自信の源

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コリント人への第2の手紙12章7〜10節

(2011.6.26)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

リーダーとしてふさわしくないという批判に対し、パウロはここで弁明しています。普通、弁明の時には、「自分にはこういう力がある」「こういう能力がある」という、自分の持ち味や強さについて述べると思いますが、パウロはむしろ自分にできないことや、弱さについて語りました。
パウロの手紙
能力があって、何か大きなことができるのは当たり前です。キリストを信じる者の醍醐味は、むしろ私たちの弱さ、欠点、問題を通して、神さまが素晴らしいわざを見せてくださるということです。パウロを通して、そのような生き方の秘密を探りましょう。

1.自信の力

自分は大丈夫だという自信があれば、様々な困難にぶつかっても、それを乗り切っていくことができます。あるいは、困難を宝にすら変えることができるでしょう。

逆に、自分はダメだと思っていれば、目の前にチャンスが転がっていても、それをつかむことはないでしょう。

2.自信の欠如

自信がない

以前、ある方とお話ししていたとき、私が「私には自信がないんだ」と言いますと、その方が「先生は私と違って○○もできるし、○○もできるし、自信がないなんて信じられない」とおっしゃいます。

そこで、申し上げました。「もし、体のご不自由な方がここにいらっしゃって、『あなたは私と違って歩けるじゃない。見えるじゃない。話せるじゃない』とおっしゃったとしたら、あなたは自信がつきますか?」と。すると、その方は「そんなことを言われても、自信につながらない」とおっしゃいました。

そこで、「そうです、私もなのです」と申し上げました。そして、どうしてなんだろうと、さらに話し合いました。結局、私たちは最初から、「私はダメ人間だ」と決めてかかっているんだということが分かってきました。だから、人からどんなに「これができるじゃない? あれもできるじゃない?」と言われても、自信につながらないんだと。
自信ないんだよねー

私の自信の種

私は、小さいときから、親や教師、友人たちの評価をがんばって勝ち取って、自分の自信の種としてきました。しかし、どんなに周りの人に評価されても、自分はそんな立派な人間ではないということを、自分だけは知っていました。どんなに周りの人をごまかしても、自分だけはごまかすことができませんでした。

だから、いつも心の中に、自信のなさを抱えて、本当の自分のことがばれたらどうしようかとビクビクしていました。

それはクリスチャンになってからも同じでした。聖書に書いてあることを一生懸命守り、「良いクリスチャン」になることで、なんとか神さまや牧師や他のクリスチャンたちの評価を勝ち取ろうとしていたのです。

しかし、聖書の律法は私たちに完璧を求めます。もし、行ないによって神さまに認めてもらおうとしたら、完璧でなければなりません。そんなのは不可能です。ですから、いつも私の心の中には、「私はダメなクリスチャンだ」という負い目がありました。

薄氷の上の自信

能力、経験、財産、学歴、人脈、性格などなど、多くの人は、できること、持っているものによって自信を保とうとします。しかし、それで得られる自信は、薄氷の上を踏み歩くようなものです。自分よりももっとできる人に出会ったとき、あるいは何らかの挫折を味わったとき、もろくも崩れ去っていくような薄い氷なのです。
がんばってきたけれど
私は、子どもの頃も、クリスチャンになってからも、牧師になってからも、何度も何度も挫折を体験して、そのたびに自信を打ち砕かれてきました。

あなたはいかがでしょうか?

3.自信の源

できないことを売り物にする

自信について話し合い、結局私たちは、誰が何と言おうと、自分はダメ人間だと思っているのだという結論に達したとき、「じゃあ、ダメだということ、できないということを売り物にするしかないね」という話になりました。

確かに、 考えてみれば、この中通りコミュニティ・チャーチや、その牧師である私の信仰のスタイルというのは、この「ダメだということ、できないということ売り物にする」ということですね。
できないことを売り物にする
私にはできない。だから、人の行動力や意志の力よりも神さまの恵みを強調する。

私にはできない。だから、アルコール依存症の方々の自助グループのような、牧師である私も含めて、みんなが安心して弱音を吐ける信仰の自助グループを作ろうとする……。

私にはできない。だから、私が一人で指導するのではなく、みんなで互いに支え合おうとする。

中通りコミュニティ・チャーチの礼拝式に集まる皆さんを見るとき、私はいつも不思議な気持ちになります。これは、絶対に、私が集めた人たちではありません。神さまが集めてくださった方々です。神さまが養ってくださっている方々です。

パウロの強さと弱さ

パウロは有能な人物でした。国会議員であり、当時最高の聖書学者だったガマリエル先生の門下生であり、何ヶ国語もしゃべることができ、将来を嘱望されていた青年でした。

しかし、クリスチャンになったおかげで、彼は様々な苦労に出会います。神さまは「肉体のとげ」を用いて、徹底的に彼に自分の弱さを思い知らせたのです。そのおかげで、彼は神さまに信頼し、神さまにいっさいをお任せするしかできなくなりました。

そして、実際に神さまの力強いわざを見たのです。彼の雄弁術によって人が救われるのではなく、不十分な説明しかできなかったのに、人が救われていく。自分は弱って立ち上がるのもやっとなのに、その祈りによって人がいやされていく……。

パウロは知ります。神さまは、むしろ私たちの弱さを通して働かれる。だから、もう自分の強さや、自分の持っているものを誇るのはやめよう。そんなものは、ちょっとしたことで崩れ去ってしまうものだ。逆に、弱さを誇りにしよう。すなわち、神さまを誇りにしよう。パウロはそう語っているのです。
弱さを誇りに

まとめ

あなたの弱さは何ですか? おめでとうございます。そこに神さまの力が働きます。あなたの自信の源を、神さまに求めましょう。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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