すばらしい人生

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ヨハネによる福音書21章1〜14節

(2011.1.16)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

イエスさまは、私たちにすばらしい人生を用意してくださっています。

1.神と人とのために生きるすばらしさ

ガリラヤ湖での漁

今回の舞台は、イスラエル北部にあるガリラヤ湖です。イエスさまが復活なさったとき、天使が「ガリラヤでイエスさまにお会いできる」と告げていたため(マタイ28:7)、弟子たちはエルサレムからガリラヤに移動していたようです。

ところが、なかなかイエスさまが現れません。そこで、以前ガリラヤ湖で漁師をしていたペテロが「私は漁に行く」と言い出し、他の弟子たちも同行しました。しかし、一晩中働いても、何も取れなかったのです。

朝になり、空が少しずつ白み始めた頃、岸辺に一人の男性が立ち、声をかけてきました。それはイエスさまでしたが、まだ十分に明るくはなく、また舟と岸とは100m近く離れていたため、それが誰かは弟子たちには分かりませんでした。

食べるものがありませんね

岸に立った男性は、弟子たちに向かって「食べるものがありませんね」と声をかけてきました。それは、一晩中働いたのに、まったく魚が捕れなかったからです。
不漁
しかし、「食べるものがない」という言葉で、私はヨハネ4:34のみことばを思い出しました。「イエスは彼らに言われた。『わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です』」

人は、神さまと共に生き、神さまと人とのために働くとき、最も生き生きと輝いて生きられるように造られています。弟子たちは、かつてイエスさまと共に、神さまと人とのために働く充実感を体験していました。それだけに、「何もしない時間」が耐えられなくて、とりあえず漁に行ってみようということになったのでしょう。

神の働きをしよう

「神さまってすごい」「イエスさまってやっぱり生きている」ということを、あなた自身が体験したいですか? そして、喜びや感動に満ちた人生を歩みたいですか? ならば、少し積極的に、他の人に神さまについて話をしたり、イエスさまの代理人になったつもりで、他の人に愛のわざを行ないましょう。

私たちは、人を愛し、人に与えることで、自分も幸せを感じることができます。

牧師や宣教師だけが「神の働き」なのではありません。商社マンとして、商売人として、公務員として、教師として、職人として、医者として、事務員として、学生として、主婦として、セールスマンとして、あるいは病人として、ご隠居さんとして……あなたは神の働きをすることができます。すなわち、あなたを通して、神さまのすばらしさを、あなたもあなたの周りの人も体験できるのです。

今週、あなたはどのように神さまの働きをなさるでしょうか。

2.神と共に生きるすばらしさ

何もとれなかった

夜は漁にとってはよい時間帯です。しかも弟子たちはプロの漁師です。しかし、何も捕れませんでした。

どんなに状況が整っていても、どんなに優れた能力の持ち主であっても、それだけでは神のみわざを見るような働きはできません。イエスさまが共にいることが大切なのです。 この話をお読みください

臨在感を求めよう

臨在とは、イエスさまが共におられるということです。そして、臨在「感」とは、そういう感じがするということです。

私たちがそれを感じられても、感じられなくても、イエスさまは私たちと共にいてくださいます(マタイ28:20、ヘブル13:5など)。まずはそれを信じましょう。
イエスさまといつも一緒
と同時に、「イエスさまが私と一緒にいてくださるんだ!」ということを全身全霊で体験できるならば、すなわち臨在感を体験できるならば、私たちが心から慰められ、励まされ、勇気をいただくことができるでしょう。

この教会に、また皆さん一人一人の生活の中に、「イエスさまが共にいらっしゃる」という臨在感がいつも満ちあふれるようにと祈ります。皆さんもそのことを祈りましょう。

3.神に赦されて生きるすばらしさ

同じような以前の体験

弟子たちは、かつて同じような体験をしています(ルカ5:1-11)。この時、イエスさまはペテロたちに「これからは人間をとる漁師になるのだ」とおっしゃって、彼らを神の働きに召し出したのです。

ところが、その後のペテロも他の弟子たちを見ると、彼らがイエスさまの教えをほとんど理解できていなかったと分かります。それどころか、イエスさまが逮捕されると、みんなイエスさまを見捨てて逃げ出してしまったのです。

再度の大漁の奇跡

しかし、今もう一度彼らは大漁の奇跡を見せられました。まるで、「もう一度やってごらん」とおっしゃっているように。
大漁の奇跡
イエスさまの十字架は、私たちの失敗を覆い尽くします。イエスさまの赦しは、単に罰を与えないということではなく、再びチャンスが与えられるということです。

失敗は失敗ではない

あなたは失敗なさいましたか? では、あなたは人生の失敗者ですか? いいえ! 神の前に、決して失敗はあり得ません。たとえつまずいて倒れても、たとえ失敗に見えても、神はそんな私たちを温かく見守って下さっています。

イエスさまの十字架を信じる者にとって、失敗とは「良い学習をした」ということです。失敗は、もっと良い方法を考える必要があるということを学ぶ機会かもしれません。もう少し良いタイミングがあるから、それを待たなければならないということを学ぶ機会かもしれません。もっと違った心の態度を取らなければならないということを学ぶ機会かもしれません。
失敗は学習
もし失敗があるとすれば、それは神の赦しを受け取らないで、チャレンジをやめてしまうことです。もう一度やってみましょう。

まとめ

イエスさまは、あなたにすばらしい人生を約束しておられます。いいえ、もうすでに与えてくださっています。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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