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礼拝メッセージ:中通りコミュニティ・チャーチ

ラザロ蘇生に対する指導者たちの反応

イエス・キリストの生涯シリーズ65

ヨハネによる福音書11章45節〜54節

(2024年2月4日)

ラザロがイエス・キリストの奇跡によってよみがえった後、ユダヤの宗教的指導者たちはイエスに対して脅威を覚え、殺そうと画策しました。

礼拝メッセージ音声

参考資料

45節の「マリア」は、ベタニアのマリアのこと。「イエスがなさったこと」とは、ベタニア村のマルタとマリアの兄弟であるラザロが病死し、イエスさまがそれをよみがえらせたことです。

47節の「祭司長」は、当時1万数千人いたと言われる祭司の中で特に指導的立場にある人たちのことです。新約聖書では、トップリーダーである大祭司とは区別されています。祭司は24の組に分けられていましたから、もしかしたら各組の長を務めた人たちかもしれません。

47節の「パリサイ人」は、ユダヤ教の分派の一つであるパリサイ派に属する人のこと。律法を厳格に守ろうという伝統から生まれましたが、その後律法以外の膨大な数の規則を作り上げ、それを守るよう民衆を教えるようになりました。イエスさまは、当時のパリサイ人たちが偽善的であるとして、激しく批判しました。

47節の「最高法院」(サンヘドリン)は、ユダヤの政治的・司法的な決定を行なう最高会議のこと。当時のイスラエルはローマ帝国の支配下にありましたが、帝国が認める範囲でサンヘドリンを中心とした自治が行なわれていました。議員は祭司、律法学者、パリサイ人から選ばれ、定員71名でした。

54節の「エフライム」は、ベタニアの北25キロほどにあった町です。サマリア地方の南部にあります。

イントロダクション

世の中には、私たちのことを応援してくれたり助けてくれたりする人たちがたくさんいます。その一方で、たまに私たちのことをバカにしたり、やろうとしていることを邪魔したりする人もいます。そんなときどんなことを考え、実践すればいいのでしょうか。今回の記事からそのことを教えていただきましょう。

先週のメッセージでは、ベタニア村のラザロという人が病気で亡くなって、死後4日経ってからイエスさまの奇跡によってよみがえったという記事を取り上げました。今回はその続きです。

1.ラザロがよみがえった後の出来事

指導者たちの困惑

目撃者たちの回心
(45節)マリアのところに来ていて、イエスがなさったことを見たユダヤ人の多くが、イエスを信じた。

前回も申し上げましたが、当時の常識では死んだ人の魂は、遺体のそばを3日間は漂っていると考えられていました。ですから、その間は何かの拍子に魂が体に戻って生き返る可能性があります。ところがラザロは死後4日も経っていたのですから、よみがえることは不可能なはずです。それなのにイエスさまはラザロを言葉一つで生き返らせました。

それを見た多くの人が、「この方はただの人間ではない。神が人となられたお方、神の国を地上に打ち立てて世界をお治めになる王の中の王、救い主でいらっしゃる!」 そう信じました。つまり、多くの人がイエスさまを信じて救われたのです。
パリサイ人への告げ口
(46節)しかし、何人かはパリサイ人たちのところに行って、イエスがなさったことを伝えた。

ところが、奇跡を目撃した人の中には、「これは困ったことになった」と考える人たちがいました。というのは、この頃すでにイスラエルの宗教的指導者たちは、イエスさまのことを救い主ではないと公に判断を下していたからです。

それにもかかわらず多くの人がイエスさまのことを救い主だと信じてしまいました。これでは人々が指導者たちの決定を無視しているのと同じです。そうでなければ、指導者たちの決定が間違っていたということになります。いずれにしても、宗教的指導者たちの権威が失墜してしまうことになると、この数名の人たちは考えたのです。

そこでこの人たちは、ベタニア村の北西3キロほどにあるエルサレムまで飛んでいくと、事の顛末をパリサイ人たちに報告しました。
サンヘドリンの招集
(47節)祭司長たちとパリサイ人たちは最高法院を召集して言った。「われわれは何をしているのか。あの者が多くのしるしを行っているというのに。

