実を結ぶいちじく

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ルカによる福音書13章6〜9節

(2011.10.30)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

今回の箇所は、私たちが自分の人生の中で豊かに実を結ぶということについて教えています。

1.実を結ぶことが期待されている

主人の期待

ぶどう園の空きスペースに、いちじくの木を植えることは、当時はよく行なわれていたようです。もちろん、観賞用ではなく食用であって、つまりは実を結ばせるためでした。だから主人は、実を結ばないいちじくを切るように指示したのです。彼は「実がなるのを待って」いたからです。

聖書は、よく人をいちじくやぶどうにたとえています。それは、神さまが、私たちが自分の人生に豊かに実を結ぶことを期待しておられるということを表しています。

実を結ぶとは

「何かから生み出されるもの」。これが実です。ですから、聖書は植物が生み出す果実を実と呼ぶほか、お母さんが生み出す子どものことも実と呼んでいます。
実
そして、ここで特に注目したいのは、聖書は、「人が実を結ぶ」ということを、特に以下の3つの意味で用いているということです。
  1. 私たちの内に生み出される良い人格的性質(愛、喜び、平安、寛容、親切など)
  2. 良い人格的性質が生み出す、様々な良い行ない
  3. 良い行ないが生み出す、様々な良い結果

あなたに期待されている実

ぶどう園の主人が、いちじくの木に実がなるよう期待しているように、天の父なる神さまも、私たちが実を結ぶよう期待しておられます。皆さんは、どういう点で実を結ぶことが期待されていると思いますか? 人格的性質や、行動や、結果について、どんなふうに変化することを求められているでしょうか。

ただし、人は人、自分は自分だということを忘れてはいけません。主人は、いちじくの木にぶどうの実やオリーブの実がなることを期待してはいませんでした。いちじくはいちじくの実をならせればいいのです。あなたは、他の人と違っていていいのです。

あなたは実を結ぶことができる

そして、実を結ぶことが期待されているということは、実を結ぶことができるということでもあります。神さまの命令は、同時に約束でもあります。実を結ぶことは神さまのみこころです。そして、みこころにかなう祈りをするならば、必ず聞かれます(第1ヨハネ5:14-15)。「実を結ばせてください」と祈りましょう。

2.実を結ぶために時間が与えられている

1年たったらどうなるのか

「すぐに切ってしまいなさい」と命ぜられたとき、番人は、「1年待ってください」と言いました。必ず実を結ぶから、もう少し待ってくれ、と。
あと一年待って
じゃあ、1年たったらどうなるのでしょう。「それでもだめなら、切り倒してください」とありますし、5節では「あなた方も悔い改めないなら、みな同じように滅びます」などと言われています。

すると、あなたは思うかもしれません。ああ、なかなか実を結ばないようなクリスチャンは、やがて神さまから見放され、切り捨てられて、ひどい罰を受けるんだ……。祝福をなくしてしまうんだ……。

しかし、よく読んでみると、そうでないことが分かります。木を植えたり切ったりするのは番人の仕事です。しかし、彼は「(あなたが)切ってください」と言っています。要するに、この番人は、どういうわけかこのいちじくの木が大好きで、だから切る気が全くないのです。

おそらく1年後に実を結ばなかったとしても、「肥料の種類を変えてみますから」とか何とか、いろいろ理由を付けて、木を切るのを先延ばしにしようとするに決まっています。

あなたの神さまイメージは間違っているかも

私たちは、頭のどこかに、神さまという方は人に罰を与えるのが大好きで、意地悪で、厳しいお方だというイメージがないでしょうか。それは聖書が教える本当の神さまの姿ではありません。私たちが勝手に頭の中に作り上げた偶像です。

本当の神さまは、確かに厳しい正義の一面をお持ちですが、同時に私たちを赦して赦して赦し抜く、恵みに満ちた神さまです。私たちがすぐに実を結ぼうが、なかなか結べまいが、そのあるがままを愛してやまない神さまです。イエスさまは、皆さんのことが大好きでたまらないのです。見捨てて滅ぼすなんてとんでもない!

待ってくださる神

では、神さまの正義はどうなるのでしょうか。実を結ぶのがみこころなのに、実を結べなくていいのでしょうか。私たちがすぐに実を結べなないという罪の罰は、イエスさまが十字架の上で身代わりに負ってくださいました。ですから、それを信じた私たちは、なかなか実を結ぶのに時間がかかったとしても、神さまに完全に受け入れられているのです。

私たちは、ゆっくり時間をかけて成長することが許されています。もやしはすぐに伸びますが、大木になるような木は、じっくりじっくり時間をかけて成長します。イエスさまは、私たちを大木に育てるおつもりなのです。神さまは、「自分のペースでいいから、やってごらん。私は待っているから」と、優しい親のように語りかけてくださっています。

だから、他の人と比べて焦る必要はありません。今の自分が実を結ぶために必要なことに集中していきましょう。

3.実を結ぶために助けが与えられている

もしも、自力で変わることができるなら

もしも、自分の力で変わることができるくらいなら、神さまを信じる必要はありませんね。自力では実を結ぶことができないいちじくのために、番人は肥やしを施しましょうと言いました。聖書の神さまは、私たちに「実を結べ」と命じるだけでなく、そうすることができるように、必要な知恵や力で満たしてくださいます。

イエスさまは、十字架にかかった後、復活して天にお帰りになりました。その後間もなくして、天から聖霊なる神さまが降ってこられ、弟子たち一人一人の上に降ってこられ、その心の中に住み、満たしてくださいました。以来、聖霊はいつもクリスチャンと共におられます。聖書も、私たちの体は「聖霊の宮(神殿)」だと言っています。

私たちの罪を赦し、私たちが滅びないようにするだけだったら、イエスさまだけで良かったはずです。どうして、私たちに聖霊が必要なのでしょうか。いつも一緒にいていただく必要があるのでしょうか。それは、聖霊の助けによって、私たちがこの地上で「実を結ぶ」ためです。
聖霊の助けによって

あなたはすでに実を結んでいる

「実を結ばないクリスチャン」というのは、実際には一人もいません。一人もです。イエスさまによる救いを信じてクリスチャンになった。それ自体がすでに「信仰」という実を結んでいる証拠ですから。あなたが救いを信じたのは、聖霊による奇跡です。あなたはすでに実を結んだ良い木なのです。

ですから、イエスさまはあなたのことをあきらめてはおられません。「あなたは、すでに実を結んでいる良い木だ。だから、もっともっと豊かに実を結ぶことができる」とおっしゃいます。
それぞれの実
皆さんは、クリスチャンになってから変わったはずです。どんなに小さなことでもかまいません。あなたの内側、行動、生活がどんな風に変わりましたか? すると、あなたの内に、聖霊さまが住み、働いてくださっている証拠を見つけることができるはずです。

聖霊の助けを求めよう

あなたは、これからどんな実を結びたいですか? それはあなたの自力・我力によるのではなく、聖霊なる神さまの霊力によります。ならば、積極的に聖霊さまの助けを求めましょう。

なぜ私たちは、せっかくのお休みの日に集まって礼拝をささげるのでしょうか。なぜ早起きしたり夜更かししたりしてまでも、聖書を読んで祈るのでしょうか。それは、自分一人で人生の海を渡っていくのではなく、神さまと一緒に渡っていくのだということを確認し、実際に力や励ましや慰めをいただくためです。今よりもさらに聖霊さまの助けをいただくために、あなたにできることはないでしょうか。

まとめ

あなたは、人生ですでに多くの実を結んでおられます。これからも、ますます豊かに実を結んでいけますように。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。


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