見ないで信じる者

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ヨハネの福音書20章19〜31節

(2011.1.9)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

私たちも、トマスのように、否定的な気分に毒されることがあります。しかし、そんな私たちをイエスさまは解放し、喜びと平安を与えてくださいます。そのために、イエスさまは、私たちに何をしてくださるでしょうか。

1.必要に応えて下さる

誰しもトマスになり得る

今日登場するのは、イエスさまの復活を疑ってしまったトマスです。今回の事件がきっかけで、よく「疑い深いトマス」などと呼ばれています。

しかし、彼だけがそんな風に言われるのはどうかと私は思います。他の弟子たちも、実はイエスさまの復活を信じてはいなかったのです。マグダラのマリヤたちが、「自分たちは天使に出会い、イエスさまが復活したと告げられた」と報告しても、誰も信じませんでした(ルカ24:9-11)。彼らもまた、「見たから信じた」人たちだったのです。たまたまトマスは、最初にその場にいなかったために、一人だけ目立ってしまったというだけのことです。

ですから、「しょうがないなあ、トマスは」という視点ではなく、私も、皆さんも、誰しもトマスになり得るという視点で、この箇所を読んでいきたいのです。

もう一つ、今回準備をしている中で教えられたことは、トマスに焦点を合わせるというよりも、むしろイエスさまの方に焦点を合わせて読んでみるということ。ルカ伝15章に「放蕩息子のたとえ」と呼ばれている有名なたとえ話があります。しかし、多くの研究者が指摘している通り、あれはむしろ「愛情深い父のたとえ」と呼ぶべきもので、焦点は、息子が帰ってきて大喜びする父の方にあるのです。

イエスさまは、トマスのような私たちに何をしてくださるのでしょうか。

シャローム

ここでイエスさまは、「平安あれ」と言って部屋に入ってこられました。これはユダヤのあいさつの言葉(ヘブル語で「シャローム」)です。しかし、単にこれは儀礼的な言葉ではなく、イエスさまは本当に平安を携えて来られたのです。

日本的感覚で平安というのは、平穏無事、すなわち何もないことというようなニュアンスでとらえられることがありますが、ユダヤのシャロームは、もっと躍動的で、わくわくして、喜びに満ちたものです。
喜び、感動
トマス事件の1週間前、イエスさまは他の弟子たちのいるところに現れ、「平安あれ」と言われました。その時、「弟子たちは、主を見て喜んだ」と書かれていますが、そのように喜びに満ちあふれることなのです。

トマスのいる位置

しかし、トマスは、この時、シャロームからはほど遠い気分でした。非常に否定的な気分に毒されていました。トマスの立場に自分の身を置いてみると、何となく彼の気分が分かるような気がしてきました。他の弟子たちが、みんなイエスさまにあって喜んでいるのに、自分は会えなかった……。「なんだい! どうせ俺はみそっかすだい!」というような、ちょっぴりすねたような気持ちになったのかもしれません。そして、「手やわき腹の傷口を見て、そこにこの指をねじ入れてみなければ、絶対信じないぞ」と言ってしまったのです。

もちろんこれは本心ではありませんでした。実際にイエスさまが彼の前に現れた時、トマスはそれをやりませんでした。すぐに「我が主、我が神」と、イエスさまを礼拝したのです。要するに、トマスは、単にすねてみたかっただけなのです。

しかし、イエスさまはそういうトマスのいる位置まで下ってきて下さいました。「何をお前は子どもっぽいことを言ってすねているんだ!」と責めたりしませんでした。「もし、そうすることで、お前が信じてくれるんだったら、私は喜んで傷跡を見せるよ。傷跡に指を差し入れてもらうよ。さあ、やってごらん。そして、私が復活したということを信じておくれ」。

そう、イエスさまは、トマスにシャロームを与えたくて仕方がなかったのです。そして、私たちにもシャロームを与えたいのです。そして、こうおっしゃるのです。「ねえ、お前にシャロームが満ちあふれるためだったら、私は何でもするよ」。

イエスさまは、昨日のあなたに関わろうとしておられるわけではありません。明日のあなたに関わろうとしておられるわけでもありません。今ここにいるあなたに関わって下さるのです。

今、あなたはどんな気分でしょうか。何かを恐れていますか? 何か不満ですか? 何か「ダメ」なものが目に付きますか? どうにかして欲しいと願っていることがありますか? それをイエスさまの所に持っていきましょう。「天国には、宛先不明のプレゼントが山積みにされている」と言った詩人がいます。「ここが私の位置です。今私はこんな問題を抱えています。ここを何とかして下さい」と、イエスさまに求めてみましょう。

