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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

キリストの恵みと神の愛と聖霊の交わり

コリント人への手紙シリーズ44

コリント人への第二の手紙13章1節~13節

(2026年8月30日)

コリント人への第二の手紙のまとめの部分から、キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりによって成長する教会と信仰者の姿を学びます。

礼拝メッセージ音声

イントロダクション

私たちは、どうすれば傲慢や比較から自由になり、互いに愛し合いながら成長していけるのでしょうか。パウロは、問題の多かったコリント教会への手紙を、厳しい叱責ではなく温かな祝福の祈りで結びました。

その鍵は、礼拝式最後の祝祷でおなじみの「主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わり」です。この3つを味わうとき、私たちの生き方と教会の姿はどのように変えられていくのでしょうか。

1.手紙のまとめと祝祷

三度目の訪問

三度目の訪問の予告
(1節前半)私があなたがたのところに行くのは、これで三度目です。

パウロは、間もなくコリントに行くと予告しています。その訪問は3度目です。

1度目は第2回伝道旅行で開拓伝道のためにコリントに行き、1年半に渡って活動したとき。2度目は、第3回伝道旅行で、コリント教会の問題が深刻化したために、短期間訪問したときのことです。
厳しい処分
(1節後半-2節)二人または三人の証人の証言によって、すべてのことは立証されなければなりません。以前に罪を犯した人たちとほかの人たち全員に、私は二度目の滞在のとき、前もって言っておきましたが、こうして離れている今も、あらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったときには、容赦しません。

3度目に訪問する際には、容赦しないとパウロは言います。それは、罪を悔い改めない人たちに対して厳しい処分を下すという意味です。具体的には、教会の交わりからの除外、すなわち除名処分です。

ただし、パウロは個人的な判断でそのような処分を下すのではありません。

複数の証言によって立証されなければならないという話は、申命記19:15の規定に基づきます。この命令には、個人の主観や誤解、あるいは悪意ある一方向からの偽証によって無実の人が罪に問われるのを防ぐ目的がありました。

パウロが悔い改めない人たちに処分を下す際も、教会で2,3人の証人を立てて罪を立証した上で行うつもりです。
力あるキリスト
(3節)こう言うのは、キリストが私によって語っておられるという証拠を、あなたがたが求めているからです。キリストはあなたがたに対して弱い方ではなく、あなたがたの間にあって力ある方です。

コリント教会に入り込んでいた偽教師たちは、パウロの弱々しい外見や話し方を攻撃していました。そのため、一部のコリント教会員たちもパウロを批判し、「あなたが本当にキリストの使徒なら、その証拠を見せてほしい」 と考えるようになっていました。

それに対してパウロは、「あなたがたが求めているなら、キリストが私を通して力を現されることになる」と答えます。これは、3度目の訪問の際に。必要なら使徒としての権威を行使して、厳しい処分を下すという意味です。

重要なのは、イエスさまの力強さがパウロを通して現されるという点です。弱いパウロが使徒としての強い権威を持っているのは、彼を使徒に任命したイエスさまが力強いお方だからです。
十字架と復活の原理
(4節)キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対しては、神の力によってキリストとともに生きるのです。

弱いと思われるものに神さまの力が満ちるという原理を、パウロはイエスさまの十字架と復活によって説明します。

神でいらっしゃるイエスさまは、そのあり方を捨てて人となって地上にお生まれになりました。そして、十字架につけられ、殺されてしまいます。それは弱さに見えます。しかし、父なる神さまのお力によって復活なさいました。

パウロの弱さは、彼が偽使徒である証拠ではありません。むしろ、 弱さの中から神さまの力が現れるという、聖書の原則そのものなのです。

自分自身を吟味せよ

自分を試し、吟味せよ
(5節)あなたがたは、信仰に生きているかどうか、自分自身を試し、吟味しなさい。それとも、あなたがたは自分自身のことを、自分のうちにイエス・キリストがおられることを、自覚していないのですか。あなたがたが不適格な者なら別ですが。

一部のコリント教会員は、「パウロは本当に使徒なのか」と問いかけました。それに対してパウロは、「あなたたちの方こそ、自分自身が本当に信仰に生きているかどうか吟味してみなさい」と言います。

ただし、これは自分が本当に救われているかどうかいつも疑い続けなさいという意味ではありません。

最後の「不適格な者」とは、まだ救われていない人という意味です。しかし、パウロは、コリント教会の人たちの内にイエスさまがおられること、すなわち彼らがすでに救われ、神さまの子どもとされたことを前提として語っています。

