人間をとる漁師

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ルカによる福音書5章1〜11節

(2011.8.7)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

イエスさまは、単に祝福を受けるだけの群衆ではなく、共に祝福を与えていく役割を担う弟子を求めていらっしゃいました。弟子となった者たちは、イエスさまと共に地上に奇跡を引き起こす感動的な人生を手に入れました。あなたも、イエスさまと共に働く弟子になれます。そのために必要な態度は何でしょうか。

1.何もかも捨てる

優先順位の整理

ペテロたちは「何もかも捨てて」イエスさまに従っていきます。弟子は、何もかもしててイエスさまに従う人です。

「何もかも捨てて」というのは、一切の持ち物を教会にささげよということではありません(異端やカルト的な教会はそういうことを教えて、信徒を支配しようとしますが)。

これは、分かりやすくいうと、スケジュールの優先順位(与えられている24時間を、どのような基準で割り振るか)を見直すということです。






重要だが緊急でないこと

重要かつ緊急なこと 
 D
重要でも緊急でもないこと

重要でないが緊急なこと
   − 緊急度 +

この表の見方については、こちらをご覧ください。

今までの私たちの「重要度」を測る基準は、自分でした。私にとって得だろうか、私にとって気持ちのいいことだろうか、私にとって都合がいいだろうか……というふうに。

イエスさまに従うこと

しかし、キリストの弟子となった私たちは、イエスさまが何を望んでおられるか、何を好まれるか、何がイエスさまの栄光につながるか……それを基準にして判断するようになります。
優先順位

何倍にもなって返ってくる

イエスさまを優先するということは、自分の願いとイエスさまの願いが対立した場合は、イエスさまの願われる方を選ぶ、すなわち自分の願う方を捨てなければなりません。

捨てるときには葛藤するでしょう。しかし、イエスさまの願いの方を選んだならば、イエスさまは捨てたはずのものを何十倍、何百倍にも祝福して戻して下さいます。

ですから、恐れないで、イエスさまの願いを最優先にする弟子となりましょう。

2.イエスについていく

対話

ペテロたちはイエスさまについていきました。といっても、黙って、ぞろぞろと後をついていったのではありません。イエスさまと一緒にいる間、イエスさまと様々な対話をしました。

イエスさまの願いを知り、そのみこころに従うには、イエスさまと対話をする必要があります。祈りの中で、ただ自分の願いを申し上げるだけでなく、聖霊を通して心の内に住んで下さるイエスさまの声を聞くということです。
イエスとの対話
最初は、イエスさまの声なんてなかなか心に響いてこないかもしれません。しかし「しもべは聞いております。お語りください」と願いながら心の耳を澄ましていると、だんだんとクリアに聞こえてくるようになります。

人格的陶冶

そのようにしていると、私たちで死の人格が神さまのみこころにかなうように造り変えられていきます。

まず、人は触れたものに似ます。祈りや聖書の学びを通してイエスさまといつも一緒にいると、イエスさまの人格に似てきます。

また、先ほど申し上げたように、自分が判断基準であったのを、イエスさまのみこころを判断基準にするようになると、行動が具体的に変化していきます。性格とは行動パターンのことですから、行動が変わっていけば性格も変わっていくのです。

神の国の働き

そのようにして、内面から造り変えられていった弟子たちは、イエスさまがなさる働きを手伝うようになります。

イエスさまについていくということは、「神の国をもたらす」という働きに参加することです。イエスさまは、神の国をもたらすために来られ、そのために働いておられるのですから。

イエスさまは、罪人である故に神の国の敵であった私たちを、十字架と復活によって赦し、神の国の市民、それどころか神さまの子どもにしてくださいました。そして、私たちの他にも、できるだけたくさんの人たちを救いたいと願っておられます。

優先順位をイエスさまのみこころにシフトした私たちは、神の国のメッセージがたくさんの人たちに届けられるように、自分にできることを行ないます。
人間をとる漁師

3.深い内面の体験をする

個人的な関係

群衆は、イエスさまに体をいやしていただくことはあったでしょう。イエスさまの奇跡を目撃することはあったでしょう。しかし、弟子たちはもっと個人的に、心の奥底にイエスさまに触れていただく体験をしました。

ペテロは、それまでもイエスさまの奇跡を何度も目撃しました。しかし、今回は彼の心の奥底にイエスさまが触れてくださいました。イエスさまは何もおっしゃらなかったのに、ペテロは自分の罪深さを思い知らされ、離れてくださるようにと願いました(この当時のユダヤ人は、人が神さまに直接会うと、罪の罰を受けて死ぬと教えられていましたので)。

しかし、そんなペテロに、イエスさまは大丈夫だと優しく声をかけてくださいました。こんな罪深い自分を受け入れてくださる……ペテロは感動し、故にどこまでもこの方についていきたいと思いました。

この後の箇所に、レビ(後に十二使徒の一人に選ばれるマタイのことです)の話が載っています。彼は、イスラエルを占領し支配していたローマ帝国の手先となって、人々から税を徴収する取税人でした。しかも、取税人の多くは、規定よりもたくさんの税を取り立て、差額を着服していましたので、ユダヤ人たちからは激しく憎まれていました。

そんな彼にイエスさまは「私についていらっしゃい」と声をかけます。誰からも嫌われ、だめ人間呼ばわりされていた自分を受け入れ、認めてくださった。マタイの心には感動がやってきました。だから、すべてを捨ててイエスさまについていったのです。

人生の転換に伴う感動

ペテロたちもマタイも、内面に深く関わり、人生を大転換させるようなイエスさまとの出会いを体験しました。その感動が、彼らをイエスさまの元へと走らせました。

あなたも、振り返ってみて、これまでイエスさまとの交わりの中で、人生を大転換させられるような体験をさせていただいたのではないでしょうか。

そうしないではいられない

ペテロやマタイが、すべてを捨ててイエスさまに従っていったのは、そうしなければ罰を受けるからではありません。心に触れられた感動のあまり、そうしないではいられなくなったのです。
何が何でもついていく!

まとめ

イエスさまは、今も弟子を求めています。そして、あなたにも声をかけておられます。改めて、弟子入りを決意させていただきましょう。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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