイエスさまを愛した人でした。その愛はどんな愛だったでしょうか。

1.心からの愛

もったいない

弟子たちは、マリヤの行為に対して「もったいない」と言いました。平行記事のヨハネの福音書によると、300デナリ(1デナリは、労働者1日分の給料に相当)にも売れる、高価な香油だったようです。

今、あなたの家の1年分の給料で買った香水を、一度にぶちまけたと考えて下されば、「もったいない」と弟子たちが言う気持ちが理解できるのではないでしょうか。
もったいない!

感謝ゆえ

しかし、マリヤはそのもったいないことを平気で行ないました。それは、感謝の気持ちからでした。

兄弟ラザロが病気で死んでしまったとき、イエスさまは彼をよみがえらせて下さいました(ヨハネ11章)。そして、イエスさまが自分たちのことを心から愛し、自分たちの救いのために、犠牲として命を捨てようとしていらっしゃいます。それらに対するあふれる感謝です。

主の良くしてくださったこと

私たちの、神さまに対する愛、礼拝、奉仕の根拠は、まず神さまが私たちを愛して下さったということです。イエスさまは、あなたに何をして下さったでしょうか。
  • 命を与えて下さり、今日も生かして下さっています。
  • 私たちの罪が赦されるために、身代わりに死んで下さいました。
  • 私たちが神の子として新しく生きることができるように、復活して永遠のいのちを下さいました。
  • 今日も私たちのために、父なる神さまに取りなしをして下さっています。
また、人生のいろいろな場面で、イエスさまは不思議なわざで私たちを導き、祝福して下さっています。

聖書にこんな言葉があります。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(詩篇103:2)

私たちは、つい「足りないもの」「無いもの」に目をとめがちです。しかし、どれだけ私たちの周りにイエスさまの愛が満ちあふれているか、意識して探し出しましょう。マリヤのように、イエスさまの語りかけにじっと耳を傾けるため、神からのラブレターである聖書に親しみましょう。

2.行動的な愛

本当に貧しい人たちを思うのなら

「もしこれだけのお金があれば、貧しい人たちに施しができたのに」という弟子たちの言葉は正論です。給料1年分のお金があれば、困っている人たちに援助したり、宣教師のために献金したり、各種団体に寄付したりできる……確かにその通りです。

しかし、イエスさまは弟子たちに反論なさいました。「貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます」。これは、第一には、イエスさまはまもなく死のうとしていましたから、生身のイエスさまに対する奉仕は今しかできないということを意味しています。

しかし、ここにはもう一つの意味があります。本当に貧しい人たちのことを考えているのであれば、今までだって何かできたはずだし、これからだって何かができるはずだ。しかも、他の人の持ち物を当てにするのではなく、あなた自身が何かをできるはずだ、ということです。

責難は成事にあらず

私の好きな小説に「十二国記」というシリーズがあります(小野不由美著)。その中で「責難は成事にあらず」という名台詞が語られています。その意味は、「人を責め、非難することは、何かを成すことではない」ということです。非常に含蓄のある言葉ではないでしょうか。

イエスさまは、決して罪人を罪人だということで責めたりはなさいませんでした。しかし、パリサイ人や律法学者たちとは激しい論争を繰り広げておられます。それは、彼らが、口では正論を吐きながら実体が全く伴っておらず、しかもそのことを認めて悲しむどころか、律法を守れない他人を非難し、軽蔑していたからです。

一方、マリヤの奉仕は、客観的には奇異で、効率の悪いへたくそものだったかもしれません。しかし、彼女は神への愛、人への愛を、言葉巧みに語る代わりに、ただ実行しました。私たちも、行動によって、死んだ正論に命を吹き込みたいものです。

もし〜だったら症候群

「もし〜だったら症候群」という霊的な病気があります。「もしもっと若かったら、これこれの良いことができるのに」「もっと時間があったら、人のためにこんなことができるのに」「もしもう少しお金に余裕があったら、人のためにこんなことをしてあげられるのに」というように、何もしないための理由探しをする魂の病気です。

今のあなたにできること、今のあなただからできることが何かあるのではないでしょうか。

マリヤはそれを行ないました。私たちも愛を行動で表しましょう。
今の私にできること

3.精一杯の愛

身を削る愛

マリヤは、まもなく死のうとしておられるイエスさまのために、何ができるか一生懸命に考え、自分の宝物を捧げることにしました。おそらく、自分の結婚式の時につけるために用意していた香油でしょう。

大切なお客さまをお迎えするのに、昨日の残飯をチンして出したりはしませんね。時間と労力と知恵を注ぎ込んだおもてなしをするはずです。

愛とは、犠牲を払うことです。時間か労力か知恵かお金か、とにかく何か身を削ることです。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして」愛するのです。

あなたの愛が世界を変える

マリヤの行為は、へたくそで効率の悪いものでしたが、精一杯の愛でした。そして、イエスさまはそれを喜んで下さいました。この出来事は、記念として3つの福音書に載せられ、「自分なんか、イエスさまや世界のために、大したことなんかできない」と思ってきた全世界の人たちを励ましてきました。

あなたが、あなたの周りの人や、遠くの人や、神の働きをしている人や団体のために精一杯捧げる時間、労力、知恵、お金、祈りなどを、イエスさまは喜んで下さいます。そして、それを通してすばらしいことを起こして下さいます。

あなたがイエスさまを愛し、周りの人たちを愛していくとき、何かが起こります。香油の香りが部屋いっぱいに広がったように、あなたを通して世界が変わります。

このわずかなものを?

献金の時、「このわずかなものを……」とお祈りする方がいらっしゃいます。それは謙遜の表れでしょうが、できれば「精一杯の献金を捧げました」と祈っていただきたいのです。

だって、実際、決して「わずか」ではないでしょう? 額を問題にしているのではありません。捧げられたものが100円であろうが、1万円だろうが、100万円だろうが、そのときそのときの精一杯のはずです。たとえ「惜しいなあ」と思いながら捧げたのだとしても、それが今のあなたにとっての精一杯のはずです。だから、「精一杯捧げました」と祈っていいし、そう祈るべきです。
精一杯
不思議なことに、良くやっていらっしゃる方ほど、自分は不十分だと自分を責めるようです。不十分なことは最初から分かっています。私たちは、どこまで行っても完璧にはなれません。不十分なのです。しかし、イエスさまはあなたの精一杯の愛を喜んで受け取って下さいます。

だから、自分を足りないと責める代わりに、もっとイエスさまや、イエスさまが愛しておられる方たちのために、何かができることを喜びましょう。

まとめ

私たちも、心からの愛、行動に表される愛、そして精一杯の愛を、イエスさまと人々のために実践しましょう。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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