パウロが語ろうとしているのは、自分が信仰を持っているというなら、信仰と実際の生き方の間に矛盾がないか自己吟味しなさいということです。
私たちは不適格ではない
(6節)しかし、私たちは不適格でないことが、あなたがたに分かるように、私は望んでいます。

パウロは、自分たちは使徒として不適格ではないということを、コリント教会の人たちが理解してくれるよう願っています。
善を行ってほしい
(7節)私たちは、あなたがたがどんな悪も行うことのないように、神に祈っています。それは、私たちが適格であることを明らかにしたいからではなく、私たちが不適格な者のように見えたとしても、あなたがたに善を行ってもらいたいからです。

パウロの願いは、自分が使徒として尊重されることそのものではありません。コリント教会の人たちが罪を離れ、きよい生き方をするようになることです。
真理に基づく行動
(8節)私たちは、真理に逆らっては何もすることができませんが、真理のためならできます。

パウロはコリント教会の人たちに、正しくあること、すなわち神さまの真理に基づいた生活をするよう求めました。

それは、パウロ自身にも当てはまります。パウロの使徒としての権威は、自分勝手に振りかざして良いものではありません。パウロもまた、聖書が教える真理に基づいて行動しなければならないのです。そして、そうしていると語ります。
パウロが喜ぶこと
(9節)私たちは、自分は弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になること、このことも私たちは祈っています。

パウロは、自分が勝利することではなく、教会が正しい姿に変えられることの方を重視していました。偽教師たちが「自分が人々からどう見られ、どう扱われるか」を気にしていたのとはまったく異なる姿勢です。
厳しい処分予告の目的
(10節)そういうわけで、離れていてこれらのことを書いているのは、私が行ったときに、主が私に授けてくださった権威を用いて、厳しい処置をとらなくてもすむようになるためです。この権威が私に与えられたのは、建てるためであって、倒すためではありません。

パウロが、今度の訪問では厳しい処分を下すと予告したのは、コリント教会の人たちに悔い改めを迫るためでした。パウロは、処分を下して自分の強さを誇示したいのではありません。コリント教会が正しい姿になることが、彼の願いです。

結びのあいさつ

5つの命令
(11節)最後に兄弟たち、喜びなさい。完全になりなさい。慰めを受けなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。

コリント人への第二の手紙も、いよいよ最後のあいさつの段になります。ここでパウロは5つの命令を語りました。これらの命令は、10節で触れたように、コリント教会が本来の正しい姿を取り戻すために必要な指針です。

パウロの願いは、とにかくコリント教会がイエスさまの体として、また神の家族として本来の姿を取り戻し、さらに成長していくことです。

教会が、そしてそこに集う一人一人が正しい生き方、すなわち愛と平和を実現するような生き方を目指していくなら、神さまは共にいてくださり、愛と平和を味わわせてくださいます。
聖なる交わり
(12節)聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。すべての聖徒たちが、あなたがたによろしくと言っています。

「聖なる口づけ」は当時の地中海世界における挨拶の習慣でした。今の日本で文字どおり口づけを実践しなければならないという意味ではありません。

大切なのは、その背後にある原則です。それは、神の家族として互いを受け入れ合い、愛し合うことです。

コリント教会には、自分のすばらしさを誇り、他の人を見下す風潮があり、そのために分派争いまで起こっていました。そんな彼らに対し、パウロは互いに和解しなさい、それどころか愛し合いなさいと勧めています。

また、コリント教会は、より大きな普遍的教会の一部でもあります。すべての聖徒があいさつしていると語ることで、パウロはそのことをコリント教会の人たちに思い出させようとしています。

教会員同士の比較や争いが愚かであるのと同様に、教会同士の比較や争いも愚かです。
祝祷
(13節)主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。

この箇所は、私を含む多くの牧師が、礼拝のシメの祈りに用いています。

パウロは、第一と第二の手紙の中で、コリント教会の中にあった問題に対して厳しい指摘をしてきました。しかし、最後は温かい祝福の祈りで締めます。彼らの問題を解決する鍵は、イエスさまの恵み、父なる神さまの愛、聖霊さまの交わりを信じ、感謝し、味わうことだからです。

この点について、後半でご一緒に考えたいと思います。

2.期待されている姿を目指して成長しよう

イエス・キリストの恵みによって

私たちの救いの土台は、イエスさまの恵みです。私たちは行いによってではなく、一方的な恵みによって救われました。

(エペソ2:8)この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

エペソ書が示唆しているように、恵みを忘れると私たちは傲慢になってしまいます。あるいは逆に他の人と比較して落ち込んでしまいます。傲慢も自己卑下も、根っこは同じ。恵みを忘れたところから来ます。