報告を受けたパリサイ人たちも、これはゆゆしき事態であると考えました。そして、イスラエルの最高統治機関である最高法院、サンヘドリンを招集しました。そして、対応策を話し合いました。

サンヘドリン議員は71人いましたが、祭司、律法学者、パリサイ人から選ばれました。彼らがイエスさまを憎み、救い主であるはずがないと考えた理由の一つは、イエスさまに対する嫉妬心です。

彼らはイエスさまが自分たちの教えや伝統をないがしろにしたり、自分たちのことを偽善者呼ばわりしたりするのを見て、自分たちのことを尊重していないと感じました。それなのに、イエスさまのことを慕ってついていく人たちがたくさん現れています。指導者たちはプライドが傷つけられ、イエスさまのことを憎んだのです。

後にイエスさまが逮捕され、ローマ総督ピラトの元に連れて行かれたとき、ピラトは彼らの嫉妬心を見抜きました。それに関して、聖書には次のように書かれています。

(マルコ15:10)ピラトは、祭司長たちがねたみからイエスを引き渡したことを、知っていたのである。
議員たちの恐れ
(48節)あの者をこのまま放っておけば、すべての人があの者を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も取り上げてしまうだろう。」

指導者たちが心配したのは、自分たちのプライドのことだけではありません。もっと深刻な問題もありました。

この当時、イスラエルの国はローマ帝国の属国になっていました。ローマ帝国は、自分たちに従順な国や民族に対しては寛容な政策を採っていて、イスラエルも宗教的な自由やある程度の自治が認められていました。

そうは言っても、神の民である自分たちが異教徒の支配下にあるというのは、イスラエルの人たちには我慢のならない現実でした。そこで、旧約聖書で登場が預言されている救い主が早く現れないかと、みんな切望していました。

旧約聖書の預言によれば、救い主は神の敵を滅ぼして全世界を従わせ、イスラエルに平和をもたらされます。もし今救い主が現れてくれたら、憎きローマ兵どもを国から追い払って、イスラエルの国は再び独立を獲得し、あのダビデ王の時代のような、いやそれ以上の黄金時代を迎えることができると人々は期待していたのです。

そんな救い主待望の機運がマックスの今、イエスという男が現れてさまざまな奇跡を行ないながら、自分は救い主だと主張しています。その結果、多くの熱狂的なファンが付いてその主張を支持しています。このままだとイエスという男はますますその気になって、そのうちイスラエルの独立とローマ軍の排斥を宣言して、反乱を起こしてしまうかもしれません。

そうなると、ローマ皇帝ティベリウスは大いに怒り、鎮圧のために大軍団を派遣してくることでしょう。

仮にイエスという男が本当に救い主なのであれば問題ありません。ローマ軍を打ち破って独立戦争は必ず成功するでしょう。しかし、指導者たちはイエスさまのことを救い主ではないと信じています。つまり普通の人間だと思っているのです。そんな男が、世界最強のローマ軍にかなうはずがありません。

もちろん、イエスや一部の熱狂的信者が滅ぼされるだけなら問題ありません。そのとばっちりがイスラエルの国全体に及ぶのではないかと指導者たちは心配しています。エルサレムも神殿も徹底的に破壊されたり、多くの国民が殺されたり奴隷として引かれていったりするのではないか、それどころか国そのものが滅ぼされてしまうのではないか。彼らはそう恐れたのでした。

(画像引用:Wikipedia

大祭司カヤパによる「預言」

カヤパの発言
(49-50節)しかし、彼らのうちの一人で、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは何も分かっていない。一人の人が民に代わって死んで、国民全体が滅びないですむほうが、自分たちにとって得策だということを、考えてもいない。」

サンヘドリンの議長は、大祭司が務めました。この時の大祭司はカヤパという人物です。彼は、「1人の人が死んで、それで国民全体が助かる方がいい」と発言しました。これはつまり、イエスが反乱を起こして取り返しが付かなくなる前に、イエスを殺してしまおうという提案です。なかなか過激ですね。

すると、カヤパのこの発言について、聖書は不思議な解説を入れています。
これは預言である
(51-52節)このことは、彼が自分から言ったのではなかった。彼はその年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子らを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。

