信仰による祈り

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ヤコブの手紙5章13〜18節

(2011.2.6)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

私たちの信じている聖書の神さまは、奇跡の神さまです。その奇跡の力により、医学では説明ができないようないやしが行なわれたり、物理や化学では説明できないような出来事が起こったりします。

ヤコブは、その神さまの奇跡のわざに、私たち人間が参加できると語っています。そのために必要なのは「信仰による祈り」です。それはどのような信仰でしょうか。

1.神の力を信じる

ディスカウント

買い物でのディスカウント(値引き)はうれしいものです。しかし、うれしくないディスカウントもあります。それは、存在価値のディスカウントです。
ディスカウント
人には「力の欲求」というものがあります。これは人間ならではの基本的欲求の一つで、「自分は価値ある存在だ」と感じたいという欲求です。ですから、他人から無視されたり、能力が無いとか知恵がないとかいってバカにされたり、自分の発言を軽くあしらわれたりすると、傷ついたり腹が立ったり悲しくなったりします。

最近、誰かに対して傷ついた思いになったり、腹が立ったりしませんでしたか? おそらく、それは、相手が自分の存在価値がディスカウントしたと感じたからではないでしょうか。

神の力のディスカウント

さて、私たちは、どこかで神さまの力をディスカウントしていないでしょうか。

私たちは、信仰告白としては「神は今も奇跡を行なう」と信じています。しかし、人間とは単純ではない生き物です。そう信じているのは嘘ではありませんが、心のどこかに、そう信じられない自分もまた存在するかもしれません。

聖書の神さまは、世界の究極のエネルギーというような、無機質な存在ではありません。生きておられる人格神です。ですから、あなたがディスカウントされると傷つくように、神さまも力や知恵をディスカウントされると傷つかれます。

神さまへのディスカウント、すなわち、神さまの存在を値引き、神さまの重要性を値引き、神さまの権威を値引き、神の力や知恵を値引くこと、これは罪です。神さまを神さまにふさわしく扱わないことが罪だからです。そして、罪は神さまと私たちの間を隔て、神さまの奇跡の力が私たちの人生の中に起こらないように邪魔します。

ディスカウントの罪を悔い改めよう

しかし、神さまは、イエスさまの十字架によって罪を赦してくださいました。自分が神さまの力や知恵をディスカウントしていることに気づいたら、悔い改め、赦しを受け取り、信じる力を求めましょう。「信じます。不信仰な私をお助けください」(マルコ9:24)と。
悔い改め
すると、そこから奇跡が始まります。

2.神の愛を信じる

神の愛のディスカウント

聖書はこう語ります。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです」(ヘブル11:6)

神さまの存在やその力をディスカウントしなかったとしても、神さまの愛をディスカウントすると、やはり神の奇跡を期待できなくなります。

自分の価値のディスカウント

神さまの愛をディスカウントするというのは、すなわち、あなた自身の価値をディスカウントするということです。

私は神さまの愛を受けるのにふさわしい存在ではない。私はちっぽけで、神さまが気にかけてくださるような、そんな大した存在じゃない……そういうふうに信じているということだからです。

自分の価値をディスカウントし、自分を貶めるのもまた罪です。どうして?

イエスさまは、神さまの私たちに対する愛を行動によって示してくださいました。神さまは、私たちにとんでもない高値をお付けになりました。イエスさまは、私たちを取り戻すのに、ご自分のいのちと引き替えにしてくださったのです。

あなたが自分を馬鹿にすることは、そのあなたの身代わりになったイエスさまの価値を馬鹿にすることですし、神さまの愛が本物ではないと馬鹿にすることでもあります。
自分の値引き

悔い改めよう

さあ、あなたは神さまの愛や自分自身の価値をディスカウントする罪に気づかれましたか?

もちろん、この罪も赦されています。罪を告白し、あらためて信じましょう。神さまの愛と自分の価値を信じ、神さまはあなたとあなたの人生に関心を持っておられ、必要な助けを送ってくださると信じましょう。すると、本当にそうなります。

3.神の家族を信じる

預言者エリヤ

ここでヤコブは、旧約聖書の預言者、エリヤを例に挙げています。

エリヤは、北イスラエル王国最悪の王アハブと、王妃イゼベルの時代に活躍しました。アハブとイゼベルは、バアルという異教の神への礼拝を、国家規模で強制しました。エリヤはたった一人で何百人ものバアルの預言者たちと渡り合い、ヤコブが紹介しているように、祈りによって雨をとどめたり、降らせたりするという奇跡を引き起こして、聖書の神こそまことの神であることを人々に示そうとしました。

しかし、バアルの預言者たちに勝利した後、イゼベルに命を狙われます。そこでエリヤは、北王国を脱出し、南王国まで通り過ぎ、南の荒野に逃れました。そして、うつ状態に陥って、「あなたを信じるのは、私ひとりだけです。もう結構ですから、命を取ってください」と神さまに懇願しました。

ヤコブは、エリヤのことを、「私たちと同じような人だ」と書いています。エリヤもまた弱さを抱えた、一人の人間だったのです。
弱さを持った人間
そんなエリヤに、神さまは食事と十分な休息を与え、さらに「あなたは一人ではない。イスラエルには、バアルに膝をかがめていない、7000人が残っているぞ」とおっしゃいました。それに勇気づけられ、エリヤは再び戦いの場へと戻っていきました。

私たちも弱い

一人ではとても耐えられないこともあるでしょう。信仰による祈りなんて言われても、つい神さまの力や愛、自分の価値をディスカウントしてしまうこともあるでしょう。

しかし、神さまは、私たちがイエスさまを信じた後、たった一人で信仰生活を送るようお命じにはなりませんでした。私たちには教会が与えられ、教会の交わりの中で、互いに支え合うことができるよう備えられました。

あなたは、その教会の兄弟姉妹たちに祈ってもらったり、共に祈ったりするという特権を利用してこられましたか? その力を体験してこられましたか?

互いに罪を言い表し

ヤコブは勧めています。「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい」(16節)

ここで言う罪とは、特に第1・第2のポイントで学んだディスカウントの罪のことです。2人3人の交わりの中で、お互いがお互いの弱さを告白し合い、祈りによって支え合うのです。

エリヤが、7000人の仲間がいると知っただけで勇気づけられたように、私たちもお互いの持つ弱さと強さによって勇気づけられ、今一度神さまの力と愛を信じてみようと決心していけるように。

私たちはみんな強さと弱さを併せ持っています。ですから、強さと弱さを持ち寄って、互いに支え合いましょう。そして、教会全体として、神さまの奇跡の力を体験させていただきましょう。
共に祈る
もし、自分の中の強くてかっこいい部分しか見せられず、弱い部分を公開できない雰囲気が教会の中にあるとしたら、それは何かが病んでいる証拠です。強さも弱さもひっくるめて神さまは愛してくださっています。

「私のために祈ってください」「あなたのために祈らせてください」「一緒に祈ろう」。それが、私たちの教会で、もっともよく聞かれる言葉になりますように。

まとめ

神さまは宇宙の主ですから、私たちが祈る前から私たちの願いを知っておられます。ですから、祈らなくても奇跡は起きるはずですし、実際に起きることもあります。

しかし、あえて私たちが祈るのを待ってから、ことを行なわれる場合がたくさんあります。おそらく、神さまは、私たちのことをほめたくてたまらないからだと、私は考えています。

私たちも、信仰による祈りの力を体験しましょう。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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