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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

聖霊降臨

使徒の働きシリーズ3

使徒の働き2章1節〜13節

(2024年12月29日)

聖霊降臨の出来事に関する記事です。五旬節(ペンテコステ)の祭りの日、聖霊が弟子たちの上に降ってこられました。その結果、教会が誕生しました。

礼拝メッセージ音声

参考資料

続きを読む1節の「五旬節」は、モーセの律法で定められた7つの例祭の4番目である「七週の祭り」。ヘブル語では週を意味するシャブオット、ギリシア語で50番目を意味するペンテコステ。大麦の収穫を祝う「初穂の祭り」から7週目(50日目)に当たるため、その名が付いています。

初穂の祭りが「過越の祭りの直後の安息日の翌日」(つまり日曜日)と定められているので、ペンテコステも必ず日曜日です。この年、紀元30年の初穂の祭りは4月9日で(イエスさまが復活したのもこの日)、五旬節は5月28日です。ただし、古代ユダヤの一日は日没で切り替わったので、実際には前の日(土曜日)の日没からその日(日曜日)の日没までです。

五旬節は、元々小麦の収穫を祝う祭りです。またユダヤ教では、イスラエルの民が葦の海を渡ってエジプト軍を退け、50日目にモーセの律法を与えられたことも記念しています(ただし、聖書で「葦の海を渡ってから50日目」と明言されているわけではありません)。

7節の「ガリラヤの人」について。十二使徒のうち、少なくともペテロとアンデレ、ゼベダイの子ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ(ナタナエル)の6人はガリラヤ出身です。新しく使徒に選ばれたマッティアを含む他の6人についても、ガリラヤ出身だった可能性があります。なお、イエスさまを裏切ったイスカリオテ・ユダはユダヤ地方出身でした。イスカリオテは「ケリヨテの人」という意味で、ケリヨテはユダヤ南部にあった村です(ヨシュア15:25)。

9-11節に出てくる人たちは、
  • 「パルティア人、メディア人、エラム人、またメソポタミア」は、イスラエルから見て東方の地域(チグリス川・ユーフラテス川周辺やイラン)の人たち
  • 「カパドキア、ポントスとアジア、フリュギアとパンフィリア」は小アジア(今のトルコ)の人たち
  • 「エジプト、クレネに近いリビア地方」はアフリカ北部の人たち
  • 「クレタ人」はギリシアの南にあるクレタ島の人たち
  • 「アラビア人」は、アラビア半島の人たち。

イントロダクション

「使徒の働き」で、ターニングポイントとなる出来事が「3つのP」です。それはペンテコステ、ペテロの幻、そしてパウロの回心です。

今回の記事は、最初のPを取り扱っています。ペンテコステの祭りの日、イエス・キリストの約束通り、もう一人の助け主と呼ばれる聖霊なる神さまが弟子たちの上に下ってこられました。そして、弟子たちは人が変わったかのように造り変えられました。

今、聖霊さまは私たちの内にも住んでくださっています。そして、1世紀のクリスチャンたちの人生を素晴らしいものに造り変えてくださったように、私たちの人生も造り変えてくださいます。今回はそれについて改めて確認しましょう。

1.聖霊降臨の出来事

下ってこられた聖霊

五旬節の日
(1節)五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。

五旬節というのは、イスラエルの祭りの一つです。モーセの律法では7つの祭りを毎年祝うように命ぜられています。五旬節はその4番目の祭りでした。

イエスさまが復活なさったのは3番目の祭りである初穂の祭りの日でした。その日から数えて7週間後、すなわち50日目に行なわれたのが五旬節でした。七週の祭りとも呼ばれますが、ギリシア語のペンテコステの方が有名です。

紀元30年5月28日の日曜日、五旬節の日にイエスさまの弟子たちは一箇所に集まっていました。その場所はどこだったのでしょうか。2節には「家」と書かれているため、よく言われるのは、最後の晩餐が行なわれた家、伝統的にはマルコの福音書を書いたマルコの母の家です。

ただ、私としては「神の家」である神殿だと考えています。というのも、モーセの律法では、過越の祭り、ペンテコステ、そして仮庵の祭りの3つは、「主が選ばれる場所」に集まって礼拝するように命ぜられているからです(申命記16:16)。「主が選ばれる場所」とは神さまが住まわれ、イスラエルの民が礼拝するための特別な場所のことで(申命記12:5-6)、ソロモン王の時代以降は神殿を指します。

また、神殿であれば、聖霊さまが下って大きな音がしたときに多くの人々が集まってきたり、3千人の人たちがペテロのメッセージを聞いて救われたりしたというのもうなずけます。
大きな響き
(2節) すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。