聖書は、カヤパのあの過激な発言は、実は神さまが語らせた預言の言葉であったと記しています。カヤパの発言は、「一人の人が国民のために死ぬ」というものでしたね。そして預言の内容は、イエスさまは2種類の人たちのために死のうとしていらっしゃるということです。
  1. 「国民」と呼ばれている人たち……ユダヤ人の信者のこと
  2. 「散らされた神の子ら」と呼ばれている人たち……異邦人の信者のこと。
イエスさまは、間もなく神さまのご計画通り十字架にかけられて亡くなります。その結果、人類が受けなければならないはずだった罪の罰をイエスさまが代わりに背負ってくださり、私たちへの罰はすでに実行されたことになりました。つまり罪が神さまによって一方的に赦されることになったのです。

そして、イエスさまは死んだきりではありません。死んで3日目、死を打ち破って復活なさいました。

そのことを信じた人は信じたとおり罪が赦されます。それどころか神さまの子どもにしていただき、永遠に祝福されます。

しかも、イエスさまの死によってもたらされるその祝福は、「国民」と呼ばれているユダヤ人にだけ与えられるのではありません。「散らされている神の子らを一つに集める」と書かれているとおり、当時は救いからは遠く離れていると考えられていた異邦人にも与えられます。

これらは大祭司カヤパや他の指導者たちがまったく考えもしなかったことです。彼らはイエスさまを救い主だと信じて欲しいという神さまの願いを無視して、イエスさまのことを救い主だと認めませんでした。しかも、カヤパに至っては積極的に殺そうとさえ語っています。

そして、間もなく指導者たちはイエスさまを逮捕して、ローマ総督ピラトに引き渡し、ピラトに政治的な圧力を掛けてイエスさまを十字架にかけて殺すことに成功します。しかし皮肉なことに、その不信仰な行動によって、かえって神さまのご計画が前に進むことになりました。

全知全能の神さまは、信仰者だけでなく不信仰者の言葉や行動を通しても、みこころを実現することがおできになります。

議決とイエスの対応

議決
(53節)その日以来、彼らはイエスを殺そうと企んだ。

議長である大祭司カヤパの発言は、多くの議員を納得させました。そして、イエスさまを殺すことが決定します。

これまでもユダヤ人がイエスさまを殺そうとしたことがありました。しかし、このたびは国として公式にイエスさまを殺すことが決められたのです。

議員の中には、イエスさまの隠れ弟子であるニコデモやアリマタヤのヨセフもいました。ですから反対した議員もいたでしょうが、大多数はイエスさまを殺すことに賛成しました。
エフライムへの退去
(54節)そのために、イエスはもはやユダヤ人たちの間を公然と歩くことをせず、そこから荒野に近い地方に去って、エフライムという町に入り、弟子たちとともにそこに滞在された。

指導者たちの動きを知ったイエスさまは、一時的にエルサレム近郊から離れることを決意なさいます。それは殺されることを恐れたからではありません。救い主が死にさえすれば救いの条件が達成されるわけではなく、過越の祭りのときにエルサレムで十字架にかかることが神さまのご計画だったからです。

ベタニアを去ったイエスさまは、北に25キロほど離れたところにあるエフライムに向かいました。そこでしばらく過ごした後、イエスさまは再びペレヤ地方あるいはサマリア地方を北上して行かれましたが、それについては別のエピソードを取り上げるときに触れます。
以上が、ラザロの蘇生という驚くべき奇跡が起こった後の話です。
エルサレムの破壊
さらにその後の話もしておきましょう。時は今回の出来事から約40年後のことです。指導者たちが恐れていたイスラエルの滅亡が実際に起こってしまいました。

紀元66年、その時のローマ総督がインフラ整備のために神殿の宝物を取り上げようとしました。それに一部の過激派があちこちで暴動を起こし始め、それがどんどんイスラエル中に拡大していきました。ローマ帝国は反乱鎮圧のために軍団を派遣してきて、紀元70年にはエルサレムが陥落し、神殿も破壊されてしまいます。その後も反乱自体は続きましたが、紀元73年にマサダの砦が攻略されて反乱は完全に鎮圧されました。

