イエスの受洗

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ルカによる福音書3章21〜22節

(2011.7.10)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

先日、家内の職場で、パソコンのスイッチが突然切れてしまったそうです。どうやら電源コードの差し込みが甘くなっていて、電気が供給されなくなったせいだったようです。どんなにすばらしいコンピュータでも、どんなに高性能な車でも、電気や燃料が遮断されてエネルギーを供給されなかったら、役に立たなくなってしまいます。
私たちの電源
それでは、私たちクリスチャンは、どんなエネルギー源とつながって、人生を歩むのでしょうか。イエスさまがバプテスマを受けられたという記事から、そのことを考えてみましょう。

1.なぜバプテスマを受けたの?

罪がないのに悔い改め?

今日の箇所で、イエスさまは、ヨハネからバプテスマ(洗礼)をお受けになりました。前回学んだように、ヨハネのバプテスマは悔い改めを表しています。神さまを無視したり、神さまの恵みをないがしろにしてきた、その人生を悔い改めて、これからは神さまに信頼して生きよう……その決意を表すしるしだったのです。

しかし、イエスさまは私たちと違ってただの人間ではありません。聖書によれば、神のひとり子が人間となって来られた方であって、その生涯で全く罪を犯しませんでした。

罪がないなら悔い改める必要も無いはずです。実際、平行記事によれば、バプテスマを授けて欲しいとイエスさまに言われたヨハネは、いったんは断っています。

「しかし、ヨハネはイエスにそうさせまいとして、言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか。」ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した」(マタイ3:14-15)

おそらく、ヨハネは心から納得はしていなかったでしょうが、イエスさまが「これは正しいことだ」と確信を持って語られるので、理由は分からなくても、従うことにしたのでしょう。

イザヤ42章との関係

イエスさまがバプテスマを受けた後、天から聖霊が下り、また天から父なる神さまの声がしました。これは父なる神さまの声です。

この出来事は、イザヤ書42:1と関係があります。「見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす」

この神のしもべとは、人類を罪から救うメシヤ(キリスト、救い主)のことです。そして、イザヤ書の42章以降には、神のしもべについての預言が続きます。その預言の中で、このしもべは「苦難のしもべ」として描かれています。苦難のしもべであるメシヤは、ご自分が苦しみを負うことで、人類の罪の罰を身代わりに受け、人類が呪いではなく祝福を受けることができるようにしてくださるというのです。

イエスさまは、罪を悔い改める必要はありませんでした。しかし、まるで罪ある者であるかのように、洗礼を受けてくださいました。それは、私たちと同じになってくださったということです。罪人でない方が罪人になってくださったのです。そして、代わりに苦しみを受けてくださったのです。イエスさまのバプテスマには、私たちに対する深い愛情がこめられています。

私たちが、自分の価値を信じられるのも、この地上でも、そして死んだ後も、必ず幸せになれると希望を持てるのも、すべてイエスさまが苦しみを負ってくださったおかげです。

聖霊の助け

しかし、そのような大変な使命を果たすには、イエスさまは、神の御霊である聖霊の助けを必要としていました。
聖霊
イエスさまは神の子だから、誰の助けも必要なかったのでは? いいえ。イエスさまは、この地上では、一人の人間として生きてくださいました。人間が神さまのみこころを行ない、神さまからの使命を全うするには、ましてそれが苦しみを伴うものであるならば、どうしても聖霊の助けが必要だったのです。

もちろん、バプテスマを受ける以前も、イエスさまは聖霊に満たされていらっしゃいました。しかし、公の働きをスタートするに当たって、今一度新たな力に満たされたのです。

2.聖霊ってどなた?

三位一体の第三位格

聖霊さまは、神です。

聖書によれば、神さまは、唯一絶対です。他に神はいません。

そして、聖書によれば、そのお一人の神さまは、父・子・聖霊という3つの人格(位格と言います)をお持ちです。しかし、神が3人いるわけではありません。この不思議な真理を、「三位一体」と言います。

助け主

聖霊さまは、聖書の中で「助け主」と呼ばれています。クリスチャンの内に住んでくださり(私たちの体は「聖霊の宮」なのです)、慰め、励まし、力を与えてくださいます。人が、イエスさまを信じて救われるように助けてくださるのも、聖霊さまです。

イエスさまが復活なさり、天にお帰りになったあと、ペンテコステの祭り(収穫感謝祭)の日に、ちょうど今日の箇所のイエスさまの上に御霊が下ったように、弟子たち一人一人の上に聖霊が下り、彼らを満たしました。すると、突然弟子たちは、勇気に満ち、知恵に満ち、愛に満ちて、教会は爆発的に成長をしていきました。多くの奇跡や愛のわざが行なわれました。

聖霊に満たされた弟子たちは、多くの困難を乗り越え、迫害されても信仰を守り通しました。神さまと人への愛のためならば、命さえも惜しまない勇気を与えられていました。

聖霊なしには

私たちクリスチャンは、自分の力だけでこの地上をクリスチャンとして生きることはできません。御霊(聖霊)に満たされ、御霊の助けをいただいて初めて、私たちの生き方がいのちあふれるものとなります。
聖霊によって
バプテスマを受けた後、聖霊に満たされたイエスさまは、その点でも私たちの模範となってしたさいました。

3.聖霊に満たされるには?

知ること

まずは知ることです。何をでしょうか。

神さまは、イエスさまを満たしたように、あなたを満たしたいと願っておられます。イエスさまが、いのちに満ちあふれ、神さまのみこころにかなう生き方をなさったように、神さまはあなたにもいのちあふれる生き方をして欲しいと願っておられます。そのことを知ってしたさい。

自分なんかどうせだめだ……という考えは捨てましょう。あなたがクリスチャンなら、例外なく、あなたも聖霊の宮です。

求めること

次に、求めることです。

あなたは、自分が聖霊さまの助けなしには、イエスさまが約束しておられるような人生を送ることができないことを認めますか? そして、聖霊さまによって満たされ、この方によって助けられ、造り変えられたいと願いますか?

もしそうなら、今、祈りましょう。「神さま。私一人の力では、あなたが約束しておられるような人生を送ることはできません。どうか助けてください。今、私を聖霊によって満たし、私を内側から造り変えてください」と。

信じること

神さまのみこころにかなう祈りは、必ず実現します(第1ヨハネ5:14-15)。ですから、3番目に信じることです。自分は聖霊に満たされた、と。

たとえ何も感じなかったとしても、です。人によっては、びりびりするような感覚を覚えたり、幻を見たり、異言という不思議な言葉がわき上がってきたり、喜びに満ちあふれたりするでしょう。しかし、何も感じない人もいます。最初は感じていても、時間の経過と共に何も感じなくなる人もたくさんいます。

それでも、祈ったのなら、神さまはその祈りを聞いてくださって、聖霊で満たしてしたさっています。そう信じましょう。

続けること

イエスさまは、頻繁に寂しいところに行き、父なる神さまに祈られました。一度満たされたらそれで終わりではなく、御霊の満たしは、常に求め続けなければならないものだからです。
繰り返し満たされよう
聖霊の満たしを求めましょう。そして、毎日毎日、一瞬一瞬、求め続けましょう。

まとめ

クリスチャン生活は、聖霊さまの助けなしには送ることができません。御霊に満たされて歩みましょう。聖霊さまは、必ずあなたの人生に助けの手をさしのべてくださいます。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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