葛藤する神の愛

トップページ聖書のメッセージ集2009年 > このページ


マタイによる福音書1章18〜25節

(2009.12.20)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

クリスマスというと、イエスさまを生んだマリヤばかりが注目されがちですが、今日はマリヤの夫ヨセフに注目します。

1.ヨセフの葛藤

マリヤの夫

ヨセフはマリヤと婚約中でした。ユダヤの婚約は、同居していないというだけで、法的には結婚しているのと同じでした。そこで、聖書の中では、ヨセフのことを「夫」と呼んでいます。

スキャンダル発生

ところが、幸せいっぱいの二人の関係に、危機が訪れました。マリヤが妊娠してしまったのです。ヨセフには、身に覚えがありません。当然考えられるのは、マリヤが他の男性と姦通し、性的な関係を持ったということです。

彼は正しい人でしたから、この問題に見て見ぬふりをすることはできませんでした。このままマリヤと結婚するなど、思いもよらないことだったのです。

しかし、その一方で、彼はマリヤを深く愛していました。ユダヤにおいて、姦通罪は大変重く、男でも女でも石打ちの刑(つまり死刑)でした。この事実が公になった場合、マリアは死ななければなりません。マリヤを愛していたヨセフは、マリヤをそんな目に遭わせたくはありませんでした。

ヨセフの決断

そこでヨセフは、さんざん悩み、葛藤したあげく、理由を明らかにしないままマリヤを離縁することにしました。

この場合、非難されるのはヨセフです。子どもまでもうけておきながら、マリヤに飽きて捨てたのだと思われるからです。しかし、マリヤを救い、しかも自分の正義を貫くために、ヨセフはこのような自己犠牲の道を選ぼうとしたのです。

2.神さまの葛藤

ヨセフが選ばれた理由

ルカの福音書を読むと、マリヤの信仰深さが美しく描かれています。突然天使が現れ、「あなたは聖霊によって、通常の性的な関係によらずに妊娠し、ユダヤ人がずっと待ち望んできたメシヤ、神の子、救い主を生む」と告げられました。ところが、彼女はそれをすんなりと信じたのです。神さまが、マリヤを救い主の母親として選んだのも、納得できる気がします。

一方、地上の父親として、ヨセフが選ばれたのはなぜでしょうか。もちろん、神さまの選びの理由は、私たち人間にははかりしれません。しかし、彼が正義とマリヤへの愛との間で、激しく葛藤し、最終的に自己犠牲の方法をとるような人物だったということが関係していると、私には思えます。

義と愛の葛藤、そして、その解決のための自己犠牲です。

神さまも葛藤した

実は、神さまもヨセフと同じように、いや、それ以上に激しい葛藤を経験なさいました。義と愛の葛藤です。

私たち人間は、神さまに対して罪を犯しました。罪とは、自分が神さまに取って代わるこつです。すなわち、神さまのみこころよりも、自分のおこころの方を優先させてしまうことです。自分の好きなことを、好きなときに、好きなようにやりたいという思いです。困ったときには助けて欲しいけれど、それ以外は勝手にやるから口を出すなという態度です。

この自己中心的な態度が、人間関係をぎくしゃくさせ、様々な不正や犯罪を引き起こし、自然を破壊してきました。その結果、人間が本来味わうことができるはずの様々な幸せを、私たちは味わえなくなってしまっています。

罪からくる報酬は死である

神さまの尊厳をないがしろにして、神さまが作られた人間や世界のすばらしさを台無しにしてしまった罪。正義の神さまは、人の罪をそのまま放っておくことはできません。

「罪からくる報酬は死である」と聖書に書かれています。罪は裁かれなければならないのです。すなわち、このままだと、私たち人類は神さまによって呪われ、罰を受けて滅びなければならないということです。

義と愛の葛藤とその解決

しかし、神さまは愛の神さまでもあります。どういうわけか、神さまは私たち人間のことが大好きで、無限の祝福で満たし、幸せにしたいと心から願っておられるのです。

神さまの義と愛とは、激しい葛藤を引き起こしました。罪は裁かれなければならない。しかし、罪人であるあなたや私のことは裁きたくない。それどころか、罪を赦して無かったことにし、神さまの子どもとして受け入れ、大いに祝福したい。でも、罪を無かったことにはできないし……。

そして、神さまは、その解決策を考えつかれました。それは、ヨセフと同じような結論でした。すなわち、自分が悪者になって、身代わりに罪をかぶるという自己犠牲の方法でした。

3.自己犠牲の愛

クリスマスとは

クリスマスは、サンタクロースの日というわけではなく、イエスさまの誕生を記念する日です……まあ、実際の誕生日は、もう少し暖かい時期だったと考えられますが(羊飼いが野宿をしていたくらいですから)。

そして、聖書は、イエスさまが単なる人間ではなく、神さまが人となられたお方だと主張しています。

自己犠牲によって人の罪を赦し、神さまの愛と正義が共に実現するために、イエスさまは地上に来てくださいました。それがクリスマスの意味です。

十字架

そしてイエスさまは、30歳を過ぎた頃、十字架にはりつけになって亡くなります。それは、私たちの罪の罰を身代わりに受けるためでした。ヨセフが、自分が非難されることでマリヤを救おうとしたように、イエスさまは、自分が罰を受けることで、私たちに罪の罰が及ばないようにしてくださったのです。

罪は裁かれました。それによって神さまの義が満足しました。そして、私たちへの罪は赦され、神さまの敵ではなく神さまの子どもとなり、堂々と神さまから祝福をいただける身分となりました。それによって神さまの愛も満足したのです。

救い主イエス

イエスさまは、十字架によって亡くなり、墓に葬られました。しかし、3日目によみがえりました。イエスさまは、今も生きておられます。そして、今も私たちの罪を赦し、私たちを祝福し、私たちの人生を幸せへと導いてくださっています。

天使は、イエスさまについてヨセフに語りました。「この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です」と。

大きな自己犠牲によって、イエスさまは私たちを救ってくださいました。どうか、イエスさまの葛藤をいつも覚えていてください。あなたの救いの背後で、神さまは大いに葛藤なさり、イエスさまがご自分のいのちを捧げて犠牲になってくださったのだということを。

まとめ

クリスマス。何がそんなにめでたいのだろうかと、不思議に思っておられた方はいらっしゃいませんか? イエスさまが地上に来られたということは、あなたが神さまに愛され、祝福されているという証拠です。

ここには、神さまに愛され、歓迎されていない人は、一人もいません。

イエスさまの十字架によって、あなたと神さまとを隔てていた壁は打ち破られ、両者の間にあった深い溝は埋め立てられました。そして、自由に交流することができるようになりました。

そのことを知ったあなたは、神さまに何を願いますか?

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

Copyright(c) 2009 Nakadoori Community Church All Rights Reserved.