突然大きな響きが起こりました。実際に風は吹いていませんが、暴風が吹いたときのような音がしました。

風は、ヘブル語でルアフ、ギリシア語でプニューマですが、霊も同じ言葉です。五旬節の日に風のような音が鳴ったのは、聖霊さまが下ってこられたことを表しています。
炎のような舌
(3節)また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。

また、目に見えるしるしも現われました。それは、弟子たち一人ひとりの上に何かが留まったのです。それは、燃える炎のように見えるもので、舌のような形をしていました。最初一つの塊だったものが、舌を伸ばすように伸びて分かれて、一人ひとりの上に留まったのでしょう。

ジョン・レストアウト作「ペンテコステ」(1732年)
(画像引用:光の色彩を求めて)
炎は神さまが臨在なさるときにしばしば現われるしるしです。エジプトを脱出したイスラエルが荒野を移動する際、昼は雲の柱、夜は火の柱が立ち上って民の進む道を示しました(出エジプト13:21)。

またイスラエルの民がシナイ山にやってきたとき、神さまが山の頂に下ってこられました。その時、次のような現象が起こりました。

(出エジプト19:15)シナイ山は全山が煙っていた。【主】が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。煙は、かまどの煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。

このペンテコステの日に風のような音が鳴り、炎のような舌が分かれるしるしが見えたのも、天地を創造なさった神さまの霊、聖霊なる神さまが下ってこられたことを人々に示すためです。
さまざまな外国語
(4節)すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。

天からくだってこられた聖霊さまが、弟子たち一人ひとりを満たされました。すると、聖霊さまは弟子たちに外国語を語らせました。

聖霊さまの力によって、習ったことのない言葉を話す能力のことを「異言」と呼びます。ここで現われた異言は、世界のどこかに実在する言語でしたから、その言葉を知っている人が聞くと内容が理解できました。

11節を見ると、その内容は「神の大きなみわざ」についてです。聖霊さまに満たされた弟子たちは、さまざまな国語で神さまのみわざについて語り、神さまの偉大さをほめたたえたのです。

イエスさまは復活して天にお帰りになる直前、聖霊さまが来られると弟子たちは力を受けて、イエスさまの証人になると約束なさいました。

(1:8)しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。

この約束通り、聖霊さまを内に宿し聖霊さまに満たされた弟子たちは、イエスさまの証人となる力をいただきました。そして、第一段階としてエルサレムで証人としての活動を開始しました。それがさまざまな言語での賛美です。

他の人々の反応

集まってきた敬虔なユダヤ人たち
(5-6節前半)さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。

大風のような物音、またさまざまな国語で神さまをほめたたえる声を聞いた人々が集まってきました。この人たちは世界のさまざまな場所からエルサレムにやってきていたユダヤ人でした。

後で触れられていますが、集まってきた人たちの中には改宗者もいました。改宗者とは、民族的には異邦人(ユダヤ人以外の民族)ですが、ユダヤ教を信じてモーセの律法に従う生き方をするようになった人たちです。改宗者は、宗教的にはユダヤ人と同様に扱われましたから、ペンテコステの祭りに参加することができます。

さて、5節には「(エルサレムに)住んでいた」と書かれていますが、これは定住していたという意味ではなく、滞在していたという意味です。先ほども申し上げましたが、モーセの律法ではペンテコステを含む3つの祭りは、エルサレム神殿に集まって礼拝することを求めています。

そこで、「敬虔なユダヤ人たち」は、できるだけその命令を守ろうとしました。イエスさまの地上の家族であるヨセフとマリアも、貧しいながら毎年祭りを祝うためにエルサレムを訪問していました。

ただ、外国から毎年3回旅をするのは大変なことです。そこで、過越の祭りのためにエルサレムに来ると、そのままペンテコステまで約2ヶ月間エルサレムに留まる人たちも多かったのです。物音を聞いて集まってきた人たちの中には、そのような人たちがたくさん含まれていました。
呆気にとられた人々
(6節後半)彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。

集まってきた人たちは、弟子たちがさまざまな言語で話しているのを聞きました。そして、驚きました。
驚いた理由
(7-8節)彼らは驚き、不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人ではないか。それなのに、私たちそれぞれが生まれた国のことばで話を聞くとは、いったいどうしたことか。

人々は、弟子たちがガリラヤ出身だということを見抜きました。同じ英語でも、アメリカ、イギリス、オーストラリアではそれぞれ発音が微妙に異なります。弟子たちは、ギリシア語、ラテン語、アラビア語などさまざまな言葉で語っていますが、いかにもガリラヤの人っぽい発音、あるいは訛りがあったのかもしれません。
人々の出身地
(9-11節)私たちは、パルティア人、メディア人、エラム人、またメソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントスとアジア、フリュギアとパンフィリア、エジプト、クレネに近いリビア地方などに住む者、また滞在中のローマ人で、ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレタ人とアラビア人もいる。それなのに、あの人たちが、私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは。」

