地の上に平和があるように

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ルカによる福音書3章1〜18節

(2011.12.25)

該当の聖句を読んでみて、分からない単語や言い回し、複数の意味に取れる表現、疑問に思ったことなどはありませんか?

この聖句は、この書全体の中で、どういう位置を占めていますか? 前後を読んだり、参考書を調べたりして、記者の論理の流れをつかみましょう。また、この書の書かれた歴史的、地理的背景も調べましょう。

この箇所は、私たちにどんな教訓やチャレンジを与えていますか?

イントロ

イエスさまはが誕生したとき、天使が「天には神に栄光が、地の上にはみこころにかなう人々に平和があるように」と歌いました。イエスさまは、私たちの心に平和をもたらすために来られました。

1.平安を失うとき

自分の身の安全が脅かされたとき

平和というのは、ただ戦争や争いがないということだけではありません。戦争や争いは、余裕を失った人の心が生み出すものです。イエスさまは、まず私たちの心の中に平和を、すなわち平安を与えようとしてくださっています。

私たちは、自分の命が脅かされると平安を失います。たとえば、重い病気にかかったり、かかるのではないかと考えたりすると不安になりますね。実際に命が奪われなかったとしても、暴力を受けたり、暴力をふるうぞと脅されたりして、身の安全が脅かされても、私たちは平安を失います。

幸せを脅かされたとき

しかし、自分の身の安全が確保されていれば平安かというと、そうとも言えません。私たちはただ単に生きているだけでなく、幸せに生きていきたいと思っています。ですから、幸せな生き方が脅かされると、これまた不安を感じるのです。

たとえば、自分が重い病気にかかっても不安でしょうが、自分以外の家族が重い病気になっても平安を失いますね。それは、愛する人を失うことで、自分の幸せが奪われてしまうのではないかと感じるからです。

経済状態が悪くなって不安になるのも、このままでは幸せを失ってしまうかもしれないと恐れるからです。

3つの確信を失ったとき

私たちは、次の3つの確信がないと平安で喜びに満たされて生きていくことができません。
  1. 自分はここ(家庭とか、クラスとか、職場とか、この世とか)にいてもいい。
  2. ただ「殺すわけにはいかないから、しょうがない、ここにいていいよ」という認められ方ではなく、自分は宝物のように大切な存在で、当然ここにいることを喜ばれている。
  3. しかも、その大切だという評価は、時の流れや条件によって変わることはない。
これらの確信を失うと、私たちは幸せに生きていけるという望みと失ってしまいます。あなたは今、不安ですか? その不安はどこから来ていますか?

2.平和があるように

神が私の味方なら

クリスマスは、イエスさまが地上に来られたことを記念する日です。そして、イエスさまは、私たちの心に平安をもたらすために来られました。

イエスさまが地上に来られたのは、私たちと神さまとの関係を、もう一度しっかりとつなぎ直すためでした。全知全能の神さまがあなたの味方であるなら、あなたは安心していられます(ローマ8:31-39)。

あなたを愛しておられる神さまは、あなたの命を悪いものから守ってくださいます。たとえ、肉体の死が訪れようとするその時でも、神さまは永遠のいのちがあなたに与えてくださっていることを思い出させてくださり、それによって慰め、励ましてくださいます。ですから、信仰のゆえに迫害され、殺された信仰の先輩たちは、苦しみの中にも喜びを感じながら地上の生涯を終えたのです。

そして、神さまは、あなたが幸せに生きるための3つの確信を保証してくださいます。あなたは神さまの宝物です。幸せになっていいのです。しかも、無条件に。それは、イエスさまがあなたと神さまとの仲介者となって、絆を結んでくださったからです。

罪の問題

確かに、神さまが私の味方であれば、私たちはどんな問題の中であっても、絶対に大丈夫だと、心に平安を持つことができます。

しかし、本当に私は神さまに受け入れられ、愛され、大切に思われているのでしょうか。ある人はこう言います。自分は神さまに愛されるほど立派な人間ではない。むしろ、本当の自分のことを知ったら、誰も自分を大切な存在だというはずがない。自分なんかが幸せになっていいはずがない。

神さまはきよくて正しいお方です。ですから、人が自己中心な生き方をすることを喜ばれません。こういう神さまを無視した自分勝手な生き方を罪といいます。私は罪人でしょうか。その通りです。とても人に言えないような間違ったことを考えたり、行なったりしてきました。クリスチャンになり、牧師になった今でもそうです。

それなのに、なぜ図々しくも、自分は神さまに愛されていて、神さまのお気に入りだなどということができるのでしょうか。それは、イエスさまのおかげです。

十字架と復活

この地上に来られたイエスさまは、私たちの身代わりに十字架にかかり、神のさばきを受けてくださいました。それによって、私たちが受ける罪の罰は帳消しになりました。ですから、私たちは罪人ですけれど、そのままの姿で、無条件に、神さまに赦され、受け入れられ、愛されていると信じることができるのです。

そして、イエスさまは復活し、今天の父なる神さまの右の座について、私たちに祝福が注がれるように神さまに取りなしてくださっています。

クリスチャンとは、それを信じた人のことです。罪のない立派な人間のことではなく、自分はこのままで愛されているのだと図々しく信じて喜んでいる人のことです。

3.不安になったら祈ろう

祈ろう

しかし、私たちの肉の目には、イエスさまも天の父なる神さまも見えません。ですから、私たちは簡単に平安を失ってしまいます。慌ててしまいます。物事が上手くいかないことを嘆き、落ち込み、愚痴り、あるいは他人のせいや状況のせいにしてイライラしてしまいます。

そんなとき、不安なままで神さまの前に出ましょう。すなわち、その不安な気持ち、イライラした気持ち、絶望的な気持ちを神さまに向かって祈り、聞いていただきましょう。

そして、神さまが私たちに慰めを与え、励ましを与えてくださるように祈りましょう。

私たちは、今年の3月、大変な震災を経験しました。しかし、この教会の人たちは、恐れたり、不安になったりしながらも、それでも平安を取り戻して前向きに生きておられます。それは、祈りの力を体験したからです。

イエスを受け入れよう

自分が、全知全能の神さまのお気に入りで、だから何があっても大丈夫だとこれまで信じてこられなかった方へ。

イエスさまは、あなたと神さまをつなぐために来られました。そのために、ご自分の命を投げ出してくださいました。どうか、イエスさまを信じてください。この方のおかげで、自分は神さまの子どもになったので、何があっても大丈夫なんだと信じてください。 この話をお読みください

まとめ

間もなく新しい歳がやってきます。この新しい一年が、平安に満ちたものとなりますように。そして、あなたを通して、その平安が周りの人たちを慰め、励ましますように。

あなたは、ここからどんなチャレンジを受けていますか? この箇所を読んで、生活や態度をどのように変えるよう示されていますか? 何を決心しましたか? 抽象化しないで、具体的に表現しましょう。


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