良いサマリヤ人のたとえ

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ルカによる福音書10章25〜37節

(2011.9.18)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

イエスさまは、「よいサマリヤ人のたとえ」を使い、本当の愛がどういうものなのかを私たちに教えてくださっています。

1.相手を選ばない

律法学者は、自分が神と人とを愛する正しい人であることを示そうとして「私の隣人とは誰か」と尋ねました。これは「私の愛を受けるのにふさわしいか」ということです。一方、イエスさまは、「誰がこの人の隣人になったか」と尋ねました。相手がどういう人物かが問題なのではなく、この自分がその人を愛するかどうかだとおっしゃったのです。

たとえの中で、ユダヤ人の旅人を助けたのはサマリヤ人でした。ユダヤ人とサマリヤ人には千年にわたる葛藤の歴史がありました。
  • サマリヤ人の先祖は、クーデターによって正統なダビデ王家から離反した人々でした。
  • サマリヤ人は、イスラエル人と他民族との雑婚によって生まれた民族で、生粋のイスラエルであることを自認するユダヤ人たちから軽蔑されていました。
  • サマリヤ人たちが歴史的に偶像礼拝を続けていたために、宗教的にも軽蔑の対象でした。
  • このような感情的な対立に加えて、バビロン帰還後の神殿や城壁工事をサマリヤ人が妨害したり、サマリヤ人の神殿をユダヤ人が破壊したりするなどの事件が重なりました。
こうして、両者は「同じカップから水を飲まない」と言われるほど反目し合う中になったのです。

にもかかわらず、このたとえの中のサマリヤ人は、自分たちを軽蔑し、差別してきたユダヤ人、いわば敵である人物を助けました。相手が自分の愛を受けるのにふさわしいかどうかという発想ではなく、目の前に助けを必要としている人がいて、その人を自分が助けるかどうか、という発想です。

あなたは誰の隣人になりますか? あなたの助けを必要としている人は誰でしょうか。
相手を選ばず
まず最も近い隣人はあなたの家族です。人は、家族に対しては、心を許すあまり、他人には決して言わないような悪口を言ったり、大変失礼で横柄な態度をとったりするものです。「愛は……礼儀に反することをせず」と聖書は教えています。家族に対して、あなたの愛を表しましょう。

また、サマリヤ人のように敵をも愛していきたいものです。「あの人のことは愛しにくいなあ」と思う人を頭に思い描いてください。その人に、今週どんなことができますか?

2.行動する

イエスさまは、「あなたも行って、同じようにしなさい」と語ることで、行動することの大切さを教えておられます。

律法学者は、聖書の要約を即座に答えることができました。たとえ話に出てきた祭司やレビ人も宗教家であり、民衆に愛することの大切さを説いてきた人々です。

しかし、傷ついた男性が必要としていたのは、愛に関する知識や哲学や教えではなく、実際に肌で体験できるものでした。すなわち、優しい言葉をかけてもらうこと、治療をしてもらうこと、キズが癒えるまで休息できるようにしてもらうことだったのです。そして、サマリヤ人は、傷ついた人のために、実際に時間を使い、ぶどう酒やオリーブ油を使い、体力を使い、お金を使いました。すなわち、行動したのです。
説明ではなく、行動を
皆さんの内側には愛が満ちあふれています。それを、行動によって表に表しましょう。そのために、具体的な行動計画を立てるといいでしょう。いつ、どこで、誰に、何を、どのように実行しますか?

3.愛されることを学ぶ

人は、学習する存在です。親から暴力を受けて育った人は、自分も子どもを虐待しがちだと言われています(もちろん、他の要素も加わりますから、すべての人がそうなるわけではありません)。愛も学習するものです。人は、愛されたように愛します。

「自分を愛するように他の人を愛せ」と聖書は命じています。他の人から愛され、その存在を認められ、自分に生きる価値があると知っている人は、自分自身を大切にできます。そしてそのような人が他の人を愛することができるのです。

「同じようにしなさい」とおっしゃったイエスさまは、ご自身でもそれを実行なさっています。イエスさまは、十字架にかかることで、ご自分の愛を示してくださいました。いかに私たちを大切に思っておられるかを証明し、私たちが神さまの圧倒的な祝福の中で生きられるようにしてくださいました。

本来私たちはイエスさまの敵と呼ばれても仕方ない存在です。しかし、その敵であるはずの私たちを、イエスさまは愛し、救ってくださいました。そのために、ご自分の命を注ぎだしてくださったのです。
愛されていることを確認しよう
私たちには、あの良いサマリヤ人のような愛はないかもしれません。しかし、その不完全な私たちを、イエスさまは命がけで合いしてくださいました。日々の生活の中で、イエスさまの愛を思い描きましょう。どれだけ自分が神さまに愛され、喜ばれているのかを味わいましょう。その時、あなたは、他の人に対して、以前よりも愛を表すことができるようになっています。

まとめ

イエスさまの愛を、今週、じっくりと味わいましょう。そのためにあなたにできることがありませんか?

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。

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