オリエント、小アジア、北アフリカ、アラビア、ギリシアなど、ローマ帝国の支配下にあったさまざまな地域から人々がエルサレムにやってきていました。ガリラヤ出身の、貧しい身なりであまり学がありそうに見えない弟子たちが、それぞれの国の言葉で神さまの偉大なみわざをほめたたえています。
人々の驚きとあざけり
(12-13節)人々はみな驚き当惑して、「いったい、これはどうしたことか」と言い合った。だが、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲る者たちもいた。

不思議な光景に、人々は驚き戸惑いました。一方で、弟子たちのことを馬鹿にする人たちもいました。「新しいぶどう酒」は発酵が十分起こっていないため、まだアルコール濃度が低いままです。そんな弱い酒に酔っ払っているのだと言って馬鹿にしているわけです。

奇跡は人目を引く力を持っています。しかし、それをきっかけとしてイエスさまの福音を信じて救いを手にするか拒否するかは、その人次第です。

ただ、最初は反発したり馬鹿にしたりしていても、後になって熱心なクリスチャンになるというケースもたくさん見聞きしてきました。ですから私たちは、相手がどうであれあきらめずに福音を語り続けなければなりません。

では、この後この集まってきた人たちはどうなったのでしょうか。今回の箇所の後の出来事を簡単に解説しておきます。

この後の出来事

ペテロの説教と3千人の救い
この後、ペテロが代表して集まってきた人たちにメッセージを語りました。それにより、人々は心を打たれて悔い改め、イエス・キリストを信じて救われました。そして、その日3千人が救われて仲間に加わりました。

紀元30年のペンテコステは、聖霊さまが救われたクリスチャンの内に住んでくださるようになった日、そして教会が誕生した日です。
教会の成長
その後、教会は質的にも量的にも成長していきました。それについて書いてある箇所を読みましょう。

(42-47節)彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。 信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。

聖霊さまが下ってこられる前、弟子たちはイエスさまの教えをほとんど理解できませんでした。互いに愛し合うどころか、誰が神の国で高い地位を与えられるかということばかり気にして牽制し合っていました。そして、イエスさまが逮捕されて殺されると、自分たちも逮捕されるのではないかと恐れて引きこもっていました。

そんな彼らが変えられたのは、聖霊さまがいらっしゃって彼らの内に住み、彼らを内側から造り変えてくださったからです。

では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.聖霊の満たしを求めよう

聖霊のバプテスマ

紀元30年のペンテコステの日、イエスさまを救い主だと信じていた弟子たちのところに聖霊さまが下ってこられました。そして彼ら一人ひとりの内に住んでくださるようになりました。これを「聖霊のバプテスマ」と呼びます。

福音書時代の弟子たちは、イエスさまを信じてから聖霊のバプテスマを体験するまでに時間的な間がありました。しかし、今の時代は、イエスさまを信じたらその瞬間に聖霊のバプテスマを体験します。

そもそも、聖霊さまの助けなしに、イエスさまのことを救い主だと信じることはできません。

(第1コリント12:3)聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。

そして、クリスチャンとは、内に聖霊さまを宿している人のことです。

(ローマ8:9)しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。もし、キリストの御霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。

あなたが恵みの福音を信じてクリスチャンになったのなら、あなたの内には聖霊さまが住んでくださっています。

当時の弟子たちは、イエスさまがお命じになったとおり、エルサレムで聖霊さまがいらっしゃるのを祈りながら待ちました。しかし、今の私たちは「聖霊さま、来てください」と祈る必要がありません。聖霊さまは、もうすでに私たちの内に住んでいてくださるからです。私たちがしなければならないことは、自分の内に聖霊さまがいらっしゃるのだと信じることです。

聖霊による変化

そして、私たちの内にいてくださる聖霊さまは、1世紀の弟子たちを造り変えたように、私たちのことも造り変えてくださいます。すなわち、
  • イエスさまの教えを理解させてくださいます。
  • それだけでなく、教えを実践したいという思い、もっときよくなりたいと願う思いを与え、実際に正しい行動をすることができるようにしてくださいます。
  • 愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制といった素晴らしい性質を与えてくださいます。
  • 神さまの導きに対して敏感になり、折々に良い決断をすることができるようにしてくださいます。
  • 祈りが聞かれるようになります。
  • 神さまと人とに仕えるために必要な知恵や力を与えてくださいます。
  • イエスさまの福音を他の人に伝える知恵や力を与えてくださいます。
人によっては奇跡を行なう力が与えられることがあるでしょう。あるいは、今回の箇所の弟子のように、習ったことのない言葉を語ってイエスさまのことを伝える力が与えられる人もいます。もちろん、次のように書かれています。