これまでコリント人への手紙シリーズの中で何度も触れましたが、コリント教会にあったさまざまな問題の根っこには、傲慢の罪が横たわっていました。
  • 分派争いは、自分たちのグループは他の連中とは違うという傲慢のせいです。
  • 罪を犯しても反省がないのは、自分は問題ないという傲慢のせいです。
  • 差別を平気で行えるのも、身分の低い人には何をしても許されるという傲慢のせいです。
  • 礼拝が混乱するのも、自分こそ世界の中心なのだから、思い通りに行動して何が悪いという傲慢のせいです。
  • パウロの使徒職を否定して逆らうのも、自分の方が立派なリーダーだと思い込む傲慢のせいです。
救いは恵みです。今こうして生かされ、守られ、導かれているのも、当然の権利ではなく恵みです。
高みを目指すこと自体はすばらしい
もちろん、聖書や教理について多くの知識を持っていることはすばらしいことです。多くの人に伝道するのはすばらしいことです。たくさんの時間を奉仕に使うのはすばらしいことです。多くのお金をささげて神さまの働きを助けることはすばらしいことです。

私たちはより高みを目指して成長していきましょう。しかし、そのようなことを比較のネタにして、高ぶってしまうのは的外れです。

また、すばらしい働きをしている人を見て、参考にしたり励みにしたりするのはすばらしいことです。しかし、他人と比較して自分を惨めにするのはもうやめましょう。

イエスさまの恵みについて、いつも思い起こし、感謝していたいですね。それが私たちを謙遜にさせ、正しい生き方がしたいという意欲を生み出します。私たちの正しい生き方への原動力は、比較ではなく恵みへの感謝でなければなりません。

私たちの心に、主イエス・キリストの恵みがますます浸透しますように。

父なる神の愛によって

イエスさまの恵みの背後には、父なる神さまの愛があります。

神さまは、まず私たちを愛してくださいました。だから、神さまを無視してその命令を守らず、自分勝手に生きてきた私たち、すなわち神さまの敵であるはずの私たちを赦し、神さまの子どもとして祝福しようと思ってくださいました。

そして、御子イエスさまを地上に送り、十字架によって私たちの罪の罰を取り除いてくださいました。
愛に対する感動
罰に対する恐れではなく、神さまに愛されていることへの感動が、私たちを正しい生き方へと導きます。

私たちは、神さまに愛されているのだということを決して忘れないでいましょう。
  • 聖書を読むとき、神さまの愛をその箇所から見出しましょう。
  • 日常生活の何気ない出来事の中に、神さまの愛の配慮を見出しましょう。
  • 悩み苦しみの中にさえ、神さまの愛の配慮が行き届いていることを見出しましょう。
神さまが私たちを愛してくださっているという事実、全知全能の神さまが私たちの敵ではなく味方なのだという事実が、私たちに勇気を与えます。平安を与えます。喜びや希望ややる気を与えます。

聖霊の交わりによって

最後の「聖霊の交わり」には、2つの側面があります。「聖霊との交わり」と「聖霊による交わり」です。
聖霊との交わり
私たちクリスチャンは、一人でクリスチャンとしての生活を送ることができません。私たちの内に住んでくださっている聖霊さまの助けによって、私たちは罪の力から離れて聖められ、聖書が教える正しい生き方ができるようになっていきます。

イエスさまの恵みや父なる神さまの愛に気づかせ、感動させ、喜びや感謝を引き出してくださるのも、聖霊なる神さまのお働きです。

聖霊さまが、もっともっとイエスさまの恵みや父なる神さまの愛に気づかせてくださるよう、そして私たちがそれに感動し、喜び、感謝させてくださるよう祈りましょう。
聖霊による交わり
聖霊さまは私たちクリスチャンが互いに愛し合い、支え合うように整えてくださいます。そして、教会をキリストの体として一つにまとめてくださいます。

教会が一致し、そこに属する一人一人が互いに愛し合うようになると、教会はキリストの体としての本来の力を発揮するようになります。そして、人々を救いに導いたり、社会の中にあるさまざまな傷をいやしたりできるようになっていくのです。

聖霊さまが、私たちの教会を一つにしてくださるように、そのために互いにますます愛し合うことができるように祈りましょう。

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