さらに132年にも再びユダヤ人の反乱が起こりますが、136年には完全に鎮圧されてしまいます。時の皇帝ハドリアヌスは、ユダヤの民が反抗的なのはユダヤ教が原因だと考え、ユダヤ教を禁止して多くの聖職者を殺してしまいました。そして「ユダヤ」という地域名を消し去って、「パレスチナ」という新しい地域名を付けてしまいます。さらに、ユダヤ人がエルサレムに入ることも禁じました。

こうしてイスラエルの国は滅び、多くの民が世界中に散らされて、あちこちで迫害を経験することになってしまいました。
イスラエル滅亡の原因
カヤパも他の指導者たちも、イスラエルが滅びるとしたらそれはイエスさまが自分のことを救い主だと主張するからだと考えていました。しかし、実際にはそうではありません。彼らがイエスさまのことを救い主ではないと公に決定してしまったからです。

このことはこれまでも何度かお話ししてきました(たとえばこちらの記事をご覧ください)。

しかし、それでも神さまの救いのご計画は、着々と進行していきました。イエスさまを亡き者に使用とした指導者たちの悪巧みも、神さまはご自分の計画を遂行するために上手に活用なさいました。

今も神さまの救いの計画は続いています。そして、将来この宇宙が消え去って新しい天と新しい地が創造されるまでそれは確実に進行します。誰も神さまのご計画をじゃますることはできません。

では、ここから私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

2.神の計画は絶対に実現することを知ろう

どんなに邪魔されても神の計画は挫折しない

カヤパや指導者たちはイエスさまを亡きものにしようとしました。彼らに背後から影響を与えていたのはサタン(悪魔)です。サタンはやがて救い主が自分を滅ぼすという聖書の預言のことをよく知っています。ですから、イエスさまを殺そうと何度もチャレンジしてきました。

しかも、十字架にかかって死ぬという方法では人類の罪が赦されることになってしまうため、十字架以外の方法で殺そうとしてきました。

ところがその策略はことごとく失敗しました。そして、イエスさまはまんまと十字架にかかり、復活して罪と死の力に勝利なさいました。
誰も神さまのご計画を邪魔することはできません。それどころか邪魔でさえも神さまの計画実現のために利用されてしまいます。それくらい神さまのご計画は確かだということをまず確認しましょう。

神の計画の中には私たちの幸せが含まれている

そして、神さまのご計画の中には、私たちの幸せが含まれているということをいつも忘れないでいましょう。

といっても、私たちの幸せのために神さまが存在しているわけではありません。神さまには私たちの願いを全部かなえる義務はありません。

神さまは創造主であり私たちは神さまによって造られた被造物。その身分の差は比べることさえできません。この宇宙には数え切れないほどの星がありますが、神さまはその動きを一つ一つコントロールしていらっしゃいます。そんな忙しい神さまがいちいち私たち人間一人ひとりの幸せのことなんかにかまっていられないはずです。

にもかかわらず、神さまはご自分のご計画の中に、この私の、そしてあなたの幸せを組み込んでくださっています。イエス・キリストの十字架と復活を信じた私たちは、罪が完全に赦されました。それどころか私たちは神さまの子どもにしていただき、神さまから永遠に祝福される特権を与えられました。それは何という驚き、何という光栄でしょうか。

神さまのご計画が必ず実現するのなら、私たちの幸せも必ず実現します。私たちの幸せを邪魔しようとする人や状況が現れても、神さまはそういった邪魔でさえも用いて幸せを実現してくださいます。

この地上ではその幸せが実現しなかったとしても、死んで復活した後の人生では考えられないような幸せが待っています。しかも、この地上で苦労したこともすべて死後の世界で報われることになっています。

あなたは幸せになることが決まっています。残念ながら(?)幸せにしかなれません。そのことをいつも忘れないでいましょう。

私たち自身が神の計画のうちを歩むべきである

イスラエルの指導者たちは神さまのご計画に逆らって、イエスさまを拒否しました。そのことも神さまはご自分のご計画の実現のために利用なさいました。カヤパの過激な発言も、「預言」として聖書の中に記されるようにして、神さまのご計画の確かさを証明するために用いられました。