(第1コリント12:30)皆が癒やしの賜物を持っているでしょうか。皆が異言を語るでしょうか。皆がその解き明かしをするでしょうか。

このように、すべての人が異言を語るわけではありません。しかし、今の時代も奇跡を行なったり異言を語ったりする力が与えられ、それによって神さまのすばらしさ、イエスさまの恵み深さが明らかにされることがあります。
異言の例
あるユダヤ人の男性がキリスト教会の礼拝式に出席しました。彼はバリバリのユダヤ教徒で、キリスト教の間違いを指摘した本を執筆しようと思い、偵察のために潜り込んだのです。彼は、会堂の一番後ろに座り、熱心に礼拝の様子を観察してメモを取りました。

礼拝後の報告の時間、突然一人の少女が立ち上がり、会場の後ろの方に向かって何かをしゃべり始めました。礼拝に出席していた人たちは、一体彼女が何を話しているのかさっぱり分かりませんでした。

すると、あのユダヤ教徒の男性が立ち上がって言いました。「今あの子が語ったのはヘブル語です」。

そしてこのように続けました。「あの子はイエスの名によって、この私が何者であり、どんな目的でここに来たかを言い当てました。また、私が誰にも話したことがない過去の罪を言い当て、イエスこそ聖書が登場を約束してきた救い主であることを宣言し、イエスの十字架と復活について説明して、それを信じて救われるよう勧めたのです」。

この日、この男性はイエス・キリストを救い主だと受け入れ、恵みの福音を信じて救われました。
奇跡よりもっと大切なこと
ただ、聖霊さまのお働きについて、奇跡や異言よりもっと大切なことがあります。それは、私たちが内側から造り変えられてイエスさまのようになるということです。

(第2コリント3:18)私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

イエスさまに似た者に造り変えられていく。これこそ私たちが聖霊さまに求め続けなければならない願いです。私たちの内面や行動が成長すること、愛の人に変えられること、祈りが聞かれるようになること、奇跡を行なうこと、異言を語ること……これらはすべて、イエスさまに似た者になるという祝福の中に含まれます。

私たちの内に住んでくださっている聖霊さまが、私たちを今日も一歩、イエスさまに近づけさせてくださいますように。そう祈り続けていきましょう。毎日毎日、嫌一瞬一瞬。

聖霊の満たし

私たちが聖霊さまに自由に働いていただくために、私たちは聖霊さまに満たされることを求めましょう。聖書は、今の私たちが聖霊のバプテスマを求めるようにという命令をしていません。イエスさまの恵みの福音を信じたら、その時聖霊のバプテスマを体験しているからです。

代わりに「聖霊に満たされなさい」という命令があります。

(エペソ5:18)また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。

ペテロたちは新しいぶどう酒に酔っているのだと笑われましたが、聖霊さまに満たされることがお酒に酔うことと対比されているのは面白いですね。

聖霊さまに満たされるとは、私たちの生活のあらゆる領域を聖霊さまが支配してくださるようになるということです。「これだけは触ってほしくない」「これだけは自分の自由にしたい」という部分があるなら、それは満たされた状態ではありません。

仕事、将来の夢、財産、恋愛や結婚、友だち関係、趣味など、「これだけは自分の思い通りにしたい」と握りしめていたものがありませんか? もしあったなら、悔い改めて手放しましょう。そして、「聖霊さま、私を満たしてください。私のすべてをあなたの好きなようになさってください」と祈りましょう。

その時、あの1世紀のエルサレム教会の人たちが体験したような、素晴らしい人生が始まります。
ごめんなさい・お願いします・ありがとうの祈り
聖霊さまに満たしていただくために必要なのは、「ごめんなさい・お願いします・ありがとう」の祈りです。

まず悔い改め。告白していない罪があるならば、告白して赦しを確認します。

次に願い。聖霊さまが自分を満たし、生活のあらゆる領域を支配して聖霊さまが望むままにしてくださるようお願いします。

そして感謝。私たちが聖霊さまに満たされることは神さまのみこころです。ですから、「聖霊さまで満たしてください」と願ったら、その祈りは必ずかなえられます。信じて感謝しましょう。

聖霊のバプテスマは一度きりの体験です。しかし、聖霊さまに満たされる体験は、継続して味わわなければなりません。罪を自覚するたびに悔い改め、お願いし、感謝しましょう。

2025年が、ごめんなさい・お願いします・ありがとうの祈りを積み重ねる一年間、そして聖霊さまによってイエスさまに似た者に造り変えられ、考えられない祝福を味わい、そしてそれによって神さまのすばらしさを証しする一年間でありますように。

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