2.可能性を信じ続けて下さる

レッテル貼り

「疑い深いトマス」「不信仰なトマス」などと言われますが、聖書は、あるいはイエスさまは、彼のことをそのようには読んでいません。これは注目に値します。

私たちはつい他人や自分にレッテルを貼って、分かった気になってしまいます。レッテル張りの怖いところは、レッテルの通りになってしまうということです。
悪いレッテル

可能性を信じ続けた

イエスさまは、トマスに、「疑い深いトマス」とか「不信仰なトマス」とかいうレッテルを貼りませんでした。すなわち、「いい」「悪い」と単純に決めつけず、あくまでもトマスの可能性を信じ続けたのです。

トマスは他に3ヶ所登場します。1つは十二使徒が選ばれた時、あとはヨハネ11:16と14:5です。

11章では、死んだラザロを助けるためにイエスさまがベタニヤに行こうとおっしゃった時、指導者たちが殺そうと狙っているから危険だという弟子たちの中で、トマスは「私たちも行って、主といっしょに死のうではないか」と語っています。ちょっと悲壮感に満ちすぎてはいますが(イエスさまには、まだ死ぬ気がありませんでした)、勇気あふれる人となりが伺われます。

14章でも、分からないことは分からないと、とことん追求していく姿が描かれています。

今回の箇所では、たまたま彼のその持ち味(これと思ったところに、全力を傾ける。とことん追求する)が、マイナス方向に働いてしまったのです。

そのまんまの私が好き

イエスさまは、トマスの持ち味がマイナスに働いたのをとがめないで、その持ち味を認め、持ち味がプラスに働く可能性を信じてくださいました。

イエスさまは、私たちの足りないところをピックアップして、それを叩くようなお方ではありません。長所も短所もひっくるめた私を、まずはそのまんまで受け止めて下さいます。そして、そのまんまの私のことを大好きだとおっしゃるのです。
いいレッテル
悪いレッテル張りは、やめてみませんか? そして、自分や他人の短所と見えるところに、素晴らしい可能性を見出してみませんか?

3.次の目標を与えて下さる

聞いて信じる世界

見て、しかもさわらなければ信じないと言っていたトマス。しかし、実際にはさわらなくても、見ただけで信じられました。

その彼について、「あなたは見たから信じたのですね」とイエスさまはお認めになりました。そして、さらに次なるステップ、「見なくても信じる」という世界があることをトマスにお示しになりました。
見ないで信じる
「見なくても信じる」とはどういうことでしょうか。それは「聞いて信じる」ということです。聖書は、旧約聖書の始めから、一貫してこの態度を尊重しています。

アブラハム一族の信仰

アブラハムは、子どもと土地が与えられるという神さまからの約束を信じて、義と認められ、約束の子イサクを与えられました。

イサクは、「アブラハムの故にあなたを祝福する」という神さまの約束を聞いて信じました。ですから、ペリシテ人とトラブルが起こっても、戦って勝つだけの力があったのに、あえて相手に勝ちを譲ってやりました。しかし、それでも圧倒的に祝福され続け、最後はペリシテ人の方から講和を求めてくるまでになりました。

その子ヤコブも、兄エサウを出し抜いて長子の権利を得たため、ひどく兄から憎まれていました。一時的に叔父の所に逃げますが、帰ろうとする時に不安でたまらなくなりました。

もちろん彼にも、アブラハム・イサクと同じように、「あなたを祝福する、あなたを守る」という約束が与えられていました。最初はなかなかそれを信じられませんでしたが、天使とレスリングをして、「もう、自分で自分の心配するのはやめた。神さまにお任せ!」と決意したのです。そうしたら、兄と和解することができました。

信じる力の活用法

見ずに信じるものは幸いです。この幸いな人とは誰のことでしょう。そう、皆さんです。皆さんは、トマスや他の弟子たちのように、イエスさまを見ることもさわることもできません。それでも、信じておられます。イエスさまが今も生きておられ、この自分をこよなく愛しておられ、この自分を圧倒的な祝福で満ち足らせて下さるということを。

これは、奇跡だとは思われませんか? すでに皆さんには、そのようなものすごい力が与えられているのです。もっともっとその力を活用しましょう。

「聞いて信じる」とはどうすることでしょうか。まずは聞くことです。今、皆さんが置かれている状況で、イエスさまはどんなシャロームを約束しておられますか?

次に、その約束の言葉を、自分自身によくよく言い聞かせることです。トマスの頭の中には、否定的な言葉が渦巻いていました。「ダメだ」「おしまいだ」「どうせ俺なんか」……。「イエスさまは復活したんだよ」という友の言葉が入る隙がないないくらいでした。私たちも、問題に直面して悩んでいる時は同じです。
自分に向かって
しかし、イエスさまはおっしゃいます。「平安があなた方にあるように」。皆さんは、神さまのシャローム、神さまの祝福、神さまの大丈夫に満ちあふれています。「だから、大丈夫!」と、力強く宣言してみましょう。何度も何度も。そうして、否定的な思いを吹き飛ばしてしまいましょう。

まとめ

イエスさまは、私たちを否定的な思いから解放し、平安を与えて下さいます。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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