つまり、私たち人間が神さまのみこころを行なおうが行なうまいが、結局として神さまのご計画は進むということです。

しかし、神さまに逆らった指導者たちが導いたイスラエルの国はその後どうなったでしょうか。ローマ帝国によってエルサレムの町と神殿が破壊され、多くの民が殺されたり国の外に逃げ出さなければならない自体になったりし、国そのものまで無くなってしまいました。

ですから、「どちらにしても神の計画は実現する」としても、私たちは神さまのご計画を学んで、そのご計画に沿った行動するよう努めましょう。
  1. 習慣的に教会の集会に参加することはもちろん、個人でも聖書を読んで、神さまのご計画がどういうものなのか学びましょう。
  2. 特に、神さまが今、自分に何をし、何をやめることを求めていらっしゃるか、それを祈りながら考えましょう。
  3. それを実行するのが大変なときもありますが、聖霊さまの助けを祈り求めながら実行しましょう。
この話をお読みください。
アポロ16号の宇宙飛行士、チャールズ・デュークさんの妻、ドッティさんについての話です。

二人は、結婚式の時に、「あなたを第一にします」と誓いました。しかし、実際に結婚生活が始まってみると、チャールズさんの一番は仕事だということにドッティさんは気づきます。そして、あの手この手で自分の方を振り向かせようとしますが、ことごとく失敗しました。

夫が月から帰ってくれば、きっと自分の方を向いてくれるという希望も打ち砕かれ、ドッティさんは絶望します。離婚も考えましたが、誰も自分のことなんか愛してくれないのではないかと思い、一歩を踏み出すことができません。結婚が自分を満足させてくれないのなら、一体何が自分を満足させてくれるのだろうか。ドッティさんは、パーティに出てみたり、ボランティア活動をしたり、哲学書を読みあさったりしましたが、どこにも答えがありません。

教会には小さいときから通っていましたが、イエスさまとの個人的な関係はありませんでした。しかし、ある人々の証しを聞いて、「イエスさま、もしあなたがいらっしゃるのなら、私はあなたに人生をささげます」と祈りました。すると、翌朝目を覚ますと、神さまが確かに存在しておられるという思いが心に芽生えていることに気づきました。そして、それから祈りが次々をかなえられる経験をし、ドッティさんはイエスさまが今も生きておられるということを確信しました。

そんなある日、ドッティさんは、祈りの中でイエスさまの語りかけを聞きました。「あなたの罪はすべて私が赦し、古いあなたは死にました。そして、あなたは新しく生まれ、私と共に生きているのです」。そしてイエスさまはさらにおっしゃいました。「だから、あなたも夫を赦しなさい」。

自分が悪いとも思っていない夫を赦すことに、最初ドッティさんは抵抗しましたが、ついに赦すことに同意しました。すると、聖霊さまが少しずつドッティさんの心に、夫を赦し、愛する感情を与えてくださいました。すっかり夫を赦せる気持ちになるまでに、2ヶ月かかったそうですが、神さまは確実にドッティさんを変えてくださいました。そんな妻の変化を見て、チャールズさんもイエスさまを信じたいという気持ちになり、間もなく救いを受け取りました。
(当サイト「ショートエッセイ」より)
聖書を通して神さまのみこころ、ご計画を学び、その中で自分に求められている生き方、行動は何かと考え、そしてそれを実行する。私たちは、カヤパたちのような生き方ではなく、そういう生き方をしましょう。

私たちがこのような生き方をするのは、イスラエルがかつて経験したようなさばきを自分も受けると恐れてのことではありません。神さまのご計画の中に、私たちが幸せになることが含まれているからです。

私たちを本当の幸せに導くために、イエスさまがご自分のいのちを犠牲にしてくださいました。その深い愛に対する感動こそ、私たちが神さまのご計画に従って行動する原動力です。

聖書の中には、他にも私たちのために神さまが用意してくださった祝福の約束が満ちあふれています。ぜひそれを探しながら聖書を味わってください。今週も感動に満ちた一週間となりますように。

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